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浜矩子の危機の真相

2017-06-17 08:35:22 | ネットワークニュース

共謀罪」怖い日本の近未来]疑心暗鬼生む責任者の人問性

 

あの青年を24時間体制で監視してくれ。彼が誰と話したか。話し相手を全員知りたい。全員だ。全員の身元を突き止めて、全員、尋問するように。その中で、私が特定した者はここに連れて来い」

 上記は、SF世界のスーパー大御所様、アイザック・アシモフ先生の「ロボットと帝国」に登場する一節だ(翻訳は筆者)。1985年の作品だが、今日この日、これがあたかも、日本のごく近禾来の話のように読めてしまう。しかも、フィクションとしてではない。これが、日本社会の実態描写になってしまうのか。その思いにかられる。

 

 この一節が、このように読めてしまう日が来ようとは、何たることか。そして、この結果をもたらした経緯の何とおぞましかったことか。2017615日、「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法が、参院本会議で可決・成立した。

 

 ここにいたる顛末については、皆さんが既によくご存じの通りだ。「中間報告」なる手法を用いて、委員会審議をパスしてしまった。そして、本会議審議を数の暴力で強引にかき分けて行った。これが、21世紀の民主主義国における議会というものの一場面か。アシモフ先生は、驚くべき正確さと精緻さをもって、21世紀以降の世界を洞察していた。だが、その先生をもってしても、このようなシーンを小説の中に登場させるとは、思ってみなかっただろう。アシモフ先生が描く「24時間監視体制」が今後、誰にに適用されることになるのか。今、それを誰もが心配している。問題はここだ。疑心暗鬼と「ひょっとして」の恐怖が、人々の行動に手かせ足かせをはめていくことになる。もしかすると、これこそが今回の「テロ等準備罪」導入の最大の狙いだったのかもしれない。究極の付度が人々の口を封じ、行動を金縛りにしていく。そこに期待をかけての「斬罪」の考案だったか。

 

 このように思えてしまうということが、問題の本質を示している。法律も制度も仕組みも枠組みも、その功罪は、結局のところ、それらの運用責任者たちの人間性によって決まる。どんなによくできた仕組みでも、それをはなから悪用する魂胆の持ち主たちの手にかかれば、人々を痛めつけることになる。逆に、どんなに出来の悪いシステムでも、必死でそれを世のため人のために使いこなそうとする人々の手に委ねられれば、相当程度まで、その悪性が減殺されるかもしれない。そして、そのような善良なる運用者たちは、必ずや悪法を正す方向に向かって尽力するだろう、

 どうしても意図を疑いたくなる。どう説明されても納得できない。こうなったら、基本的におしまいである。そのようなところに、今の政府・与党は自らを追い込ん

でいる。

 

 こう書いている今、何と、テレビの中から、「加計学園」問題に関する野党の追及を「下衆の勘繰り」と表現した与党政治家の声が・聞こえてきた気がする。その人の

映像もみた気がする。ただ、これはリアルタイムのことで、再確認ができないから、幻覚幻聴かもしれない。したがって、その人物を特定することは差し控える。だが、恐らく、この幻覚幻聴かもしれないシーンを体験された読者がおいでになると思う。

ここで頭に浮かぶのが、柳田格之進さんという方のイメージだ。その名も「柳田格之進」という落語の主人公である。柳田格之進は誠意の人だ。その節度と律儀さが煙たがられて失脚し、尾羽打ち枯らす浪人となる。

 

 この誠意の人が、ひょんなころで 50両盗んだと疑われることになる。良きい碁敵となった豪邸宅からこっそり50両を持ち出したという嫌疑だ。誠意の人だから、むろん、そんなことをするわけがない。この嫌疑こそ、まさしく「下衆の勘繰り」なのである。勘繰り

男は、豪商家の番頭さんだ。旦那様のハートをとらえた柳田格之進へのジェラシーのなせる業だ。

 勘繰り男に対して、柳田格之進はぜっ対応したか。口汚くののしったか。怒りに任せてその場で切って捨てようとしたか。さにあらず。心清らかな柳田格之進は、直ちに切腹を決意する。相手が下衆であろうがなかろうが、勘繰られた自分を恥じた。潔さをもって、下衆との違いを天下に示したいという思いもあった。

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 結局のところ、この切腹劇は実現しない。柳田格之進の娘さんが、‥父親の思いを察知して必死で止めさに入るからである。そして、最終的に下衆が抱いた疑いも晴れる。

 疑いをかけられたら、何はともあれ必死で否定する。そして、直ちに疑いを提示した相手を罵倒する。人格攻撃する。椰撤する。嘲笑する。

 

 こんな行動を、柳田格之進は思いつきもしないだろう。申し開き.さえしない。疑われた瞬間に、腹を切る決意を囲める。なにも、切腹を奨励しようというわけではない。だが、この潔さはすごい。こういう人がいうなら、「テロ等準備罪」も、本当にテロ対策なのだと人々は思うかもしれない。この違い、「中間報告」集団に理解できるだろうか。

「毎日」