神栖市にある「大日本滑空始翔之地」の碑である。板碑の裏面をかい摘まんで書く。
「海軍機関少佐磯部鉄吉(おの…正しくは金偏に夫…きち)が研究、逓信省航空局駒林榮太郎と臨検片岡文三郎操縦、耐空22秒、昭和5年7月11日」
板碑設置が昭和18年7月11日となっている。戦争もあり保存状態見て、レプリカと言う気がしたが定かではない。
ちなみに航空の歴史をウィキペディアで検索しても、この事項は出て来ない。しかし調べて行くとこれはグライダーだと判明した。しかし所沢航空公園が最初ではなかったのかとふと思う。矛盾がありそうだ。
ちょうどこの板の裏側が広場で現地だろうか。真後ろにコンビナートの煙突があり、碑の上から煙りが出ているように見えるのが面白い。
今年生まれの子供の一番人気が大翔君とか。碑を見ながら翔く難しさにチャレンジした人々の夢に思いを馳せた。
いずれにせよ初めて22秒であろうと空翔けた勇気は、初めてナマコやくさやを食べた人の勇気より凄い気がする。
「海軍機関少佐磯部鉄吉(おの…正しくは金偏に夫…きち)が研究、逓信省航空局駒林榮太郎と臨検片岡文三郎操縦、耐空22秒、昭和5年7月11日」
板碑設置が昭和18年7月11日となっている。戦争もあり保存状態見て、レプリカと言う気がしたが定かではない。
ちなみに航空の歴史をウィキペディアで検索しても、この事項は出て来ない。しかし調べて行くとこれはグライダーだと判明した。しかし所沢航空公園が最初ではなかったのかとふと思う。矛盾がありそうだ。
ちょうどこの板の裏側が広場で現地だろうか。真後ろにコンビナートの煙突があり、碑の上から煙りが出ているように見えるのが面白い。
今年生まれの子供の一番人気が大翔君とか。碑を見ながら翔く難しさにチャレンジした人々の夢に思いを馳せた。
いずれにせよ初めて22秒であろうと空翔けた勇気は、初めてナマコやくさやを食べた人の勇気より凄い気がする。
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