緑のカーテンとゴルわんこ

愛犬ラム(ゴールデンレトリバー)との日々のあれこれと自然や植物、
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土本典昭氏お別れの会

2008年07月27日 | 映画
昨日の夜、一ツ橋の如水会館で今年6月24日に亡くなられた土本典昭監督のお別れの会が行われました。

糖尿病はあったものの、今年の初めまでとくに大きな病気はないとご本人もご家族も思っていられたのに、腰の痛みを訴えられ散歩にも出られなくなり、GW明けにやっと診察を受けた総合病院で、肺がんの診断を告げられたとのこと。
しかも脊椎に転移していて治療の方法もなく、後は緩和ケアのみという辛い診断だったとの娘さんからのお話がありました。
娘さんが以前から知りあいだった千葉県千倉にあるホスピスに移し、海の見える静かな環境で、旅立ちのときまでご家族の看護を受け、小康をえて穏やかに過ごされたそうです。

土本監督は、水俣病のドキュメンタリーをずっと撮ってきた記録映画作家で、海への思い入れは強いお方だったので、房総の海だったとしても波の音の聞こえる地で最後を迎えられたことは、よかったなと思いました。しかし、発病から診断、転院、看病、みとりの2ヶ月半を思うと、ご家族の大変さがひしひしと伝わってくる娘さんのお話でした。
でも、まさに土本監督のお嬢さん、冷静に的確にその間の事情を私達参列者にドキュメントしてくださいました。ありがとうございます。いろいろな方とのお別れの席に列席してきましたが、亡くなられるまでの日々や経過をけして興味本位ではなく、きちんと知りたいなといつも思います。ご遺族からきちんとお話があるときもあれば、よくわからず、尊敬している方であればあるほど、その最後のときはどうだったのだろうと消化不良の思いで、帰路につくときがあります。その点では、昨日のお別れの会は、本当にその闘病の日々が、よく伝わってくる素晴らしい会でした。

土本監督は、私にとって、日本のドキュメンタリー映画の素晴らしさを教えてくれた恩人のような方です。海外にも素晴らしいドキュメンタリー映画はたくさんあるのですが、日本のドキュメンタリーは独特な人間の描き方をしていると私は思います。「極北のナヌーク」「アラン島にて」などの歴史に残る記録映画を残したロバート・フラハティーに匹敵する作品が、日本にはあると思っています。

成田空港反対運動を描いた小川紳介監督の「三里塚シリーズ」(私は「三里塚の夏」が特に好きです)、「人間蒸発」「からゆきさん」などの記録映画の常識を覆した今村昌平監督(今村監督はカンヌ映画祭で二度も受賞している劇映画の巨匠なので記録映画作家という言い方はおかしいのですが)、他にもたくさんの記録映画作家がいるのですが、私が一番心を揺さぶられたのは、土本監督の「不知火海」に出てきたシーンです。静かな美しい水俣の海が見える海岸で、胎児性の水俣病で身体も思うように動かせない歳若い女性が、「一番辛いことは、体が動かないことでもない、言葉がはっきり話せないことでもない、この水俣の海を見てもきれいだなと思えないことだ。きれいだなと思えるようになりたい。この頭の中を治してほしい」と聞き取りにくい言葉で必死に話すシーンです。

このシーンを描くことで、チッソという営利企業が、行政担当の熊本県が、本当なら国民の命と尊厳を守らなければいけないはずの日本という国が、水俣に生きる人々になにをしてきたのか、なにを壊してきたのかが、心に突き刺さるように表されたのでした。

私は特に政治的な人間ではないし、難しいこともあまり考えない、楽しいことが大好きなミーハーなところもいっぱいある人間(でも、自分ではそれがいいと思っています)ですが、でも、今、自分が生きているこの国でなにが起きていて、なにを知っておくべきか、そして、何か発言しなければいけないときには、自分の頭で考えて、つたなくても自分の意見をしっかりと持ちたいと思っています。

そうした私にとって、土本氏は本当に尊敬にたる素晴らしい人だったと、今、改めて思っています。土本さん、「不知火海」を作って、私たちに見せてくれて、本当にありがとうございます。そして、昨日の会で、水俣の患者さんを代表してご挨拶された方が土本監督とのエピソードを紹介され、「水俣に来た外部の人間で、不知火海を「しらぬひかい」と発音してくれたのは、土本監督だけだった」という話を聞き、土本さんの当事者に本当に寄り添う真摯さにうたれました。これからは私も「しらぬひかい」と発音しようかなと思っています。

亡くなられた後、この7月に出版されたばかりの土本監督の本「ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話」が受付で販売されていました。その本を購入して、会場を後にしました。
電車の中には、花火帰りの浴衣姿の若い男女がたくさん乗り合わせていて、平服とはいえ、黒っぽい服に身を包んだ私は、なんとも場違いな雰囲気でしたが、私の胸の中はとても満たされていました。「諦めが肝心だ」と奥様に話していられたという土本さんの晩年のご様子から、人間はいつか必ず死ぬのだな、こんな当たり前のことが、胸の奥にすとんと落ちてきた夏の夜でした。


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