今日,2 14, 2017の朝日新聞12▲版,社会面は,「学校いじめ自殺特集」でしたね。上の写真は,その新聞です。横浜市では,福島の原発から避難した家族の中学生が,150万円もカツアゲされていたのに,教育長の岡田優子さんは「いじめじゃない」と,何の臆面もなく言ってましたっけ。でも,「やっぱりイジメでした」と頭を下げている写真が載ってます。愛知県一宮市でも,福島県南相馬市でも,中学生がいじめを苦にして,自殺しています。
なぜ,このように学校でのいじめと自殺が繰り返されるんだろう? と疑問に感じる人が多いかもしれませんね。
学校が,教員らが,教育という本分は,とうの昔にドブに捨て去り,イジメ集団,ヤクザ集団になっているからです。言い過ぎ? いいえ,そうではありません。私も,実に長期にわたり,学校と教員と呼ばれる人と,付き合いがあります。私の恩師,西村秀夫先生も,山形県小国の基督教独立学園高校や東京大学で教員をしていましたし,今でも魂の師であることに変わりありませんが,西村秀夫先生のような誠実な人は,東大はじめ,学校という組織の中では,例外的でした。高橋三郎先生も,昭和女子大学や東京大学の先生でしたが,やはり例外中の人でしたね。例外も,ごくごく少数ながらいますが,大多数は,イジメ集団です。
なぜか? 人間の根源的な上下関係は,エリクソンが繰り返し指摘しているとおり,大人と子どもの上下関係です。教育は,この根源的な上下関係を乗り越えるところにその本質がありますが,そのためには,教育を実践する大人の側に,極めて高い倫理性が求められます。それは,例えば,戦後民主主義教育の実践者,無着成恭氏が,子どもひとりびとりに対して,「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」,すなわち,仏になる可能性,ポテンシャルを認めて,心から大事に関わる,という超越的な倫理性を内面化していましたね。
ところが,今の大多数の教員は,倫理の内面化を著しく怠っているので,丸山眞男教授が正鵠を射ているように,権力化せざるを得ません。すなわち,教員は,大人と子どもの上下関係,子どもの弱みにつけ込んで,関わっていることが,すなわち,自覚的,無自覚的に,いじめをしていることになるのです。ですから,新聞に載る学校だけがイジメ集団であるのではありません。ほとんどの学校が小学校から,大学に至るまで,イジメ集団になっている訳です。
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