エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#ベラの卓見

2021-08-09 06:40:44 | エリクソンの発達臨床心理
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #神様の一言

 #望みなき人生 #忖度だらけ #自分の気持ちが分からない #人の気持ちが分からない 現世考 : #国家の破滅 #福田元首相は断ずる #正鵠を射る      発......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、

MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。

としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。

それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。

 

 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』  p.149の最後のパラグラフから。
 
 今朝は、p.151,第2パラグラフ,17行目から。

 
 
 
 
 この心の時空は,これまで申し上げて来ましたように,《本当の私》が体験したことを話し言葉が1つの見通しの中で1つにする道に基盤を持たなくてはなりません《本当の私》が体験したこととは,「眼の前で」相対しているもの,「少し先」にあるもの,「背後に」あるもの,「後ろから来る」ものを試すことから得られることです。それから,前や背後の「上」のあるもの、背後や前の「下」のあるもの、や、こういった《本当の私》の周り全てが、どのような感情をそれぞれ帯びているのか? ということです。畏敬する気持ちと恐れる気持ち,願いと不安,望みと危機場面,攻撃したい気持ちに逃げ出したい気持ち,大事にしたい気持ちと激しい怒りをぶつけたくなる気持ち。これらの気持ちを帯びた様々な生きる目当ての中で,《生きていることを実感している私》は,人生の実験の当事者に踏みとどまることになっています。人生の実験の当事者は、自分で選んでいることを実感していながら、同時に,自分は選ばれて、しかも、とても尊いとされていることも実感しています
 1つの仲間となる《生きている実感のある私》2人が、お互いに対立するのではなく,いのちが一巡するようにするのは,約束の仕業です。約束の見通しと関係する大昔からある言葉が,このことを証明しています。「ヴェーダ」や「神のご計画(神の仕業)」,歴史に理想像,その人ならではの個性や割り切れなさ,どこから見るのか,何がハッキリとしたことなのか,善い見通し,という言葉が,2人が,いのちが一巡するようになるのは,約束の仕業であることをハッキリと示しています。したがって、人が発達する見通しは,無意識にある,最も不可思議で,何方にもある希望に対して切実な魅力をもつことになってきました。また,人が発達する見通しは,子どもの頃を通じて,毎日礼拝が育む見通しに対しても,切実な魅力をもつことになってきました。人が発達する見通しは,不動の静かさを創造する聖書の神様のご計画が示す言葉とスビリットにビッタリと一致しています。人が発達する見通しは,不動の静かさを創造する聖書の神様のご計画が示す言葉とスビリットにビッタリと一致した時初めて,人が発達する見通しは,人が発達し人類皆兄弟となるエネルギーに目覚める時に適った力を生み出します。時に適った力は,物を深く見て,人類皆兄弟に目覚めた人に与えられる最高の恵みです。
 自ずとハッキリするのは,こういった畏れ多いことを議論する際に私がお役に立つのは,ここで申し上げた,人が発達する見通しの一番大事な判断基準をお示しすることだけだ、ということです。一番大事な判断基準とはすなわち,子どもの頃を通して育った,2つに分けることができない私の時空が,ほとんど無意識に求めている欲求に,人が育つハッキリとした見通しがビッタリと心響く,ということです。もっとも,アメリカン・ドリームにある場を指摘した時,人々の夢が,夢の大事な品質を得ると同時に,悪夢にもなることを強調したのはまずかったかもしれません。これは,初めに引用した著名なニュース解説者が問うていることとピッタリ同じです。ですから,その問いの答えも,私ども人間全てが真実を生きるいのちの一巡なのかもしれません。
 ロバート・ベラの目覚ましい記事「私がアメリカ人の市民宗教と呼んでいる,信頼とシンボルと礼拝のある,みんなの宗教の懐深さ」の記事から,最初のリードを取り上げてみましょう。ベラは「市民宗教」という言葉をルソーの『社会契約論(仲間の約束)』から借りています。ルソーの『社会契約論(仲間の約束)』では,みんなの宗教の懐深さは,「生きている聖書の神様」,あの世,善行にはご褒美,悪行には罰,宗教的不寛容の排除,を大切にする,と言われます。ベラが特に注目したのは,大統領就任式こそ,「アメリカの市民宗教で一番大事な礼拝儀式だ。大統領就任式は,なかんずく,政治的最高権威を宗教的に生み出すことだ」ということでした。
 ベラが描いたことは,アメリカ人の見通しの中に大事なヌミノースが,ゲッティスパーグ演説に最も深く,ジョージ・ワシントンによって、聖書の言葉と一番ピッタリと,確かに見通せることです。ジョージ・ワシントンは,アメリカという国を,「アメリカの市民の手に聖書の神様が委ねた実験」と呼んでましたからね。ワシントンがそう言った日以来,私どものアメリカの大統領は,正しく神に選ばれ(正しく選挙で選ばれ),新しい人に発達創造される見通しを新たにする礼拝を始めました。新しい人に発達創造される見通しを新たにする礼拝は,新しい持ち場,新しい前身,偉大な仲間などの新しい名前を生み出しことになります。ですから,新しい名前によってキッパリ明らかになるのは,アメリカ人は本当の自分を私のエースに繰り返しできる,ということです。ベラが指摘したことは,大事なことですが,矛盾している様にも見えます。すなわち,「宗教的な信頼,礼拝,絆の関することは個人的なことと考えられていますが,同時に大部分のアメリカ人が共に抱く宗教的な指針に共通する大事でもあります。」 聖書の神様のいのちに恵まれますと,昔ながらの人の育ちに対する見方から,(訳注:「道徳の支配なくして自由の支配を打ち立てることは出来ない。信仰なくして道徳に根を張らすことは出来ない」(『アメリカのデモクラシー』序文)と述べた)ド・トクヴィルのような,新しい人が育つ見通しへと,聖書の神様のいのちが巡ったことが(訳注:直感鋭く)気付くのは,儀式ばかりではなく,市民宗教がアメリカ市民に受け入れられていることからも言えます。ベラは次のように記しています「アメリカ人の宗教的な信頼,礼拝,絆の関することが新しい人が創造される点にもたらしたのは,新たに不動された,キリスト者の生き方でした…」と。
 
 
 
 
 新しい生き方は、新しい人から,新しい人の信頼から生まれるようですね。
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