ふと思った事なんですが、種の世界には「自殺」という観念は無いのだろうか?
福田監督曰く、前作SEEDのキラは日本人的なキャラクターとして描いた、との事でしたが、彼は極度の孤独に耐えながらも生きる道を選びましたからね。
普通の16歳の日本人だったら「死ぬ」という選択肢もあったのではないかと思うんですがねぇ。
種で混沌とする現代社会を描きたかったのであれば、こういった生々しいシーンを入れても面白かったのではないかと。
フラガやマリューみたいな都合の良い時にだけ正論を振りかざす(現代社会を代表する様な)大人達がどのような対応をするのかも楽しみなところ。
種運命においては悟りを開いたキラやアスランが、
『君(お前)が死んだら悲しむ人間がいる事を忘れるな!』
とか言って死のうとするシンを説得しようとするが、
『生きているだけでも人を悲しませる人間もいるんだよ!』
みたいな感じでキラやアスランの理想論に疑問符を呈して欲しかったな、と。
ぶっちゃけ、キラもシンも人の話を聞かない点では同じですからね。
己の言動を信じて止まないキラに疑念を抱かせる存在がシンだったら最高だったのになぁ、と思う次第です。
福田監督曰く、前作SEEDのキラは日本人的なキャラクターとして描いた、との事でしたが、彼は極度の孤独に耐えながらも生きる道を選びましたからね。
普通の16歳の日本人だったら「死ぬ」という選択肢もあったのではないかと思うんですがねぇ。
種で混沌とする現代社会を描きたかったのであれば、こういった生々しいシーンを入れても面白かったのではないかと。
フラガやマリューみたいな都合の良い時にだけ正論を振りかざす(現代社会を代表する様な)大人達がどのような対応をするのかも楽しみなところ。
種運命においては悟りを開いたキラやアスランが、
『君(お前)が死んだら悲しむ人間がいる事を忘れるな!』
とか言って死のうとするシンを説得しようとするが、
『生きているだけでも人を悲しませる人間もいるんだよ!』
みたいな感じでキラやアスランの理想論に疑問符を呈して欲しかったな、と。
ぶっちゃけ、キラもシンも人の話を聞かない点では同じですからね。
己の言動を信じて止まないキラに疑念を抱かせる存在がシンだったら最高だったのになぁ、と思う次第です。