
世の中が変わるのは、たった一人の気付きから!レイチェル・カーソンが心の底から信じていることは? 子どもにとって大事なのは知識じゃぁない。だから、大人が自然についていろいろ知ってる必要はない......
小学校の時に、女の先生から、「人のことをバカと言う人が、一番バカなんです」と言われたことがあります。当時の小学生の悪口の代表選手が「バカ」で、気に食わないことがあると、多くの者が、相手にだれかれ構わず「バカ」とののしっていたからだろうと思います。
このブログでも、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちのやることなすこと、「バカ」バカりなので、「バカ」と声高に言う場合がありますね。云々を「デンデン」と読んだアベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちは、やっぱりバカ…という具合にバカを今でも使います。小学生の時の女の先生、ゴメンナサイ。
でも、私は、「バカ」を大事にしているところもあんですね。「バカ」と救いは紙一重だと、強く感じているからです。ただし、「バカ」と言う言葉は聖書に出てきますが、「バカと救いは紙一重」と言う言葉は、聖書にはありません。『新約聖書』のパウロの手紙の中に、「キリストの故にバカになる」と言う言葉はありますが。
人のために自分が損をすることを、自分が損をして、人がぼろもうけ…となったら、「あいつ、何てバカやってんだろう!」と言われてしまいますもんね。イエスの十字架は、その最たるものかもしれませんでしょ。
ですから、普通、バカをやったこと、失敗したこと、損をしたことは、「隠しておくもの」と世間ではされていますね。でんねどうでしょ。先日も、校則違反の廉で、サイコセラピスト行になって、私のところにやってきた高校生がいた時にですね、私も、立校祭の後、先輩たちとビールケースを抱えて、鳩ノ巣のバンガローで打ち上げをやったのがバレて、学年主任の化学の先生に呼び出されて、優しく諭されたことがありましたけれども、そのことをその高校生に話すと、安心した顔になってましたけれどもね。
私どもクリスチャンは、神様に許していただいているのですから、「バカ」な自分を認めて、それを正直に明らかにすることが大事でしょ。すると、『そんな程度でもいいんだなぁ」と相手が安心する場合があんですよね。
「バカ」と救いは、やっぱり紙一重だと、私は考えますね。
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