
殉難の祖先悼む 江別でアイヌ民族が墓前祭
2009年06月21日
祖先の霊に食事をささげるお祈りをする遺族の1人で祭司の田澤守さん(手前右端)=江別市対雁
■樺太から強制移住、病で404人死亡
樺太先住民のアイヌ民族841人が明治期に強制移住先の江別市内で集団伝染病に見舞われ、404人の同胞を失った事件を悼む第30回樺太移住殉難者墓前祭が20日、同市対雁(ついしかり)の市営墓地であった。犠牲者の子孫や地元の人々ら約70人が参列。遺族らは戦後に遺骨を弔ってきた浄土真宗・真願寺の僧侶とともに、仏式とアイヌ古来の様式の2通りで祖先の供養をした。
1875(明治8)年の樺太千島交換条約で樺太がロシア領となり、当時の北海道開拓使は樺太アイヌを道内開拓に使おうと、宗谷地方経由で現在の江別市対雁に強制移住させた。慣れない土地で10年後にはコレラや天然痘が流行し、半数近くが亡くなった。
その後、南樺太に帰った人や道内各地に離散する人が出る中、事件も歴史のはざまに埋もれていった。だが、戦後、研究者による史実掘り起こしや現場での遺骨発掘、真願寺保存の過去帳発見などがあり、遺族らが79(昭和54)年、第1回墓前祭を開催。今回、30回を迎えた。
アイヌ長老会議の小川隆吉議長は「平和の象徴として生きてきたアイヌの歴史を、人権の学習としても後の世代に伝えていく」とあいさつ。今年初めて遺族代表になった津山典征さん(53)は「(アイヌ文化を守るために)何もしてこなかったことが恥ずかしい」と言葉少なだった。

2009年06月21日
祖先の霊に食事をささげるお祈りをする遺族の1人で祭司の田澤守さん(手前右端)=江別市対雁
■樺太から強制移住、病で404人死亡
樺太先住民のアイヌ民族841人が明治期に強制移住先の江別市内で集団伝染病に見舞われ、404人の同胞を失った事件を悼む第30回樺太移住殉難者墓前祭が20日、同市対雁(ついしかり)の市営墓地であった。犠牲者の子孫や地元の人々ら約70人が参列。遺族らは戦後に遺骨を弔ってきた浄土真宗・真願寺の僧侶とともに、仏式とアイヌ古来の様式の2通りで祖先の供養をした。
1875(明治8)年の樺太千島交換条約で樺太がロシア領となり、当時の北海道開拓使は樺太アイヌを道内開拓に使おうと、宗谷地方経由で現在の江別市対雁に強制移住させた。慣れない土地で10年後にはコレラや天然痘が流行し、半数近くが亡くなった。
その後、南樺太に帰った人や道内各地に離散する人が出る中、事件も歴史のはざまに埋もれていった。だが、戦後、研究者による史実掘り起こしや現場での遺骨発掘、真願寺保存の過去帳発見などがあり、遺族らが79(昭和54)年、第1回墓前祭を開催。今回、30回を迎えた。
アイヌ長老会議の小川隆吉議長は「平和の象徴として生きてきたアイヌの歴史を、人権の学習としても後の世代に伝えていく」とあいさつ。今年初めて遺族代表になった津山典征さん(53)は「(アイヌ文化を守るために)何もしてこなかったことが恥ずかしい」と言葉少なだった。
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