嵯峨秋雄 北の風景

北海道の風景写真を中心に掲載します。

No 376 ・オタモイ遊園地、カラ-写真でよみがえる

2021年01月15日 01時00分00秒 | 写真



1・龍宮閣・二見岩・海水浴の風景。 日本海の荒磯にそそり立つ三百尺、辨天岬中腹に毅然としてそびえる三層楼、これが龍宮閣であります。総坪数二百八十坪、内部は、座敷と食堂の二つに分かれ座敷は各、おとひめ、うらしま、かめ、たい、ひらめ、等四十余畳の末廣に至るまで、浴室の設備もございます


◎ 六十年以上も前のオタモイ遊園地、【カラ-写真でよみがえる】を作りました   ブログを作り始めて初期の頃11年前ブログNo58ではモノクロで掲載でした。友人から譲り受けた時は古いカラ-写真で状態悪くパソコンのソフトで修正してモノクロで掲載しました。今回はカラ-写真で出してみたくなりパソコンのソフトでカラ-写真を時間をたっぷり掛けて修正しました。文書は前回のNo58を引用しました。




2・蛇の目遊園地入り口。オタモイ遊園地や海岸へ続く七曲がり坂の降り口、七曲がりの沿道の各所に灯籠を配置してありました。






3・オタモイ遊園地広場、七曲がりの坂を下りてすぐの所から、左側が白蛇辨天堂、中程の奥が、岸守稲荷神社、手前が鯉の池・児童遊園地として約2000坪の土地にブランコ、遊動円木、滑り台、シ-ソ-、木馬、すもうの土俵、砂場などが設置された。また、50人はど収容できるサッポロビ-ルの無料休憩所があった。






4・白蛇辨天堂「オタモイ遊園地」の開園、上棟式が行われたのは昭和8年小樽~札幌間の国道が完成した年であった。昭和10年6月、3年がかりで建設した遊園地が完成し、開園式が行われた






5・辨天閣(弁天食堂)左に見える灯籠について。オタモイ海岸へ続く七曲りの沿道や園内の各所に灯籠を配置するため、加藤秋太郎の妻きん、は上京し以前より親交のあった柳家金語楼師匠に相談の結果、所属の会社であるコロンビアの歌手たちから多くの灯籠を寄進してもらい、園内の振わいを高めるのに貢献したという






6・辨天閣(弁天食堂)龍宮閣へ行く道、裏側から






7・左側下が弁天食堂、屋根にオタモイの文字は演芸場、広場の奥が白蛇弁天堂・演芸場について、会場では日曜祝日にタップダンス、日舞、腹話術、手品、民話、落語などの演目が催され、エノケン、ロッパと並ぶ三大喜劇人として知られた柳家金五楼も出演していたという。ここには800人収容可能な大きなステ-ジがあり、入場はなんと無料だった






8・白蛇辨天堂ここからは演芸場(弁天食堂)が見えます。演芸場の屋根について、児童遊園地の山側にあり大屋根に大きく、オタモイと北を示すNの矢印が書かれた。これは航空ファンの、加藤秋太郎氏の息子、の発案で、当時、航空地上標識として登録された。その際協会から感謝状と金属製の飛行機の置物が授与され、塩谷村小学校の講堂で全生徒の居並ぶなか学校長から手渡されたという






9・龍宮閣横の歩道から、苦難の建設工事。上棟式を終え、屋根を葺く段になっても、最終工程の板金職人が見つからなかった。こんな危険な屋根を葺こうという者はいなかったのだ。そのため屋根葺きは鉄板葺きに替えられ、柾葺きの上からコ-ルタ-ルと砂を交互に塗布する工事に変更された(当時の屋根工事)






10・崖の上から、右に崖に立つ龍宮閣と左この奥の方面には子そだて地蔵として全道に有名なオタモイ地蔵があります






11・龍宮閣と芸者さん ・ オタモイ地蔵と演芸場に集まった人たちと思われる






12・龍宮閣と二見岩 ・ 船?から撮ったと思われます






13・オタモイ海岸全景(当時ここ山の高台で撮したとみられる場所は現在も高台の現地へ行って撮影する事が出来ます)






14・辨天閣(弁天食堂)から、この奥の方面には子そだて地蔵として全道に有名なオタモイ地蔵があり、四季参拝者の絶えることがありません。夏の海水浴、窓岩の舟遊、アナ澗探検等もスリル満点の遊びで御座います(モノクロ)






15・龍宮閣の玄関と左側が佐吉地蔵尊、上棟式を終え、屋根を葺く工事の時、命綱を付けずに作業をしていたため、ついに佐吉という大工が海に墜落し亡くなってしまう。佐吉の死を弔い、龍宮閣の脇には今も佐吉地蔵が奉られている(モノクロ)






16・龍宮閣裏側歩道から、切り立つ断崖絶壁にそびえ立ち、海にせり出した床は、まるで空中に浮かぶ幻の楼閣を思わせたという(モノクロ)






17・唐門、オタモイ地蔵尊の参詣人の多くが遠方からきていたことから、その案内として国道と列車から良く見える場所に案内門(唐門)を建てることとした。唐門はオタモイ入り口より奥の現オタモイ郵便局のあたりに市道をまたぐ格好で建設されオタモイのシンボルとして親しまれた。現在は海岸降り口の高台に保存されております(モノクロ)






18・龍宮閣、切り立つ断崖絶壁にそびえ立つ「冬景色の絶景」(モノクロ)






19・遊園地広場から龍宮閣に抜けるトンネルの入り口に立つ唐門(これは現在も残っています)2012/3/21撮影






20・唐門、現在は海岸降り口の高台に保存されております(2012/3/21撮影)






21・この記事は11年前(ブログNo58)を作った時の記事です






22・この記事は11年前(ブログNo58)を作った時の記事です






23・この記事は11年前(ブログNo58)を作った時の記事です






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No375・雲海+霧 風景の魅力「その5」

2021年01月01日 01時00分00秒 | 写真


1・日の出と雲海、大雪銀泉台 (7月朝11時02分)


◎ 雲海+霧 風景の魅力「その5」の ブログの最終回は大雪銀泉台と旭岳姿見池へ登った時、見事な雲海の絶景で感動の連続だった事から、そこを載せたいと思います。銀泉台はこれまで五回位ですが旭岳のロ-プウエイで登って旭岳頂上までは一回、姿見池までは十二三回位と思います、何回も行っているが一回だけ雲海に巡り会えました。その他はニセコパノラマラインに行った時の風景です。




2・日の出と雲海、大雪銀泉台「モノクロ」 (9月朝7時45分)






3・大雪山の雲海、旭岳姿見池から (9月朝7時55分)






4・大雪山の雲海、旭岳姿見池下から (9月朝8時31分)






5・大雪山の雲海、旭岳姿見池から (9月朝7時46分)






6・大雪山の雲海、旭岳姿見池下から (9月朝8時00分)






7・大雪山の雲海、旭岳姿見池から (9月朝7時51分)






8・大雪山の雲海、旭岳姿見池下から (9月朝7時27分)






9・雲海、ニセコパノラマラインから (7月朝7時35分)






10・雲海、ニセコパノラマラインから (7月朝10時07分)






11・雲海、ニセコパノラマラインから (7月朝5時04分)






12・羊蹄山と雲海、ニセコ東山から『モノクロ』 (9月朝6時24分)






13・羊蹄山と雲海、倶知安尻別川から (2月朝6時14分)






14・雲海+霧、倶知安広大な畑から、後方はニセコアンヌプリ(9月朝5時13分)






15・雲海+霧、赤井川村広大な畑から、 (10月朝8時21分)






16・雲海+霧、赤井川村広大な畑から、 (10月朝6時16分)






17・雲海+霧、赤井川村広大な畑から、 (10月朝6時18分)






18・雲海+霧、赤井川村広大な畑から、 (10月朝6時16分)






19・雲海+霧、赤井川村広大な畑から、 (10月朝6時19分)






20・雲海+霧、赤井川村広大な畑から、 (10月朝10時42分)

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