私のたまにトラブルなトラベル

そんな旅は愉快!爽快!我慢!忍耐!
トラブルが襲ってもめげずリュックを背負って世界を旅する大和撫子!

うんちビーチ???

2012-08-30 22:21:02 | アフリカ
2006年3月10~3月26日まで、
ガーナ・ブルキナファソ・アラブ首長国連邦を旅した。

ガーナは『野口英世』の終焉地。
51歳で黄熱病で亡くなっている。



小学校の教科書に、必ず掲載され「偉人の代表」と呼ばれる人物だ。
研究熱心でノーベル賞3回もノミネートされている。
・・・が・・・金銭感覚が全く無かったらしい。
母親が借金してお金を工面していた。

そんな人が1000円札の肖像になったのが不思議(=^-^=)ふふ

あぁ~また日記が逸れちゃった・・・

ガーナの首都「アクラ」からトロトロ(乗り合いバス)で、
アノバブ海岸へと向かう。
ガーナの第二の都市でアノバブ海岸が真っ白な砂で、凄く美しいと教えてもらった。
あいつと期待して行ったのである。

あいつが、アノバブと標識が出ていたので下りようと言った。
ここなの???間違ってない???と思いながら、
道路から海岸へ出て行ったのである。

真っ白な砂、本当に美しい・・・
浜辺では漁船が丁度入り、魚が水揚げしていた。
子供も大人もきゃぁ~きゃぁ~と喜んでいる。




波が黄色いものを浜辺に打ち寄せては、沖へ運ぶ。
それに浜辺には点々と黄色いものが続いているやん!!!
よ~く見ると、ウンチやん!
それも人間のウンチや!!!!!!


波打ち際から振り返ると、子供たちがしゃがんで、
片手に紙をもち、その手を私たちに振っていた。
少し砂を掘って、そこにウンチをするのである。

そんなことは知らず、真っ白で美しい砂浜を、
裸足であるいていた�(゜□゜;)ガーン(。□。;)ガーン(;゜□゜)ガーン!!
こうなると、足が出ない。
踏まないように足先で歩き、「運がつかないように」と祈りながら道路に出た。

村には大きな字で「この村にトイレを作ろう」と書かれていた。

綺麗な真っ白なビーチは、ウンチビーチだった。

世界にはトイレがあると思ってはいけないのである!!!
無い国も結構あるのだ。

アノバブビーチは、ここでは無かったのである。

あいつの勘違いが「ウンチビーチ」に誘ったのだ!
う~~ん「運」が良かったのか?「運」がわるかったのか?
でもあいつは「運の尽き」やぁ(笑)








笑顔(パプアニューギニア)・・・

2012-08-28 02:07:19 | パプアニューギニア
笑顔(パプアニューギニア)・・・

ナタリーちゃん………女の子………髪の毛がチリチリなので、男女の区別がつかない





怖い、怖いパプアニューギニアも、笑顔で癒され、
思い出深い旅が出来た

パプアニューギニアの飛行機は、乗る人の多さで行き先が変更・・・

2012-08-24 20:14:21 | パプアニューギニア
2005年12月21日~2006年1月10日まで、
オーストラリア&パプア・ニューギニアを旅した。

パプアニューギニアは、メチャクチャ危険な国である。
殺人、強姦、放火、車両強盗、集団女子暴行・・・
『ラスカル』という5人~10人の強盗が、銀行、商店、車両を、
武器を使って襲うのである


もっとも危険な町が首都『ポートモレスビー』
海外協力青年隊も世界で唯一『女性』の派遣がない国なのだ。

どこのお店も太い鉄格子があり、
その間から商品を選び、その間から受け取り、その間からお金を払うのである。
もちろん、食堂もオカズ等は、鉄格子の向こうにあり、
それを選び、鉄格子の間から貰って、食べるのである。

スーパーでトレイの場所を聞くと、
一人じゃダメ!と言われ、銃を持った警備員に付き添われ、
トイレの中のドアの前には、銃を持った女性警備員が立ち、
警備しながらのトイレは初めてだった(≧∀≦)


パプアはインフラが進んでないので、遠くに行くには飛行機になる。
標高1600mの町『マウントハーゲン』は長閑な村!
ここのホテルは桃源郷のようだった。



やっと危険から解放され、のんびり過ごし、
これから海の町『マダン』へ飛ぶ・・・





長閑な飛行場で待っていると・・・飛行機が着いた。
すると・・・乗客の人数が多い『ゴロカ』と『レイ』を優先すると言うじゃない!!!
優先しても2時間くらいで帰ってくるから、大丈夫だと言う。

乗客の数で行き先変更なんて驚いていると・・・

『あいつ』は寝ているじゃないの!!!
悠々たる態度の持ち主か?はたまた諦めの早い奴か?

『悪い奴ほどよく寝る』なんて言わなかったかな???????



一機の飛行機を使っているのである。
17人乗りのプロペラ機。



乗客は荷物を持って、計りに乗る。
総重量を計るのである。

スイカを持って乗っている人。籠に生の魚を入れて乗っている人。
面白いほど、庶民的な飛行機である。
スイカにOKのシールを貼るし、もちろん籠の魚にも貼る・・・

座席指定なんかない!好きな席に座ればよい。

私は操縦士の後ろに座った。
コックピットは丸見え!なんと離陸した時、パイロットの黒いカバンが、
私の足元まで滑って来た!



もう・・・何でもありのパプアニューギニアの国内線だぁ~
パプアは危険もあり、怖いのもあり、「サプライズ」の国だった。

霧よ!お願いだから晴れてくれ・・・

2012-08-17 23:50:53 | アフリカ
2004年12月25日~2005年1月9日まで、
西アフリカの旅に出た。

関空~イタリア(ミラノ)往復はアリタリア航空。
ミラノ~モロッコ(カサブランカ)~セネガル(ダカール)往復はモロッコ航空。

旅も終わるとき・・・
セネガル(ダカール)からモロッコ(カサブランカ)までの飛行機が、飛行不能???
えぇ???カサブランカの飛行場が霧で閉鎖???(><)

1月8日にミラノから関空行きに乗らないと、
仕事に間に合わない!!!!!!!!!!どうしよう!!!!

今の様に携帯がないので、国際電話だ!
セネガルはフランス語を話している。
英語もイマイチなのに・・・フランス語???
あいつに頼んでも知らんぷり!
人間、いざとなると、考えられない力が出るものだ!
どうにか国際電話がかけられる場所を探し親友に電話して、
もし、飛行機が飛ばないと、仕事に出れない事を会社へ電話してと頼んだ!
あぁ~時差を考えると、日本は深夜だった(ごめんね)


モロッコ航空が素晴らしいホテルを用意してくれたけれど・・・
気が気じゃ無い・・・1日経った・・・
やっと1日遅れで、飛行機が飛ぶとの事!
でも・・・23:00発のこれに乗っても関空には1日遅れになるが仕方ない。
観念してイミグレを通り、モロッコ航空のゲート前で待ってた。
ふと見上げるとアリタリア航空がセネガルから直接ミラノに飛んでいるじゃないの!24時45分発に乗ると、ミラノからの飛行機も間に合う!!!
あいつにそれを言うと・・・のんびり屋のあいつの目が変わった!!!

ゲートのカウンターに言うと、セネガル航空で問い合わせろと言った。
イミグレを逆戻りしセネガル航空に聞くと、
モロッコ航空に問い合わせろと言う。
もう・・・あいつも私も右往左往・・・
どうにかアリタリア航空で空席を確保できた!!!
それからが大変!!!
モロッコ航空に乗せた2人のリュックをアリタリア航空に乗せ替えないといけない!
係員とあいつが飛行場に降りて、大きなカートからリュックを探し、
どうにかアリタリア航空に乗せることができた。

その間、2人の為にモロッコ航空もアリタリア航空も足止めしてくれたのである。

あぁ!!!そうだ!!親友に仕事に間に合うからと国際電話!
深夜にも関わらず、優しい友に感謝した。

こんなにヒヤヒヤハラハラした旅は無かった

サッと動かないあいつが、機敏に動いたのも初めてだった(=^-^=)ふふ


これを教訓に・・・帰国は仕事の前5日にしようっと(^_-)