朝、中央前橋駅近くのお花屋さん「花こう」のおかみさんが桃の花を二代目に届けてくれました。今日は桃の節句なんですね。
お天気なので、川干しの広瀬川を下りました。朝倉マンション脇、国道50号の橋の上からのぞいたら、作業員が流路の清掃作業をしていました。
広瀬団地の東に広瀬川と韮川の分水があります。左が広瀬川、ここから小屋原町を抜けてJR両毛線の駒形駅の南東で桃の木川を合流します。右が韮川、伊勢崎の南部を流れて旧境町で広瀬川に戻ります。
今日は、右の韮川沿いを走ることにして、対岸の道に戻りました。
対岸の道沿い、フサアカシヤがまっ黄色の花をつけています。あんまし好きな花ではありません。それに、この花をミモザとも呼びますけれど、本来のミモザは「オジギソウ」なので、これをミモザと呼ぶのは誤用だと、物識りの人から教えられました。
東善町、高崎駒形線の橋の上から見た韮川です。川岸の柵に布団が干してあるのがいいな、です。赤城山が見えるはずですが、霞の中でした。
伊勢崎市に入って、ここは宮郷、また大きな分水があります。左側の水門が韮川の本川、右の広い流路が韮川放水路です。下流での韮川の氾濫を防ぐために、放水路はここから真っ直ぐに利根川に向います。
きょうは、まず放水路沿いの道(対岸の道)を行くことにしました。
宮郷の水田、今は麦がすくすくです。この広い田んぼも、広瀬川の水が使われているのです。
上の宮町に入りました。水路脇に花ダイコンがもう紫の花をつけていました。
ビニールハウスの中をのぞいたら、何かが伸び始めています。ヒゲクマには枝豆に見えるのですが…
川岸にお社があります。倭文神社です。倭文は「しどり」と読むのだそうです。機織、養蚕の神様と聞いていますが、どうして倭文を「しどり」と読むのかは知りません。
小さな庚申様とお地蔵様がピンクのツバキの根元にありました。お供えもちゃんと。ヒゲクマは、この上の宮という集落がなんとなく好きです。良く分からないのですが、魅かれます。
韮川放水路はこの集落を真っ直ぐに抜けて、利根川に流れ込みます。右は韮川放水路が合流した利根川、下流の橋は伊勢崎と玉村を結ぶ五料橋です。
五料橋は国道354号、旧例弊使街道です。橋の東側は柴宿、倉賀野から三つ目の宿の跡があります。
柴宿の本陣跡です。門と大きな松の木が昔の面影を残していおるようです。
本陣前の道には、昔の水路が復元されているのですが、水が流れていません。そうなんです、この水路の水も、広瀬川の水が韮川を経由して使われているのです。だから、広瀬川の水が止まると、この小さな水路も枯れます。
芝町の水田、この田んぼももちろん広瀬川の水をつかっているんです。ここは、前橋から15kmほど離れていると思うのです。
芝町の田んぼを東に向って走って行くと、山王町との境に水の枯れた水路がありました。そうなんです、これが韮川の本川のなのです。
そうだ、皆さんに、広瀬川から分かれた韮川が広瀬川に合流(もどる)する風景をお目にかけましょう。
お腹も空いてきたので、一気に境町まで走って昼食にします。その後で…
お昼は境町の「とん子」という食堂でカツ丼を食べました。ご主人は豚のロースのブロックから肉を切り出して、ちゃんと検量をしていました。無口で真面目な人でした。美味しかったです。
広瀬川の中島橋(島村北向と境中島を結ぶ)の上から合流点を見ています。右の広いのが広瀬川、左のクレーンの見える橋の方向が韮川です。
中島橋は広瀬川の一番下流の橋、この橋から700メートルほど下で、広瀬川は利根川に合流します。広瀬川は前橋のまちの中から35キロほど下ると利根川に流れ込んでいるのです。
ここから、前橋のまちまで、韮川沿いを登っていこうと思います。
でも、長くなりすぎたので、ここでいったん記事をおしまいにして、次の記事にします。
伊勢崎の南部の田んぼを潤す韮川沿いの風景にご期待ください。
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