ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.245。真ん中辺から。
ミラーリングのもう1つ、大事な意味は、攻撃的傾向があったり、衝動的な傾向のあつたりする場合、そういう子どもに集中しちゃうのは、間違った考えだ、ということ。というのも、その子ども等は、大人が集中していることを反映してしまうし、大人が集中していることをかえって強めてしまうでしょうからですね。研究によれば、このような仕訳をすることには、効果がないことを示しているのですが、残念なことに、このような「悪い」子どもに焦点を当てるやり方で、セラピーのグループや住民サービスのプログラムを作りやすいものですね。私どもはレオンのケース(訳注:鍵付きの教護院に入るようなタイプの青年)で見ましたように、そんなことをすれば、現実には、問題を悪化させてしまうものですよね。
悪い子どもを集めると、その子がいかに悪いかを強調したものになりやすい。このような場合、大人たちは、この子は「正しいこと」を知らないから、教えようというスタンスになりがちですね。でも、これが間違いだ、と、ブルース・ベリー教授はおっしゃいます。確かにそうですね。
以前にも、シモーヌ・ヴェイユの言葉を引用したように、子どもはたいてい「正しいこと」を、大人が教える前にすでに知っている方が、普通です。足りないのは、その「正しいこと」をするだけのエネルギー、ガソリンの方でしょ。大人の務めは「正しいこと」を教えることではなくて、エネルギーをプレゼントすることです。そのエネルギーは、やり取りすることで、プレゼントでするのです。
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