がらんどう 吐毒会

雑感で感じたままに…

敢えてタブーに突っ込む

2015-03-11 22:09:19 | Weblog
はっきり言って、川崎の事件も、淡路島の事件も、その他凶暴事件のほとんどは、親の責任が大だ。当事者にその認識のあるなしは、他の人が近場で生活して行く上では、一番重要ではないだろうか?成人したしていないは関係ない、今まで育ててきた責任である。育て損ねた責任かもしれない。精神病的問題があるなしにかかわらず。成人であるなしよりも親が子供に対して意識を持つ必要性、もっと被害者がアドバンテージになるべきだと、声を大にして言いたい。ちなみに私のいとこにも障害者がいるが、いろんなことに親戚一同で協力している。逃げたり知らないふりが一番いけないことを認識しないといけない。


先のことを踏まえて、親になれない男女が、子供できたことで親になってしまい、その責任から逃げたがために、子供が罪を犯すケースが多くないだろうか。つまり親のエゴで子供に罪を押し付けてしまうケースが。親が子供に教えてもらう姿勢が古くからあったが、今はそれを無視、もしくは気付かずに、個人のエゴを前面に出してしまう様子が見える。


私は子供達に常に、人を殺したくなったら親を殺せと教えてきた。日本の法律では家長制度の亡霊が先行して、肉親への殺人は重罪にされているが、親の育て方の問題が大きな原因と考えるとこの考え方は合っていると思うのだが。法律改正が必要なところと考える。時代は変わっているのだ。私は子供に殺されるなら、育て方が間違っていたと甘んじて受け入れるつもりだ。


加害者被害者でのアドバンテージは被害者になければならない。そこは動かしてはいけない事実。今の世の中、そこを人権という言葉で、紛らせているが、それが親の放棄を産んでいる。間違えてはいけない部分だと考える。