本日も2つ目の記事です。
この週末は金曜日に夏休みを取って3日間梅干し作業。
地味な夏休みです。
その話題はまた後日。
・・・後日わざわざするほどのことでもないんですけど。
さて、下北半島旅行もこれで終わります。
いよいよ行きますよ、あの場所へ。

本州最北の半島であり標高が少し上がることもあってまだ紫陽花が咲き始めだったりします
でも意外に暑いのよ

到着

泣く子も黙る(?)恐山
恐山は日本三大霊山・日本三大霊場・日本三大霊地の一つ
862年に慈覚大師 が開山したそうです
ここでアクシデント発生。
私のかわいいEOS40Dのスイッチが入らない!
うんともすんとも動かない~~~
もしや恐山に呼ばれた霊が写真を嫌っている?
オカルトだわ
なんてわけはなく
レンズを換えた時に接触が悪かっただけ
ちゃんちゃん♪
お騒がせいたしました。
写真が少し暗いのは明るさを抑えた設定を治すのを忘れてたのと逆光に弱い超広角レンズを使っていたからです。

連休からの恐山大祭の準備をしている模様
亜硫酸ガスが吹き出し硫黄が地面を染め草木の茂らない荒涼とした風景
これだけでも霊場を思わせるに十分
訪れた人たちが重ねた石、風車、遺品やお供え物・・・
霊の気配というよりは失った人に対するたくさんの思いがここに置かれているよう
そんなわけで怖いので写真はあまりなし
何か写ってるように見えちゃったらいやだもーーーん
心霊的な物って信じないんですがなぜか怖がりな矛盾してる私

殺伐とした雰囲気に風車が異様

静かにブルーからエメラルドグリーンの水を湛える美しい宇曽利山湖(宇曽利湖)は神秘的
砂浜のような白い岸辺にもお供え物や遺品が
強酸性の水が流れ込み湖底からも硫化水素が噴出しているこの湖には魚類ではウグイだけが生息する

霊を呼び寄せるというイタコの口寄せ

三途の川にかかる太鼓橋

すぐ近くに向こう岸にのびるように並ぶ杭が
何であるかは不明
荒涼とした風景の割りには地熱のせいか?この地面が白く太陽光を反射するせいか
やけに熱くて汗だくになる恐山でした
帰ってきてからwikiを見たら「真夏は日照と地熱により熱射病になりやすい」とちゃんと書いてありました。
読むの遅いわよ。。。
2日目の観光も終わりこれで下北半島の名勝地はお猿のいる脇野沢以外は制覇しました。
今日のお宿は恐山から近い薬研温泉です。
恐山の境内にも温泉施設があって硫黄泉なのですが薬研温泉は無色透明で香りもなしのサラサラ湯
特にグルメもないものの適量の食事で満足。
何もない山の中では可もなく不可もなくといったお宿でした。
最終日の朝、もう後は帰るだけ。
ちょっとだけ時間があるので薬研渓流を歩いてみたり。


ひばの原生林に囲まれた薬研渓流の森林浴はひばの香りとで癒されます
トロッコで木材を運んだと思われる残された線路
線路の写真から始まって線路の写真で閉じるこの旅

田舎の古い駅舎を想像していたら案外新しくきれいだった下北駅

下北駅は下北半島を「まさかり」にたとえるなら刃の部分のつけ根が下北駅
そこから北東の突端が最初に行ったお馬のいる尻屋崎
西北のてっぺんが大間そこから南下して南端との間ぐらいのところが仏ヶ浦
恐山は下北駅から少し北
3日間(といっても正味丸二日)の走行距離300km弱かな?

帰りの大湊線は冷房なしの扇風機
暑いよっ!
そして埼玉に帰ってみたらさらに暑かったのでした。
アクセスの不便さでなかなか行けない下北半島ですが、思っていたよりずっと道路は快適で楽しい旅でした。
お車でお出かけの方は急に道路が狭くなっていたりする場所もありますのでどうぞお気をつけて。
長々旅日記、見ていただいてありがとうございました。
この週末は金曜日に夏休みを取って3日間梅干し作業。
地味な夏休みです。
その話題はまた後日。
・・・後日わざわざするほどのことでもないんですけど。
さて、下北半島旅行もこれで終わります。
いよいよ行きますよ、あの場所へ。

本州最北の半島であり標高が少し上がることもあってまだ紫陽花が咲き始めだったりします
でも意外に暑いのよ

到着

泣く子も黙る(?)恐山
恐山は日本三大霊山・日本三大霊場・日本三大霊地の一つ
862年に慈覚大師 が開山したそうです
ここでアクシデント発生。
私のかわいいEOS40Dのスイッチが入らない!
うんともすんとも動かない~~~
もしや恐山に呼ばれた霊が写真を嫌っている?
オカルトだわ
なんてわけはなく
レンズを換えた時に接触が悪かっただけ
ちゃんちゃん♪
お騒がせいたしました。
写真が少し暗いのは明るさを抑えた設定を治すのを忘れてたのと逆光に弱い超広角レンズを使っていたからです。

連休からの恐山大祭の準備をしている模様
亜硫酸ガスが吹き出し硫黄が地面を染め草木の茂らない荒涼とした風景
これだけでも霊場を思わせるに十分
訪れた人たちが重ねた石、風車、遺品やお供え物・・・
霊の気配というよりは失った人に対するたくさんの思いがここに置かれているよう
そんなわけで怖いので写真はあまりなし
何か写ってるように見えちゃったらいやだもーーーん
心霊的な物って信じないんですがなぜか怖がりな矛盾してる私

殺伐とした雰囲気に風車が異様

静かにブルーからエメラルドグリーンの水を湛える美しい宇曽利山湖(宇曽利湖)は神秘的
砂浜のような白い岸辺にもお供え物や遺品が
強酸性の水が流れ込み湖底からも硫化水素が噴出しているこの湖には魚類ではウグイだけが生息する

霊を呼び寄せるというイタコの口寄せ

三途の川にかかる太鼓橋

すぐ近くに向こう岸にのびるように並ぶ杭が
何であるかは不明
荒涼とした風景の割りには地熱のせいか?この地面が白く太陽光を反射するせいか
やけに熱くて汗だくになる恐山でした
帰ってきてからwikiを見たら「真夏は日照と地熱により熱射病になりやすい」とちゃんと書いてありました。
読むの遅いわよ。。。
2日目の観光も終わりこれで下北半島の名勝地はお猿のいる脇野沢以外は制覇しました。
今日のお宿は恐山から近い薬研温泉です。
恐山の境内にも温泉施設があって硫黄泉なのですが薬研温泉は無色透明で香りもなしのサラサラ湯
特にグルメもないものの適量の食事で満足。
何もない山の中では可もなく不可もなくといったお宿でした。
最終日の朝、もう後は帰るだけ。
ちょっとだけ時間があるので薬研渓流を歩いてみたり。


ひばの原生林に囲まれた薬研渓流の森林浴はひばの香りとで癒されます
トロッコで木材を運んだと思われる残された線路
線路の写真から始まって線路の写真で閉じるこの旅

田舎の古い駅舎を想像していたら案外新しくきれいだった下北駅

下北駅は下北半島を「まさかり」にたとえるなら刃の部分のつけ根が下北駅
そこから北東の突端が最初に行ったお馬のいる尻屋崎
西北のてっぺんが大間そこから南下して南端との間ぐらいのところが仏ヶ浦
恐山は下北駅から少し北
3日間(といっても正味丸二日)の走行距離300km弱かな?

帰りの大湊線は冷房なしの扇風機
暑いよっ!
そして埼玉に帰ってみたらさらに暑かったのでした。
アクセスの不便さでなかなか行けない下北半島ですが、思っていたよりずっと道路は快適で楽しい旅でした。
お車でお出かけの方は急に道路が狭くなっていたりする場所もありますのでどうぞお気をつけて。
長々旅日記、見ていただいてありがとうございました。
それにしてもなんで「恐山」なんて名前にしたんですかね?
慈覚大師かぁ。
最近よく思う事ですが、昔の高僧って呼ばれる人達に会って話を聞いてみたいなぁ・・と。
今の坊さん達に不満はないのかなぁ・・とかどんな世界観、倫理観、人生観をもって生きていたのかとかとっても興味があります。
湖に謎の消え行く杭の道・・怖い 笑
人間の想像力は理性を凌駕する!
もっと、殺伐とした感じかと思ってた
これから先、行くことはあるかなあ。。。
梅干し干し頑張って~
アンズジャム渡さなきゃね~
週末は、立山行ってきます。
霊場 恐山の文字からもなにか発せられている感じです。
やっぱり一度行ってみたいわ。
いたこさんの口よせもすっごく興味あります。
私は霊的な感覚ないですがすごく惹かれるものあるんです。
恐山の名前は由来が2説あるんですが、一つは慈覚大師が修行中に鵜に導かれて湖を発見し「宇曽利湖」と名付けたことからここをウソレヤマと言うようになってそれが恐山となったという説、そしてもう一つはアイヌ語の湾を示すウショロなどから訛ったという説。
この湖は宇曽利山湖と標識にはあるのですが地元では宇曽利湖(山がつかない)と呼ぶそうです。
私は、慈覚大師が本当に湖に名付けたのかどうかは疑問ですが宇曽利湖から宇曽利山-恐山(おそれやま)になったのでは?と思います。
下北地方の人々は、人は死ぬと山に行くと言ったそうです。
でも、元々は地元の人たちは地蔵講と言って普通に無病息災や繁盛という御利益を願って参拝していたのが戦後マスコミがこの独特な風景を死霊の山とか煽って恐山信仰みたいなものが世間に広まったと書いているHPがありました。
ただ、恐山という名称は江戸時代の書物に記載があるようです。
さらに、もともとこの地方にイタコは存在したようですが、多く集まって有名になったのも戦後で割合歴史には新しいところだとか。
葵のご紋ってけっこういろんなところに使われているんですね。
うれしい~~~~♪
立山、楽しんできてね。
お天気もよさそうかな?
いい写真がいっぱいとれそうだね~
自分が旅行してきたばかりだけど、立山はちょっとうらやましい。。。
梅干し、まだ半分強干さなくちゃいけないのが残ってるのだわ。
そのせいか? そういったものにお会いしたことがないです(笑
会いたくもないけど。。。
恐山は死者の霊が、というよりは大切な人を失った人たちの心が少しでも救われる場所であって欲しいなと思います。
でも・・・どうなんだろ?
死者を思う人たちのお供え物や遺品はその人たちにとって気持ちのこもった大切なものなんだけどその場に置かれてその後は放置されれば自然を壊すものになってしまうのよね。
もっとも、定期的に管理の人たちが回収しているようですが。
回収したらちゃんと供養みたいなことしてくれてるのかなぁ?
ドクダミの花、綺麗です。
「恐山」の名前の由来もとても勉強になりました。私はアイヌ語説支持!だなぁ。
北海道だけじゃなく東北もけっこうアイヌ語由来の地名ってありそうですね。
残念なのは私の場合、帰ってきてから復習してわかることが多いということ。予習して行かなくちゃダメねー