悪い良心の餌食になると…。ルターは、考えられるすべてをやっても、心からの平安が得られませんでした。当然ですけどね。 Young Man Luther 『青年ルター』p.219の第2パラグラフ......
Paul Frewen , Ruth Lanius (2015) , Healing the Traumatized Self consciousness, neuroscience, treatmet 『トラウマを負わされた自分に対する囚われから自由になること 意識、脳科学、治療』の翻訳。発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子どもは、≪私という感じ≫を完全に失っている、と考えて大過ありません。その再生には、関わる大人の根気と、関係に対する誠実さが何よりも求められます。
最終章の第7章、p.283の、9行目途中から。
このようなトラウマを負わされた人が次第にできるようになることは、(1)過去を過去とすることが出来て、現在を生きられるようになりますし、時間が続いている感覚もなくさずでいられます、(2)過去、現在、未来のいろんな経験の流れの中に、トラウマを負わされた記憶を、自分自身の声で、物語る物語を育てることができます、(3)≪私という感じ≫を実感のある者として経験できます、その実感のある≪私という感じ≫は、自分が自分を大事にする気持ちによって、育むことができます、(4)自分の気持ちに気付いていて、しかも、自分の気持ちがよく分かっていますし、幸せ、悦び、「やったぁー」って感じなどの肯定的ないろんな感情を持ち合わせるだけの度量があります。
現代哲学の知見と一致する所です。コミュニタリアニズムの政治哲学者の、テイラーやマッキンタイヤーらが、人間は自己解釈的存在だ、ということと、発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども等が、トラウマを負わされた記憶を、自分の声で物語る中にキチンと織り込めると癒される、ということは、一致している訳ですね。
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