石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史19 葦名家狸ヶ森廟

2006年12月08日 | 会津の歴史

会津の領主「葦名家狸ヶ森廟」葦名盛信墓 会津若松市 

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市東山町天寧

Photo_18 会津若松市の市街地南東の小田山山麓には、1189年から1589年までの400年間会津を支配した葦名氏の花見ヶ盛廟があります。16代盛氏、17代盛興、18代盛隆があります。墓は、塚状になるもので、直径約10メートルあります。上には、江戸時代に保科正之が作らせた五輪塔があります。なお、北側にもう1基葦名家の墓(未指定)があります。この廟の南には、現在宝積寺となっている葦名家の館跡の小田館跡があり、東側に寿山廟、そして葦名家の山城、小田山城があります。写真は、会津若松市東山町の天寧にある狸ヶ森廟で、天寧寺を開いた葦名盛信の墓です。

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