昔は年寄りは、生きた知恵と静かに死ぬ死に方を知っているものでした。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p62の10行目途中から。
でもね、こういった「年寄り」みたいな言葉を今も使いますかね? いまは、年寄りがとっても増えて、急速に数が多くなって、かなり元気な《高齢者》になりましたからね。逆に、歴史的な変化のために、昔は年寄りはこうだと思ってきたことを私どもは思わなくなっていませんかね? 私どもの人生でもそう思わなくなっているでしょうし、民族の叡智の中ばかりではなくて、民族精神の中でも生き残っていた、手塩に掛けた見識にしたがっても、そう思わなくなってるでしょう。
昔話をお爺さんとかお婆さんから聞かなくなってますもんね。あるいは、土地の古老から、土地の歴史や伝説を聴く機会も、今はメッキリ減りましたね。昔は縁側で、あるいは、こたつや囲炉裏を囲んで、そんな話を聴いたもんですよね。年がばれますけどもね。
そういう話は、寓話に似て、人間がこの世で生きる知恵、いろんな人を肯定するきっかけが隠れていたもんですね。
そう言った知恵やきっかけは、今はどこに行っちゃったんでしょうか?
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