石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史16 喜多方市の佐原義連墓

2006年10月26日 | 会津の歴史

初代葦名氏「佐原義連墓」 喜多方市熱塩加納町

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県喜多方市熱塩加納町半在家 磐越西線喜多方駅から20分 

_023_1 文治5年(1589)から天正17年(1589)まで続いた会津の葦名氏は、初代佐原義連から始まります。この人物は、神奈川県三浦半島の三浦一族で、源義経とともに平家打倒に協力し、兵庫県の一の谷では、鵯越の逆落としで、義経とともに真っ先に駆け下りた人物として知られています。城は、横須賀市佐原の佐原城です。また、奥州平泉の征伐に協力し、その恩賞として会津などを貰います。平泉の帰り、会津に立ち寄ったとされ、会津若松市門田町中島に陣を張ります。その地は、後に幕内集落となります。墓は、横須賀市佐原の満願寺にあります。会津には「富田家年譜」によると、応永2年(1395)に葦名氏一族の佐原氏の本拠地であった半在家に供養等が建てられたとあります。現在県の史跡になっています。近くの阿寺沢には、満願寺跡もあり、東には佐原氏の青山城跡もあります。

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