エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

母親から大事にされる幸せ

2014-06-24 05:26:23 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 損を承知で、捨て身で子どもとの≪真の関係≫に忠実であることは、最深欲求に応えることでもあるんですね。p39の6行目途中から。

 

 

 

 

 

他方、長所があるから、愛されるにふさわしいから、愛される。そこにはいつだって、疑いが残ります。≪真の関係≫において大事にしてもらいたい人が、私のことを気に入らなかったかもしれない。あーでもない、こーでもない。そこにはいつだって、自分の前からいなくなるかもしれない、という恐れがあります。さらには、≪真の関係≫の中で大事にされるだけの資格があるから、大事にされるのは、本当の自分が大事にされたわけじゃない、という辛い気持ちをぬぐいさることができません。つまりそれは、気に入られたから、大事にされただけ。結局は、大事にされたんじゃなくて、うまく使われていることです。私どもが、母親から大事にされることを望むのも、不思議ではありません。それは子どもでも、大人でも変わりません。たいていの子どもは、母親から大事にされる幸せに恵まれています(どの程度かは、あとで触れます)。大人ですと、同じ願いを満たそうとしても、はるかに難しくなります。一番満足のいく発達においては、大人が、母親から大事にされるように大事にされたいという願いは、異性同士が相手を大事にする、ということに残っています。また、その願いが宗教の形で現れることも少なくありません。いっそう多くは不安神経症になります。

 

 1950年代のアメリカは、まだ余裕があった時代なのでしょうね。フロムは、どの程度かは、ともかく、「たいていの子どもは、母親から大事にされる幸せに恵まれています」と述べています。

 しかし、2010年代の日本は、全く余裕のない時代ですから、その様にはまいりません。それは連日申し上げていますように、愛着障害の子どもが、都会でも田舎でも、両親がそろっていても1人親でも、自由業の人も勤め人も、金持ちでも貧乏でも、愛着障害の子ども割合(出現率)に変わりかないのです。

 今の日本は、母親から大事にされる幸せ、それがとっても足りません。

 

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