石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史27 会津五薬師「雨屋薬師」

2006年12月27日 | 会津の歴史

会津五薬師、南の薬師「雨屋薬師」

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市大戸町下雨屋

061224_019 会津五薬師は、中央薬師の国宝勝常寺、東の薬師は国史跡恵日寺、西の薬師は国重要文化財の宇内薬師、北の薬師は北山薬師、南の薬師は雨屋薬師です。南と西については、時代によって変化があります。五薬師は、平安時代に建立された薬師三尊を安置する恵日寺・勝常寺配下の寺院で構成されていますが、五薬師成立は不明です。「旧事雑考」には、会津美里町の国史跡「向羽黒山城跡」が築かれた永禄11年(1586)の漢詩「巌館銘」の中に、五薬師とあるのが最も確実で古い資料です。その時、南は火玉堂寺とありますが、その寺は、その後火災で廃寺となったことから、「耶麻郡誌」では、南の薬師を雨屋薬師としています。雨屋薬師は、石村・面川金山の上に立つ寺で、古代から金の採掘にかかわる寺として建てられています。この金山は、江戸前半の最盛期、蒲生時代には、1000戸が精錬に関わった村として造られ「新町」(現在は荒町)が造られたほどです。

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