エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

いつでも、心を大事にしたいけど・・・

2015-12-04 07:04:54 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
日本の公教育の病理 その3 ペコちゃん教員と恣意的判断
   「讒言、誹謗中傷、恫喝」をやる教員が幅を利かせているのですから、そう言う学校と言う組織は、病理そのものでしょ。ヤクザと変わりません。 そのヤクザナ教員に...
 

 技術は役立つものですが、所詮道具でしかありません。道具の目的は、命を生かすことにあるのですから、技術を重んじるあまり、命を損なうことになっては、本末転倒も甚だしい、ということになります。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p96の、11行目途中から。

 

 

 

 

 

しかしながら、人間の心に在る、芸術と科学は、発達の向き、あるいは、人生の向きといった方が良いでしょうけれども、その向きによって、エネルギーを貰わなくっちゃいけません。それは同時に、その時の歴史的な気付きからもエネルギーを貰わなくっちゃいけないのと同じです。歴史家のコリングウッドが言うように、「歴史は、心そのものの命なのです。その心は、歴史の中で生きていて、しかも、歴史の中で生きていることを知っていることなしには、心ではありません」。この言葉は、精神分析の方法の核心にも当てはまるものとして、いつも私の心に響きます。すなわち、アインシュタインの生誕百年のお祝いを準備する時、精神分析がことを調べる方法が、特殊な相対性に、体系だてて気付て行くことを許しもし、求めもする方法を、私はハッキリと示そうとしました。

 

 

 

 

 精神分析は、心が生きることを助ける訳ですから、心が一番大事になる訳ですね。しかし、技術には、それ自体に、発展とか、上達とか、がありますから、そっちに目が暗んでしまうと、精神分析でさえ、心が台無しになる、ということがあるみたい。

 

 

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