がらんどう 吐毒会

雑感で感じたままに…

長瀬駅

2011-06-30 12:45:50 | Weblog
近鉄大阪線で、環状線鶴橋駅から4つ目の駅、長瀬駅である。対面二線の駅で鶴橋から向かうと出口は最後尾に位置する。上り下りの改札は分かれており、相互行き来はできない。各駅停車のみ停車の駅である。

写真にまなびや通りとあるが、駅から約150メートルで右に折れ、その通りを近大通りと呼び、実際はそのように呼ばれている。

そう大阪を代表する大学、近畿大学の通学路であり、長瀬駅はその最寄駅である。

近畿大学は庶民的大学で、どちらかというとバランスの取れた、悪くいうとうまく遊ぶ人を生み出すという実感がある。

ちなみに弟が出た学校で、私の同級生でここを出た友人とは、私とよりも弟の方が仲良くしている。つまり先輩後輩が結構繋がる気がしている。

25年くらい前に黒い噂も出たが、今では入学も難しくなっている。かなりいろいろな学部あり、キャンパスもあちこちにある。東の日大、西の近大と総合大学の規模としては、双璧である。

とはいえ、この近大通りは店の入れ代わりこそあれ、大きな変化はない。大阪らしさを残した数少ない学生街なのである。

トイレについて考えたこと

2011-06-27 09:04:47 | Weblog
日本のトイレ技術は最高である。

かの歌手「マドンナ」が日本のトイレの暖房便座に感動し、自宅のトイレを全部それにしたのは有名な話し。

ロックバンドTOTOはそのものずばり、東陶のロゴから取ったものである。

戸川純が「人のお尻を洗いたい」と始めたウォシュレット(登録商標)も当初は不評も海外から火がついたと聞いている。

つまり技術は日本が生み出し、海外の人により広められているのが、日本のトイレなのである。

潔癖症の日本人らしい、便座シートやアルコール除菌剤はまだ海外でそれほどではないらしいが、いずれ真似はあるだろう。

ところで今や和式のトイレはかなり数少なくなった。私の子供が小学生の頃、学校のトイレに行けないと自宅に戻って来たことがあったらしい。10年くらい前である。もちろん我が家も洋式トイレで、方法を教えていなかった親の怠慢に因るものだった。

和式トイレに行かなくなったことが、日本人が足腰弱って来た理由だと言った方がいたが、最近とみにそう思う。自分が和式に座ってそのように感じた。

今後のトイレの進化について思うのは、とにかく掃除を楽にできるようにすることで、かつ汚さないようにすることだろうと考えている。


(写真…都内某所にあったスタイリッシュなトイレ)

小樽駅

2011-06-23 09:09:53 | Weblog
路線的には函館本線になる小樽駅。函館本線は函館を出て長万部へ。ここから北西に上がり日本海に向かうが黒松内で折れニセコ、倶知安、余市でようやく海に出る。小樽を過ぎ札幌がゴール。

しかし現在の中心は勾配少なく特急走行できる路線がメインになった。長万部から室蘭本線で東室蘭、苫小牧越え南千歳へ。そこから千歳線で札幌に入る路線である。

それにより、長万部小樽間は完全に本数少ない普通列車しか走らないローカル路線になっている。小樽はメインとローカルの分岐点の駅になっている。

新千歳空港駅からエアポート号という快速が出ているが、札幌まで1時間4本出ていて、うち小樽まで2本がデータイムに走っている。ドル箱路線である。

小樽駅に降り立つとまずは1番ホームへ行ってほしい。古い「おたる」の駅名標の向こうに裕次郎が迎えてくれる。もちろん裕次郎の歌が流れている。到着ホームから下に降りて改札出てしまうと味わえない情緒がそこにある。後は到着ホームの4番ホームの4の字がヨットになっていることも見落とさないで欲しい。

改札を出たら外への扉を出る前に振り返ってほしい。改札の上部に目を遣ること。

駅内がすでに観光地なのであった。小樽駅は。

湯沢

2011-06-21 11:13:34 | Weblog
以前にも書いた気がしているが、ゴーストタウン化の湯沢である。

バブルの時代に我も我もと金持ち達や企業避暑地、レジャーとして買われた場所だが、すでにそれらマンションも20数年経っている。当時の事なので、安普請はないと思うが経年劣化はあちこちにあるのではと推測する。ましてや、居住者のない住居の劣化が著しいのは周知の通りだ。不幸にも私には知り合いいないのでわからない。

JR東日本がリゾート用に作ったガーラ湯沢駅。越後湯沢駅から1.6キロしかない。そうだ「ガーラ湯沢駅」でこのブログに以前記した。先日の地震の電力の問題で、3月は18日まで休み、19日から21日は営業、22日以降繰り上げて今年の営業を終了したようだ。いずれにしろ無事であった。

高速で下ると岩原やこの正面のような、牧歌的、アルプスの少女ハイジ的風景が目に飛び込む。スキー場のペンション群なのだが、脱日本的風景なのだ。ただ悲しいのは純日本的風景が被るなら許せるかもしれないのだが、ご覧の通り墓標のごときマンション群が必ず加わるのが、重ね重ね残念でならないのである。

札幌で思ったこと

2011-06-18 11:35:52 | Weblog
★自販機のコーヒーに「あたたかい」があった。6月で最低気温12度。ありがたかった。

★地下鉄が地上に上がるのはいくつも見ているが、南北線の南平岸-真駒内間はフード、シェルターが被っている。これなら建設費用は地下の方が安いのではと感じた。定山渓鉄道の跡地と聞いた。途中に自衛隊前駅あり、地下を掘られたら困る何かがあったのではと推測した。ちなみに延伸計画はないらしい。

★地下鉄のさっぽろ駅、新さっぽろ駅はひらがな、東札幌駅は漢字表記。理由がわからない。

★昔はあちこちにあったらしいダイエー。立ち寄った駅3ヶ所にあり便利させてもらった。ダイエーホークス時代に北海道の方々が行かなくなって減ったというのは、全く違うとの話し。

★札幌は白いきれいな街ながら、照明は昔から少し暗めに感じる。以前訪問時に違和感感じたそれが、今回はすんなり心が受け入れていた。

★ちょうどよさこいソーラン祭りの時期に当たった。私が見たのは広島、沖縄、京都等のグループ。みんな厳ついメークやコスプレで見かけ怖い感じだったが、プライオリティーを守り、電車内では椅子に座らず、待機場所では理路整然で驚いた。かえって年寄りの方がなってないとさえ感じた。

★ウインズ札幌B館の2階が閉鎖になるとポスターがあった。日曜午後なのに閑散としていた。去年訪れた時はここまで少なくなかったのにどうしたのだろう。震災後、競馬にもかげりがあることは売上みればわかるが、天下り減らすなどの抜本的改革が必要になろう。


(写真…真駒内駅)

節電と節約

2011-06-15 06:36:52 | Weblog
関西人が最近関東に来て一番感じるのは、電気で動く補助設備が止められていることと、夜が異様に暗いということだと、先日の日本酒三昧会の席で聞いた。会のことはすでに二回書いており、三回目の参加ゆえ省く。


節電マインドは関東圏の人達の高まりには、正直私も驚いている。ただそれが今では電気だけでなく、節約以上にケチに振れている気がしてならない昨今である。

例えば百円ショップ。先日もお節介主婦が、私がある家庭用品を物色している時に横に来て、下の売り場が安いと言って来た。誇らしげ、今で言うドヤ顔だった。

首都高速道路も5月の晦日にガラガラで驚いた。トラックが少ないと言うことは物流が滞っていることの証で、それは消費が落ちていることに他ならない。

以前居酒屋で東北の酒飲むことで協力と書いたが、確かに今だにその傾向あるも一巡した感があると、店長は言った。さらにここに来て一気に客足が遠退いているようだ。

東京電力としては90%以上は使ってほしいだろう。みんなが20%以上使わない状況続くと、料金値上げになる。たぶん15%の削減依頼はそろばん弾けていると思う。我々の家庭も大事だが、大工場等の大口需要家が削減できれば、小さなことだろう。

大手広告代理店のサイトにも、このようなことが載っていると友人からメールが来たので読んでみた。その通りと感じた次第だ。

消費マインドが急速に落ち込むと、復旧含めた復興が進まない。政府の力が全くないことがわかった今、民間の力で推進しなければいけないのだが。

ダイアモンドターン

2011-06-12 22:22:30 | Weblog
先日東京ダービーの日に午後から有給休暇を取り、大井競馬場に行って来た。年に一、二度の自分へのご褒美で特別観覧席のダイアモンドターンを予約していた。

ダイアモンドターンは以前からある施設で、過去に書いたかもしれないが、食べ放題5千円の席である。ソフトドリンクやデザートも含まれるが、アルコールは別料金である。

以前は銀座ライオンが経営していたが、震災前に改装され、経営母体が変わっていた。内容はがらり一変し、味もサービスも落ちた。
お迎えと席案内は徹底していて以前よりよかった。ただ係員が少ないために、食べ終わったものを以前のように集められない。セルフで配膳台にそれぞれ皿を返すようになっている。
箸が割り箸から塗り箸に変わったのは大賛成だ。ストローがなくなった。経費削減として反対はしない。

元来目玉だった実演グリルだが、以前は1レースからメインレースまでやっていたが、8レース終了後18時25分からでわずか30分で終了となり落胆した。内容も4種類から選べたのが、1種類とつまらない。まずくはなかったが以前とは比較にならない。

ただ、何かに宣伝されたのか若い女性の比率は格段に上がっていた。その方々は口々に次回もと言っていたが、以前は近くから聞かれたおいしいの言葉は結局なかった。

以前を知っている私としては次回はない。次回は千五百円安いL-WINGに、有名牛すじやビール持ち込むことにする。ゴール前に近いことでもあるし。

ついでに言えば、震災のためかもしれないが、普段大レース時は満員になるのに、空席がそこそこ見受けられた。これがすべてを物語っているのではないだろうか?ちなみに東京ダービー時のゴール前は驚くほどの人出だった。

なお第57回東京ダービーの日の馬券については先日書いた通りである。

第57回東京ダービー

2011-06-09 10:07:53 | Weblog
ナイター開催がどうなっているかも期待して出かけた大井競馬。高級指定特別観覧席に関しては次回書くので、今回は全体像を含めて書く。

東京ダービーが終わった後、最終レースも相当の人が残った当日、中馬場も開いて賑わいが戻って来た。

照明は無駄をなくし、それでも暗いということはなかった。むしろ華美でなく、上品ささえ感じた。

さてレースはクラーベセクレタが1.2倍の抜けた一番人気。不良馬場の羽田盃で並み居る牡馬相手に、4コーナーで仕掛けただけで、2着に1.4秒離した次元の違いでは当然である。ただパドックでは体が減り気合いもいまひとつであった。むしろ他馬に何頭かいい馬がいた。嫌な予感を引きずりレースが始まった。
2分数秒後、それは杞憂だったと知らされた。最後の直線でも持ったまま。残り200メートルで圭太がムチを入れて一瞬でトップを抜き去る。ただこの日はじりじりで、なんとかヴェガスの追撃を凌いでのゴールだった。牝馬の東京ダービー馬、二冠馬の誕生を間近で見た。私は意外とこういう競馬の歴史の場面にいることが多い。次はJRAの面子と当たることになるが応援は続ける。
今回は実はからくりがあった。私は3コーナーで同厩舎で駿の手綱のファジェルが一気に動いたことが、クラーベセクレタの闘志に火を点けたと見ている。陰のファインプレーに鬚の親父は笑っているに違いないと思っている。
馬券は羽田盃の馬だけで、結局はよかったのだが、2着が買えず、また1、3、4、5着だった。

ただ、この日は他のレースで万馬券を2本取り、ドヤ顔で帰路に着いた。家族に配当ふんだくられたが、幸せな夜を過ごした。


(写真…この馬券はディープインパクトのダービー馬券と並べておく)

鹿島ハイツ

2011-06-08 11:25:22 | Weblog
茨城県鹿島市北浦湖畔にあるスポーツ専用施設である。湖畔と言っても、なかなかに行きにくい高台にある。道路も国道折れてからが狭く、大型バスは苦労するところである。

正式名称は「ホテル鹿島ハイツスポーツプラザ」。
経営は株式会社一六商事。
代表取締役が大野俊三氏。元Jリーガーで日本代表DF。鹿島アントラーズから最後は京都パープルサンガで引退された方だ。現在はサッカー解説もされている。

何故知っているかは、娘の高校女子サッカーの関東大会が行われたところだからだ。

サッカーだけでなくいろんなスポーツができる。ラグビー、アメフト、野球、テニス、グラウンドゴルフ。室内競技場もあり、卓球、バレーボール、バスケットボール、バドミントン、剣道などの大会も行われている。

今回の地震の直接的影響も少なかったらしい。

もちろんホテルというだけあって宿泊食事も整っており、娘は機会があればまた行きたいと言っている。

ちなみにこの写真位置左の鹿島ハイツ前にある、名前忘れたが、喫茶店のドライカレーがとてもうまかった。

惜しむらくはアクセスと宣伝だろうか。

那須高原サービスエリア2

2011-06-06 06:39:31 | Weblog
ゴールデンウィーク中に2回と半ばに1回寄った那須高原サービスエリア。以前にカレーライスが旨いと書いている。

今回の震災では上下線共に痛手を負った。

東日本道路公団のサイトに震災後一ヶ月くらい、被害状況の写真が掲載されていた。

壁紙の色の違いや床の段差、あちこちのひび割れが当時を物語っていた。

道路状況から言うとこの那須高原手前から本宮にかけてが特にひどく、時速80キロ走行で上下動や段差ががんがん当たって来た。ただそれも五月半ば過ぎの走行では、かなりスムーズになっていて、努力が窺えた。

後で聞いた話しで那須高原サービスエリアはまだよかった方だったらしい。途中の安積や鏡石は相当ひどかったと須賀川のユーザーに聞いた。

とにかく2ヶ月少しで普通に走れるくらいまで回復させる、また施設も使用可能なところまで修繕させた、民間の素早さと力に敬服した。

政府は何をやっている?
民間人と経済に支えられて、政治がなくてもやって行ける国ということを改めて確認させられた。