五、「教会とわたしたち」(374)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その15)
8 人生の幸・不幸は良き者の上にも、悪しき者の上にも等しく降りかかる。
~同じように揺り動かされても、泥は悪臭を放ち、香油は芳香を放つのである。
9 善人も悪人も等しく矯正のむちを忍ばなければならない理由はいろいろある。
(前回ここまで)
・・・・・ヨブの場合のように、正しい者が現世の禍いによって苦しめられる理由が、他にもある。人間の魂は試みを受け、それによって報いを望むことなしにでも
神を愛するだけの信心があることが、十分明らかにされなければならないからである。
10 この世の財貨を失っても、聖徒は何物をも失わない。
このように考えてみると、信仰を持ち神を知っている者には、転じて善とならないようないかなる禍いが起こり得るかを問うがよい。もちろん、使徒パウロが「神
を愛する者たちには、すべてが益となる」(ローマ8・28)と言っているのは、単なる空いばりだと考えるなら話は別であるが。彼らがかつて持っていたものを彼
らはすべて失ってしまったであろうか。彼らの信仰、彼らの宗教、あるいは神の前に富んでいる内なる人の宝を、彼らは失ったであろうか。これこそはキリスト
信者の真の財宝なのである。・・・・・戦火が収まったとき、多くの者は彼らの財貨を巧みに隠し、ついに敵の手に渡すことがなか~(つづく) (教団出版「神の
国」出村彰訳1968)