鶴ヶ城西出丸の江戸時代建物配置。 会津若松市 国史跡
会津古城研究会長 石田 明夫会津若松市追手町1-1
若松城は、葦名氏が南北朝時代の文和3年(1354)に築いた小高木館、小田垣館が最初で、至徳元年(1584)に改修され黒川城と呼ばれるようになり増す。天文13年(1544)に大改修され、伊達政宗の改修、蒲生氏郷の文禄元年(1592)の天守閣と高石垣の大改修、蒲生秀行の慶長年間の改修、寛永18年(1641)の加藤明成の西出丸、北出丸、廊下橋西側の石垣改修があり、江戸時代には10回以上の改修がされています。西出丸には、建物が図にあるように配置されていました。この図は、若松県があった明治2年から6年の間に描かれたもので、江戸時代の建物取壊し以前を示しています。明治時代に新たに建てられた建物は新規建物と表記されています。
会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ