エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#πιστις  #人生にあい渡る

2024-08-06 07:13:57 | エリクソンの発達臨床心理
尾瀬小屋さんの写真から
「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』
 p.88から。



 人間は,生まれながらに,いつも何度でも,お互いに大切にし合い,確かな手ごたえを必要としている,ということを示すことは、ごまんとあります。確かにそうだと分かっていることは,いつも何度でも,お互いに大切にし合い,確かな手ごたえがありませんと,赤ちゃんをその根っこから駄目にするということです。それは,自分の実感はとても大切だ赤ちゃんが腑に落ちることを次第にしなくなったり,諦めてしまったりすることで,赤ちゃんをその根っこから駄目になるんです。人間は,生まれながらに,いつも何度でも,お互いに大切にし合い,確かな手ごたえを必要とするニーズは,人生のあらゆる舞台で,さらに新鮮で,さらにいのち豊かで,しかも,多くの人と共有できる 毎日礼拝を求めて,繰り返し現れます。この毎日礼拝は,顔と顔を見合わせて,「大切にし合い」名前と名前を呼びってお互いに 相手の気持ちにピッタリ合わせ合うのです。このような毎日礼拝は,強い心の絆を確かめる,いつも交わす挨拶から,お互い様を確かめる キリスト教の集会や 神から親身に関わって貰い,あるいは,神からの呼びかけられる中で,聖書の神様と出会うことまで,結果として,リーダーの「指導力」の中の出会いまで です。リーダーの「指導力」は,素晴らしい銅像や絵画,あるいは,何重にも重なった旗やテレビ出演によって,確かめられます。このような 毎日礼拝の様々な出会い全てが,一番うまくいけば,一見相矛盾すること,すなわち,「陽気で楽しい」と「美しい」を一体にします毎日礼拝の様々な出会い全てが,一番うまくいけば,繰り返しているから「お馴染み」なのに,毎日礼拝関わる度に,互いに大切にし合う「驚き」があります人類学者によれば、動物の毎日礼拝は,殊に,「明快な」シグナルの塊なのは,本能同士でぶつかり合うのを避けるためですが,人間の場合,「正反対に取れること」(と「曖昧なこと」)をなくすことが,毎日礼拝一番のお役目です。なぜならば,私ども人間は,自分の子どもや,子ども一般を大切に思い大切にすることができるように,子ども等も,憎しみや猛烈な恥を呼び起こすことができるからです。一番うまくいったときでも,大人たちは たとえ,危害を与えたり,魔女のようなことをしたりするわけではなくても,気ままに子どもを拒んだり、自分の相手を子どもに無理強いしたりします。私どもが大切にし,素晴らしいと思う相手は,同時にいつでも,敵にもなりますね。畏敬の念を抱く相手が,酷い相手にもなります。親身な関わりも,激しい怒りによって壊させる危険を宿しています。だからこそ,毎日礼拝によって聖書の神様のいのちを確かに分かち合うことは,日常施活から宗教的な礼拝まで様々ですが,二律背反の体験として欠くことができませんし,時代が変化している時には,新しい,心満ち溢れる形を見出すことに決まっています
 毎日礼拝によって聖書の神様のいのちを確かに分かち合うことが,新しい,心満ち溢れる形を見出すことに決まっていることは,日中目覚めている赤ちゃんには,重い負担です。それに,毎日礼拝の場では,毎日礼拝一連の舞台が本物の場合だけ毎日礼拝の生き方が好ましいものになります。しかしながら,精神病理学は この赤ちゃんの時期に重い負担があることを示しています。あらゆる精神病理の中で,赤ちゃんの時期との結びつきがあると分かった精神病理の中で,最も深く,最も破壊的なのは,互いに大切にし合う光希望の光赤ちゃんの時期に失われてしまう病です。赤ちゃんがを失うのは,自閉的に,心の病で,引きこもる時です。赤ちゃんのときにシッカリ抱きしめてあげて 良しとしたこと繰り返しシッカリ抱きしめてあげて 良しとすることになっております。繰り返しシッカリ抱きしめてあげて 良しとする経験そのものが,毎日礼拝を通じて,赤ちゃんの願いにピッタリな安心も与えられますが,同時に,次々に仲間外れにされることがまし加わることにも晒されます。シッカリ抱きしめてあげて 良しとするか否かで,安心も与え,仲間外れにされたこともなることも,私どもは発達の舞台で取り扱う際に,仲間を作ろうとすることになっています。親密さや互いに大切にし合うことを 繰り返し示して安心させても,決して完全に打ち消せないのは,「お母さんがどこかに行って 見捨てられた」という実感です。たほうで,赤ちゃんの時期に,かすかでもお母さんが赤ちゃんをシッカリ抱きしめてあげて 良しとすることは,聖書の神様が共にいてくださる実感を齎しますし、人間が礼拝を創造する要,すなわち,ヌミノース(聖書の神様が共にいてくださることに気付いて,驚き感激することを,赤ちゃんにもお母さんにもプレゼントできます。このヌミノース(聖書の神様が共にいてくださることに気付いて,驚き感激することという呼び名は,最初から最後まで人生全体をカバーしたいと思う私の願いを裏切っています。



 人間の発達の根っこのみならず,このヌミノース(聖書の神様が共にいてくださることに気付いて,驚き感激することと宮田光雄先生が訳し直した「根源的信頼」,ギリシャ語でπιστις が,人生の全ての舞台でとても大切です。
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