昨日は弟夫婦が訪ねてきた。
オカンは飲まないので、ひたすら食い気にはしります。
昨年末に同窓会で帰省して以来の弟の顔。
変わらんな。
滋賀県生まれの嫁さんに出雲大社と松江城案内してきたそうです。
足を延ばして日御碕灯台へも予定していたけど、
崖崩れで通行止めなのは残念だったね。
駅前の居酒屋を予約しておいたので、
それまでホテルでひと眠りすると言って帰った。
夜がけで来るから疲れるよね。
夕方になり、ひと風呂浴びたオットを乗せて出かけました。
オカンは飲まないので、ひたすら食い気にはしります。
嫁さんやオットには申し訳ないけど、話は自ずと思い出話が中心だ。
それも生まれ育った古い家のこと。
ビー玉が転がるほどに傾いていた元料亭だった古い家。
階段下の大きな食器棚に収まっていたものはどうしたのだろう。
階段を上がりきった板の間の広かったこと。
たぶんそこで配膳の準備や下げた器の片付けをしたのだろう。
二階にお手洗いがあったのは当時としては珍しく、
料理屋だったゆえの設備だよね、などなど話が尽きない。
だけど記憶違いがあれこれあった。
弟がとても広い階段だと記憶しているのは、
この家に暮らしたのが小学校一年生までだったから。
弟は地元の小学校に入学し、その二学期に転校。
1年後に地元に戻ったけど実家ではなく社宅に入った。
そのまた1年後(3年生)に転校。
その地には3年近く住んだあと、大阪万博の年の夏休みに転校。
その年の暮に父が亡くなり母と二人、実家に引き上げて地元の小学校で卒業した。
当時高校生のオカンは祖母と二人暮らしをしており、
兄は最初に転校した地でずっと下宿生活。
高専を卒業して、やっと父のいない5人の生活になったのだわ。
父が亡くなった翌年に大叔父たちが尽力して建て替えた新しい家には、さほどの懐かしさはない。
「夢に見るのはやっぱり古い家だね」と同じ思いを抱いていたのでした。
ホテルをチェックアウトした今朝は、
オットが用意した米、スイカ、ゴーヤなどお土産を積み込んで実家に向かいました。
「次に会うのは一年後やから、それまでは元気で居るように」
互いに言い交わして別れました。
ちと寂し…。
思い出だけが行き過ぎる〜
その後、テンションだだ下がりで昨日一日は体調不良だったわ😿