私の母は少女の様な人。末っ子&可愛がられて育った事が良く分かる。その為か子供に甘える事に抵抗もなく。私にとっては母というより妹。
( ̄▽ ̄;)
そんな母を尊敬はしていないが、偉いなぁとは思っています。突然難病になり両手両足が不自由になって。旦那は病気になった事が気に入らず厄介者扱い。子供はまだまだ幼い。
そんな状況を受け入れた事は偉いなぁと。私が当時の話を訊いたとき、子供が小さいから死ぬ事が出来なかったと。驚いた。普段は子供に頼りきりなのに…。ちゃんと「母」の一面もあったんだ。ちょっと見直した瞬間。
(;OдO)
で、その母が去年の夏に心肺停止。何とか蘇生出来たけど。脳と肺と膵臓に影響が出ていて、薬で血圧を何とか維持している状態。しかも、本来ならあるはずの意識がない。
「1カ月後に意識が戻ったというケースもあるので、希望を捨てないで下さい」とお医者に言われ。ドラマの台詞で度々聞くけど、その台詞を現実世界で聞くことになるとは…。
様々な機械に繋がれた母。その日、母とは笑顔で別れていたので…姉妹の前だけど泣きました。普段は人前で泣かないんですけどね。流石に3人で号泣です。
( ̄▽ ̄;)
でも、1回泣いたら覚悟を決める事が出来ました。どんな結果になっても後悔はしたくない。私に出来る事をしよう。毎日病院に行き、週末は病院で寝泊まり。ICUにいる患者の家族は部屋を借りる事が出来たので、寝泊まりは想像していたより楽でした。
この時の父の言動は、どうしても許せるものではなく、母の今後については私たち子供が決めて行く事になりました。スッキリしました。
母はというと、肺と膵臓が良くなり、血圧も薬がなくても安定するようになり、どんどん機械が外されていきました。だけど、戻らない意識。しかし、不思議と焦りはなかったです。
それから1ヶ月後。手が少し動き始め、その後徐々に良くなっていきました。3ヶ月位後には意識が戻っていました。記憶は混乱していて子供の事を忘れていましたが(笑)
感謝。母を助けてくれた全てに感謝です。
10カ月程たった今では子供の事を思い出したようです(笑)。気管切開したので言いたい事を分かってあげられない事も多いし、胃ろうをしているので食事を楽しませてあげることも出来ません。だけど、絶対に喋らせて食事を楽しませてあげます。
絶対に諦めません。このままでは終わりません。といっても、私に出来る事は病院に行くことしか出来ないんですけどね。
(; ̄ー ̄A
私たち子供が行くと笑顔を見せる母。やっぱり偉いわ。私だったら笑えない。
母の日なのに風邪を引いて病院に行けない親不孝の娘を許してね。いつも笑顔でありがとう。
m(;∇;)mゴメンネ & (*^^*)
母の日なので、母の事を書いてみました。