エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

パトスの存在

2013-10-18 03:09:23 | エリクソンの発達臨床心理

 

 受苦的態度は、臨床以外の人間関係においても応用可能なことが分かりました。そして、それは、人間関係をお互いに高め合う関係にする、ということ、まっとうな人間にお互いがなっていく、ということと結びついていることが分かりました。

 

 

 

 

 

 キルケゴールが指摘していることは、ルターはこの自覚、すなわち、人生で「パトスの存在patient」の側面をやりすぎたことでしたし、晩年になっても、「医者のクッキリとした見立て」(Laegen's Overskuelse[古いデンマーク語で「医者の見立て])には到達しなかったことでした。私どもが当面、最もほっておいてはいけないのが、まさにこの問いです。

 「1人のパトスの存在(a patient)」… 私は「受苦的態度」のこのより広い意味に、天与の才能に恵まれてはいても、がしかし、激しく悩んでいた若者と一緒にする、私の仕事から近づきたいと願いました。私は、青年ルターを医学的診断(それは、一定の限界内であれば、かなりの確信をもって、診断することができたでしょうけれども)に矮小化したいのではありません。私が描きたいと願ったのは、彼の人生(ちょうど、私が現代の若者の人生において行ってきたのと同じに)における人生の危機の1つです。こういった1つの危機のおかげで、人々は、自覚のある人間にもなることもできれば、無意識の支配された人間のママである場合もありますし、また、診断を受ける場合もあれば、診断を受けずにいる場合もあります。それで、その人たちは1つの解決策(魂の救い)を見つけるのです。― そして、これは「一つの原因」である場合が多いのです。

 

 

 

 

 人生の危機は、非常に厄介なものです。しかし、1つでもこの人生の危機に、逃げるのではなく、誠実に向き合うことができれば、私どもは、自覚的な人間になれるのです。逃げていれば、一生無意識(の暴力)に支配された人間のママです。人生の危機の「原因」と思われていたことが、解決策と魂の救い(いずれも、英語ではcure)をもたらしてくれるのです。かたや、「何でこんな目に合わなくちゃ、ならないの?!」という嘆きと愚痴の元にもなります。

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