新・交差点のらくがき

AIOLOSSの管理人 ちぇきの“らくがき”程度の日記です。

フッ、ガキの頃の思い出さ。

2007年05月12日 | ちぇき事
小学生の頃、女子の同級生が





『血小板減少性紫班病』





ってのになって亡くなりました。


子供の頃だったので詳しくは覚えていませんが、

血小板減って、血がが固まらなくなる病気だったそうです。

最終的には脳内出血で亡くなったと聞きました。


その友達は6年途中で学校に来なくなり、中学も殆ど行ってませんでした。

わたくしは小学校卒業と共に引っ越したので、中学は別々でした。

でも亡くなる1ヶ月前に手紙を貰いました。

でも面倒で返事は書いていませんでした。

だから お葬式の日に手紙を書いて渡しました。

しばらくして、彼女が返事を愉しみにしていたと聞きました。

申し訳ないことをしたと かなり最近まで後悔していました。


決して忘れてた訳ではありませんが、ふと思い出しました。

だから献血に行こうと思ったのかもしれません。

・・・・・よく覚えていませんが。

たまにはいい事しようかなと思っただけかもしれません。


“2回目、行きます”


そんなタイトルでブログを書けるように頑張ります。






血小板減少性紫班病は、今では治ると聞きました。


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5 コメント

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Unknown (遊馬)
2007-05-12 01:38:19
こんばんは!mixiから来ました!
私の娘も突発性血小板減少性紫班病に生後6ヶ月罹りましたが 小学校上がる頃にどうにか完治しました。
生後5ヶ月の時に 顔、身体に紫の発疹が出来なんだろうと 町医者に診せたところ『はしか』いわれて大事に至らないとのことでしたが、1週間たっても発疹が消えなく 再度町医者にいったら 今度は三日ばしかとの診断?それでも発疹が引かなく再度診察へと 先生慌てて 国立病院へと搬送!そこでの診断の結果は突発性血小板減少性紫班病でした!もう少し国立病院に来るのが遅かったら命の危険が有ったほどの重傷で、普通の人で血小板が20万だったか?有るところが娘は9000位しか無く危険な状態でした!国立病院でも手に負えなく、虎ノ門病院へと移し 名医にての処置で今は そんの大病を患った子には見えないくらい元気に仕事だ、バイクだと人生楽しんます(汗^^

ちぇき&はにぃさんのご友人は短い人生ではあったのですが、本当に今は完治できる病気だそうですね!
心残りな出来事も有ったみたいですが、ふと 思い出したとは、なにか良いことをしたいとかと、ちぇき&はにぃさんの心優しいお気持ちからだったのですね~(^^)

長々とすいません!チョイとコミュからお邪魔したら、突発性血小板減少性紫班病の事に触れていたので反応してしまいました(^^)

では!



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お久しぶりです (うっきー)
2007-05-12 13:20:24
何か読んでいて切なくなりました。
献血!!いいことです!!
うちの旦那も最近献血したそうです。
私は毎回比重が軽く(貧血気味)献血に貢献できません。。。どうやったら成分の濃い血液になるんでしょうねぇ?
あ、レバーキライです。
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Unknown (ちぇき)
2007-05-12 22:37:42
>遊馬さん
もう25年くらい前の話で、今まで聞いたことのない病名で、とてもよく覚えています。
でも当時は助からない病気でした。

彼女たち、当時の患者さんたちのお陰で、今は治る病気になったのだと思います。(結核とかもそうですからね)
遊馬さんのお子さんは完治されてよかったです。
今度はバイク等で事故など起こさないように、気をつけるようにとお伝えください。
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Unknown (ちぇき)
2007-05-12 22:41:08
>うっきーさん

まータイトル通りの“ガキの頃の思い出”です。

『死んだ人は、この世からいなくなっても、
 覚えている人がいる限り、生きている。
 覚えてる人がいなくなった時に、はじめて死ぬんだ。』

と思っています。


献血、また行ければいいと思います。
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私も (マイナナママ)
2007-05-17 11:36:42
なんだか、ジーンとしてしまいました。
覚えてて献血してくれるちぇきさんってほんと優しいね。私もそんな優しい人間になりたいです。
日々の生活に追われてて、あせっていたけど
ふっと立ち止まって大事なことを考えるきっかけがもらえました。
感謝です♪
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