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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#校則が悪しき典型

2024-12-02 08:17:43 | エリクソンの発達臨床心理

#エリクソンの慧眼
#心から自由に生きる秘訣      #つながる #聖書の言葉 #聖書の読み方 その2 #あり得ませんからね #発達トラウマの核心 #母親が目の前に居ない  #温もりのある守り......

「発達トラウマ障害 Enpedia」
情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 p.96の第2パラグラフから。



 生涯を通して,毎日の生活の中で,善悪,浄不浄の区別をハッキリさせることは,大人の裁判で最高潮になるみたいに,あらゆる儀式の判断基準を満たします。善悪,浄不浄の区別をハッキリさせることは,大事な決まりがあり,細々したことと全体に対する儀礼上の配慮があり,一人びとりとその行いの現実を象徴的に超越する次元があり,あらゆる関係者の関わり合いがあり(犯人が自らの罪を認める告白も含みますし,願わくば、そうであってもらいたい),また,必要不可欠でもあります。なぜなら,善悪を分ける要素も,仲間を作る事に合わせた心の一面だからですし,自分が成長することでもあるからです。
 しかしながら,この善悪を分ける場が,仲間を作る際にも,自分が育つ時にも,働くのを見ると,この善悪を分ける場楽しくなくなるのは,どういう場合かが判ります。すなわち,耐えられ,しかも,役に立つ 善悪を分ける境界線を,親から子へと 確信をもって引き継ぐことができなくなります。善悪を分ける儀式は,概して,犯人になりそうな人に対する見せしめとして皆が認める「ルール上の」ダメを作り出すのも仕事ですので,人が「人として」頼りになるとは感じられるようになることから,かけ離れてしまいがちです。


 善悪を分ける境界線は,えていて,耐えられず,しかも,役にも立たないことがあまりにも多いのですニッポンの小中の校則がその悪しき典型です。
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