昨日、櫻井先生の語りセミナーに参加してまいりました。
通常は、連続講座ですが、今回は、特別講座ということで参加が可能でした。
良い時間を持てました。
「語りとは」について深く考える貴重な学びとなりました。
参加者全員が、「語る」ことについて、それぞれの人生の中で、まっすぐ向き合い勉めている真っ只中にいて、先生の話に熱心に眼差しを向け耳を傾けていました。
私が最初に先生の語りを聴いた時、(すでに35年以上の語り歴でしたが)その、柔らかな表情、温かい声、美しい日本語、優しさとユーモアがひとつになって、内側からにじみ出てくる語りに本当に心が和み、良い気持ち、楽しい気持ちになりました。
この講座では、その語りの根底に置いているものを、大事なことを、様々な土地でたくさんの人たちに語ってきた先生のご経験からお話ししてくれるのです。
とりわけ、外国をたくさん訪問されて、その土地のストーリーテラーをよくご存知で、楽しいエピソードを交えてのお話しはとっても楽しいのです
さて講座ですが、最初に、発声や、鼻濁音の言葉を丁寧に学習しました。
言葉についての学習が、今の学校教育は希薄になっていることを指摘されていました。
言葉の意味を知り、文章をしっかり音声にしていく時、鼻濁音の発音はとても大事だと思いました。
「語る人たるもの、この鼻濁音しっかり発音してくださいね。」と優しい笑顔で、
でも、ぴしゃりと教えられました。
これは、日本語の美しさのひとつだと心に留めました。
そして、先生の語り。
「夏の終りから秋の初めに合うお話しはね~そうね~いろいろたくさんあるのよね」と言いいながら、ちょっとぞくっとするイギリスの怖い話と日本の笑い話。
お話しているそばから、笑ってしまい、手をたたいて喜んでしまいました
それから、これは難題でしたが、「昔話を語るとき、書かれた本の通りに語ることが良い」について、その通りかそうでないかのディベートを行いました。
もちろん、両サイドに立って。
私としては、昔話は口承文学であるから、語り伝えられたお話しをイメージし、自分の言葉でもう一度考え補い、その想いを伝えたい方です。
「書かれた通りに語るのが良い」を押し通していく側になった時は、苦しかったです。
しかし、皆さんの意見、苦しんだ自分の意見を考えた時、その裏側に「語り」というものの本質が浮かびあがってきたように思いました。
ディベートをしながら、おはなしそのものの想い、作家の想い、歴史観、日本語の音声、時代性、解釈の相違、イメージ、語り手の想い、喜び、願い、など様々なことが飛び交う中で、語りの終点には、まだまだ、到着できませんが、「語り本来の姿」が光となって私の心には輝きました。
こういう「語るということに向き合う」考えるヒントを、先生はおもしろい題材で、強制することなく投げかけてくださいます。
「語り」をはじめよう、知ろう、学ぼうという方がいらっしゃいましたら、櫻井先生の講座に参加してみるとよいと思います
先生がこんな言葉を投げかけてくれるでしょう。
「語りというのは、字の中にあるのではない。口の上にある」と。
「自分の語り」を見つけられる、大切なものを、それぞれに必要なものに触れることが出来るでしょう。
9月1日、新学期の初日に、この講座に参加できたこと本当に良かった。
先生から聴いた「日本の笑い話」。
この秋、お伝えします!お楽しみに。
愛依の風バージョンでね
通常は、連続講座ですが、今回は、特別講座ということで参加が可能でした。
良い時間を持てました。
「語りとは」について深く考える貴重な学びとなりました。
参加者全員が、「語る」ことについて、それぞれの人生の中で、まっすぐ向き合い勉めている真っ只中にいて、先生の話に熱心に眼差しを向け耳を傾けていました。
私が最初に先生の語りを聴いた時、(すでに35年以上の語り歴でしたが)その、柔らかな表情、温かい声、美しい日本語、優しさとユーモアがひとつになって、内側からにじみ出てくる語りに本当に心が和み、良い気持ち、楽しい気持ちになりました。
この講座では、その語りの根底に置いているものを、大事なことを、様々な土地でたくさんの人たちに語ってきた先生のご経験からお話ししてくれるのです。
とりわけ、外国をたくさん訪問されて、その土地のストーリーテラーをよくご存知で、楽しいエピソードを交えてのお話しはとっても楽しいのです
さて講座ですが、最初に、発声や、鼻濁音の言葉を丁寧に学習しました。
言葉についての学習が、今の学校教育は希薄になっていることを指摘されていました。
言葉の意味を知り、文章をしっかり音声にしていく時、鼻濁音の発音はとても大事だと思いました。
「語る人たるもの、この鼻濁音しっかり発音してくださいね。」と優しい笑顔で、
でも、ぴしゃりと教えられました。
これは、日本語の美しさのひとつだと心に留めました。
そして、先生の語り。
「夏の終りから秋の初めに合うお話しはね~そうね~いろいろたくさんあるのよね」と言いいながら、ちょっとぞくっとするイギリスの怖い話と日本の笑い話。
お話しているそばから、笑ってしまい、手をたたいて喜んでしまいました
それから、これは難題でしたが、「昔話を語るとき、書かれた本の通りに語ることが良い」について、その通りかそうでないかのディベートを行いました。
もちろん、両サイドに立って。
私としては、昔話は口承文学であるから、語り伝えられたお話しをイメージし、自分の言葉でもう一度考え補い、その想いを伝えたい方です。
「書かれた通りに語るのが良い」を押し通していく側になった時は、苦しかったです。
しかし、皆さんの意見、苦しんだ自分の意見を考えた時、その裏側に「語り」というものの本質が浮かびあがってきたように思いました。
ディベートをしながら、おはなしそのものの想い、作家の想い、歴史観、日本語の音声、時代性、解釈の相違、イメージ、語り手の想い、喜び、願い、など様々なことが飛び交う中で、語りの終点には、まだまだ、到着できませんが、「語り本来の姿」が光となって私の心には輝きました。
こういう「語るということに向き合う」考えるヒントを、先生はおもしろい題材で、強制することなく投げかけてくださいます。
「語り」をはじめよう、知ろう、学ぼうという方がいらっしゃいましたら、櫻井先生の講座に参加してみるとよいと思います
先生がこんな言葉を投げかけてくれるでしょう。
「語りというのは、字の中にあるのではない。口の上にある」と。
「自分の語り」を見つけられる、大切なものを、それぞれに必要なものに触れることが出来るでしょう。
9月1日、新学期の初日に、この講座に参加できたこと本当に良かった。
先生から聴いた「日本の笑い話」。
この秋、お伝えします!お楽しみに。
愛依の風バージョンでね