昔書いたのが出てきたので掲載。
モッタイナイ!
先日友人が原稿締め切りが~と苦しそうでして。
話を聞くと時事ネタで600字くらいの原稿を数本書くとのコト。
1本あたりの単価をきくと¥100との返答。
よければ1本書きませんかと言われたものの、丁重にお断りさせていただいた。
さて。
内容が無かろうこの駄目猫がgdgdと続いているのは人との繋がりもあるけれども、やっぱり表現するということが好きで、一番手軽な表現が”書く”ということなんだろうなと思う。
そういう意味では上記の友人の提案というのはBlogを訪問する限られた閲覧者だけではなく、他界に自分を表現できるチャンスともいえなくもない(採用されるかどうかは別として)。
自他とも認める目立ちたがり屋であるが、なぜ断ったのだろう。
1)価格
価格に見合う内容かどうかはともかく、時給単価としてはあまりにも…という感覚があった。
編集側としての素人の原稿に金出すだけマシという感覚は非常に理解できるのだが。
2)出所が不明
細かく聞かなかったこともあるのだが。
自分の記事がいつ、どこに、どんな風に載るのかが解らなかったのが引っかかった。
やはり商品として出されるのであれば確認したいと思うのは人の性ではなかろうか。
3)記名がない
おそらく一番の理由はコレ。
あくまで代筆であり、どんなに優れた文章を書いたとしてもその評価は自分ではないというのが我慢できなかった。
妙なプライドはだけは一人前である。
自己満足にふけるチラシの裏であれば気にはならないが、公的な代物とするのであればそれなりの敬意というかそういうものをもって”書く”という表現を行うべきではなかろうか。
ということで。
自分でも驚くくらいの真摯な姿勢に驚いたというお話でありました。
モッタイナイ!
先日友人が原稿締め切りが~と苦しそうでして。
話を聞くと時事ネタで600字くらいの原稿を数本書くとのコト。
1本あたりの単価をきくと¥100との返答。
よければ1本書きませんかと言われたものの、丁重にお断りさせていただいた。
さて。
内容が無かろうこの駄目猫がgdgdと続いているのは人との繋がりもあるけれども、やっぱり表現するということが好きで、一番手軽な表現が”書く”ということなんだろうなと思う。
そういう意味では上記の友人の提案というのはBlogを訪問する限られた閲覧者だけではなく、他界に自分を表現できるチャンスともいえなくもない(採用されるかどうかは別として)。
自他とも認める目立ちたがり屋であるが、なぜ断ったのだろう。
1)価格
価格に見合う内容かどうかはともかく、時給単価としてはあまりにも…という感覚があった。
編集側としての素人の原稿に金出すだけマシという感覚は非常に理解できるのだが。
2)出所が不明
細かく聞かなかったこともあるのだが。
自分の記事がいつ、どこに、どんな風に載るのかが解らなかったのが引っかかった。
やはり商品として出されるのであれば確認したいと思うのは人の性ではなかろうか。
3)記名がない
おそらく一番の理由はコレ。
あくまで代筆であり、どんなに優れた文章を書いたとしてもその評価は自分ではないというのが我慢できなかった。
妙なプライドはだけは一人前である。
自己満足にふけるチラシの裏であれば気にはならないが、公的な代物とするのであればそれなりの敬意というかそういうものをもって”書く”という表現を行うべきではなかろうか。
ということで。
自分でも驚くくらいの真摯な姿勢に驚いたというお話でありました。