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石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の文化4  冬木沢のおんば様

2006年11月25日 | 会津の文化

八葉寺姥堂にある「おんば様」 会津若松市河東町冬木沢 

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市河東町冬木沢  会津若松ICから車で15分

2 冬木沢の八葉寺は、会津の高野山と呼ばれる空也上人が開いた霊場です。阿弥陀堂は国の重要文化財、奥の院に奉納された木製五輪塔は国の民俗文化財に指定されています。奥の院の前に建つ姥堂におんば様が安置されています。祭礼の8月1日から1週間だけこの堂に安置されます。極楽浄土の奪衣婆で、結界の意味があります。

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会津焼4  東北最古の磁器

2006年10月04日 | 会津の文化

東北最古の磁器 文化13年(1816)銘の白磁

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津美里町本郷 会津若松市の西隣に位置する町

Photo_14 江戸時代磁器は、九州伊万里の専売として知られ、各藩でも白磁の製法を盛んに研究していた。瀬戸では、文化5年(1808)に加藤民吉によって白磁が完成している。東日本では、「砕石手」(さいせきで)と呼ぶのが会津本郷窯で寛政12年(1800)に瀬戸より早く磁器化に成功します。しかし、白く焼くことはできませんでした。白磁に成功するのは、文化13年(1816)で、記念銘が書かれている「釘隠」(くぎかくし)が円通寺にあります。この年までに白磁が成功するのです。東日本で最も早い白磁の成功です。なお、宮城県白石市にも文化9年の白磁の徳利がありますが、その後の製品がほとんど無いことから、まだ実態は不明なため、会津本郷より早いとはまだ断定できないからです。

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会津焼3 会津本郷窯

2006年09月13日 | 会津の文化

東北を代表する近世の陶磁器窯 会津本郷窯(会津本郷焼)

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津美里町本郷 磐越道会津若松ICから30分 会津若松市の南西側

_016 会津は、東日本を代表する焼物の産地です、古代から中世にかけての須恵器と地優勢陶器を焼いた「会津大戸窯」、戦国時代の蒲生氏郷の時、天目茶碗などを焼いた大窯の「会津大塚山窯」、そして近世の「会津本郷窯」です。始まりは、若松城の黒瓦を焼いたのが始まりで、明確な始まりは判明しませんが、1600年の神指城築城時期までさかのぼる可能性があります。江戸時代の正保2年(1645)、保科正之の命により、須賀川市長沼の天神窯に居た水野源左衛門を会津に呼び、凍み割れに強い瓦の焼成を目指しました。そして、陶器も焼いたことから、このころより陶器の生産が開始されます。窯は、会津藩が管理し、御用窯と呼ばれ、その跡が今でも残っています。

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会津の文化1 湊町西田面の石像

2006年09月05日 | 会津の文化

湊町にあるキリシタン石像

会津古城研究会長 石田 明夫

猪苗代湖西岸、会津若松市湊町西田面

060611_005_1 会津には、キリシタン大名であった蒲生氏郷の影響によってキリシタンの信者が多くすんでいました。若松では1/3、猪苗代では8割がキリシタンとなっていた時があったと伝えられています。市内には3ヶ所教会の跡があり、その一つ湊町上馬渡には教会跡に「天子神社」が建てられています。西田面の興泉寺には、マリア観音のキリシタンの石像があります。また、上馬渡にはキリシタンの墓があります。。

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会津焼1 会津大戸窯 東日本最大の窯業地

2006年09月01日 | 会津の文化

東日本最大の焼物生産地 会津大戸窯(大戸古窯跡群)

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市大戸町 国道118号線沿い 会津若松の市街地から12キロ 磐越道会津若松ICから30分

Photo_7  会津大戸窯は、「大戸古窯跡群」が遺跡名ですが、会津焼きを代表する焼物であることから会津の名を付け、会津大戸窯と呼びます。福島県会津若松市にある窯業地で、会津焼とは、古代・中世の会津大戸窯、戦国時代の会津大塚山窯、近世の会津本郷窯を指すものです。会津大戸窯は、8世紀第3四半期から14世紀第2四半期まで焼物を焼いた窯跡で、奈良・平安時代では須恵器、平安末から鎌倉・南北朝時代までは中世陶器を焼いています。  窯跡は、須恵器窯が200基以上、中世陶器窯は36基、推定300から400基が存在するようです。須恵器の窯は、後半部分に段がつくもので長さ8メートル前後です。中世陶器窯は、12世紀代は須恵器系ですが、13世紀に入るとすぐに常滑窯や越前窯の瓷器系へ転換し、15メートルの大きさがあります。須恵器は、杯、盤、椀、甕、大甕、壺、擂鉢、長頸瓶、焼台、面円硯、浄瓶、相耳椀、平瓶、水瓶などが出土しています。中世陶器窯は、甕、大甕、壺、擂鉢を中心に卸皿、小壺、長方硯、焼台など出土しています。須恵器や中世陶器には、「神」「佛」「大万」「開」「布」「似」「田」など文字が刻字されたものがあります。流通範囲は、須恵器は、北は岩手県の胆沢城から南は東京都の落川遺跡まで多賀城跡などの国府や郡衙を主に有力な集落跡から長頸瓶を主に出土。中世陶器は福島県内南半分です。

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