愛着障害の子どもたち愛着障害の子どもたち。このブログでも何回かご紹介しています。先日初めての小学校に伺いまして、愛着障害の子どものことを、壊れたテープのように、また繰り返してきました。そうすると...
なんで、スウェーデンは、こんなに主権者教育、民主主義が徹底してんでしょうか?宮本みち子さんさんの、先の文書(http://www.akaruisenkyo.or.jp/wp/wp-content/uploads/2012/08/swe.pdf)にも、そこまでは書いてない。
もちろん、 こどもも、制度やルールを変更して良い、と教えられているからですし、現実に制度やルールを変更できるからです。子どもにも「主権」という名の「最高権」がある、ということを認めているからでもあるでしょう。でも、それだけではない、と私は感じています。
もうかれこれ、20年前以上前に、デンマークとスウェーデンで、主として知的障害のある子どもと大人の教育と福祉の現場で研修したときのことを思い出しますね。道には、花が繰り返し植え替えられている、仕事を辞める人が、「失業保険が給与の9割ずっと保障される」と言う、、小学校から大学まで「ただです」とも聞くし、重度の知的障害があり、ことばを話せない人にも、1時間毎日、その日のスケジュールを説明しているし…。「この国は、知的障害の福祉だけが、『〈民主化が〉進んでいる』んじゃないんだなぁ」と強く感じましたね。じゃぁなぜなのかなぁ、こんなにいろんな生活部面で、「≪民主化≫が進んでいるは?」
あれから20年以上。私も、いろいろな人の話も伺い、いろんな本を読み、北欧以外にも、いくつかの国や地域を訪ねて、そこの市井の人と話し合う機会に恵まれて、私なりの考えを進めてまいりました。それで一つの結論に達したわけですね。それは、いくら時間がかかっても「話し合い」が進めば進むほど、すなわち、多数派の意見を押し通すよりも、いろんな少数意見をできるだけ取り入れた意思決定をした方が、より「人間として正しい」ことになる、と信頼しているからだ、ということです。。もちろん、これは「最終回答」ではありません。いわば、暫定的結論です。これ以上がきっとあることでしょう。でもね、その答えだって、今私が至った結論を含むものになるはずです。
物事を進める時に、ルールや規則を「既製品」として使うのではなくて、出来るだけ関係するいろんな立場の人が話し合いを重ねることで、使いやすいルールや規則にしながら、使うことが、何にも増して大事になる訳ですね。
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