黒猫のつぶやき

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「保険」の定義とは?

2007-08-30 17:11:46 | 司法一般
 8月14日、法務省の法制審議会から「保険法の現代化に関する中間試案」が公表され、意見公募手続(パブリック・コメント)にかけられました。
 黒猫は、法制委員会の仕事で、この中間試案に対する意見書を作っていて、9月5日の臨時会までに、何とか自分の担当部分の意見書(案)をまとめないといけないのですが、この中間試案は本文だけで31ページ、補足説明に至っては108ページにものぼる大がかりなものである割には、具体的に何が変わるかという面ではいまいちインパクトに乏しいところがあります。
 改正の方向性としては、現行商法第2編の保険に関する規定を削除して、保険法という独立の法典にし、条文もすべて現代語化し、共済など保険類似の制度も適用対象とする、これまで明文の規定がなく「第3分野の保険」と言われてきた医療保険(中間試案では「傷害・疾病保険」と呼ばれている)についても明文の規定を設ける、その他責任保険に関するルールの整備や、損害保険・生命保険に関する規律の見直しを行うということなのですが、具体的な内容を見ていくと、この「見直し」が本当に細かいところの見直しにしかなっていないんですね。
 保険について社会問題になっているのは、一般人には理解できないのをよいことに保険会社が次々と訳の分からない新種の保険商品を売り出して勧誘し、不当勧誘や保険金の不払いなどといった事件が相次いでいることだと思うのですが、保険の募集に関する規律などは中間試案では示されておらず、約款の内容に対する規制もあまり目新しいものは見当たりません。
 もともと、保険法の見直しに関する発想が、何か強い問題意識をもって保険の私法上の規律を改めようとするものではなく、明治時代から改正されていない商法の保険に関する規定を現代語化するので、そのついでに中身も見直しましょうかという程度のものでしかないので、改正の方向性について政界サイドからの意向も働いておらず、法制審議会での議論の内容も、漏れ聞くところによると保険会社関係の委員と消費者関係の委員の意見が対立し平行線をたどったまま、玉虫色の中間試案が出来たというのが実情に近いようです。
 なお、保険に関しては既に保険業法という法律がありますが、保険業法は保険業を営む者に対する行政上の取締法規であり、所管官庁も金融庁です。これに対し、新しく制定される保険法は、保険契約に関する私法上の規律であり、所管官庁はむろん法務省になります。

 このような保険法の中間試案について、その内容の全体について取り上げると1万字やそこらでは利かなくなってしまうので、ここでは最初の論点である、「保険の定義」についてのみ取り上げることにします。
 現行商法では、損害保険や生命保険に関する定義規定はありますが、保険そのものに関する定義規定はありません。一方、保険法では、これまで保険とは考えられて来なかった共済等もその適用対象に含めることから、保険法の適用範囲を明確にするために、保険の定義規定を設けることが検討されています。
 ウィキペディアでは、保険とは「加入者の財産や生命、健康などの危険(事件、事故や災害など)に対し、金銭面での損失をカバーするための事業」と説明されていますが、中間試案の注で示されている保険の定義は、もう少し長くて複雑です。
 「保険、共済その他いかなる契約の類型であるかを問わず、発生するかどうかまたは発生の時期が一定の事故(一定の偶然の事故)が発生する危険に備えるために、多数の者がその危険に応じて保険料を拠出し、事故が発生した場合にその拠出を受けた者が金銭の支払その他の給付をし、危険への備えを実現することを内容とする仕組み」・・・これが中間試案で示されている保険の定義です。
 黒猫としては、まず「多数の者がその危険に応じて保険料を拠出し・・・」などと、保険に関する「大数の法則」を定義に含めることはおかしいと考えています。たしかに、大数の法則は保険事業が成立する上での重要な原理ではありますが、これは保険の経済的特質に過ぎないのであって、法的な意味での保険の「定義」に入れる必要はないでしょう。
 それに、保険も契約である以上、契約当事者間の公平といった観点も法解釈においては十分に考慮されるべきですが、これに関する保険会社側の理屈は、いつも「大数の法則」を盾に、保険会社側にとって一方的に有利な規律を押しつけようとするものであり、保険の定義にこのような「大数の法則」を明文の規定で入れてしまえば、契約当事者間の公平をないがしろにするような保険会社側の理屈を後押しする結果になるだけではないかと思います。

 また、保険との区別が問題になるものはいくつかありますが、上記の定義で区別の問題が解決されているものと、十分には解決されていないものがあります。

(1) 保険と賭博の違い
 保険は、一定の事故が「発生する危険に備えるために」利用されるものであり、この点において専ら利得を目的とする賭博と区別されるものと考えられています。
 この点については、概ね上記の定義で区別の目的は達成されていると考えてよいと思います。

(2) 保険と保険デリバティブの違い
 保険デリバティブとは、事業に関するリスクをヘッジするための金融商品で、保険とは異なり、一定の支払い条件を満たせば予め決められた金額が支払われます。
 保険デリバティブの代表的なものが天候デリバティブで、例えば夏の気温が低いと売上が減少してしまうビール会社、エアコン製造会社などは、夏の気温を対象としたデリバティブ商品を購入し、その夏の平均気温があらかじめ定められた基準値を下回った場合は、その損害分を考慮して定められた一定金額の補償を受け、冷夏による損失をカバーできるというわけです。
 補足説明によると、保険デリバティブは「危険への備えを実現する」ものではないから、この定義で保険デリバティブは保険の定義から外れると説明されていますが、天候デリバティブ取引も、さらに言えば金融デリバティブ取引も、一定の危険への備えを実現するものであることには変わりなく、この文言で保険とデリバティブの区別を図ることは困難でしょう。
 両者の区別を図るのであれば、むしろ損害発生の原因が特定されているか否かに着目するべきではないかと思われます。

(3) 加入者が極めて少数の保険の問題
 中間試案の定義では、いわゆる「大数の原則」を定義に加えているために、多数の保険契約者が存在しないと思われる衛星保険やモデルの足保険などに関しては、この定義は適切ではないのではないかという問題が生じています。これに関しては、補足説明では「これらの保険も多数の者が加入することが可能である以上は「多数の」に当たると考えることもできる旨の指摘がされた」などと屁理屈をこねていますが、衛星保険やモデルの足保険などについて現実に多数の者が加入するとは考えられない以上、このような説明にはどう考えても無理があるでしょう。
 やはり、大数の法則は法的定義として入れるべきものではないと思われます。

(4) 保険と保証の違い
 中間試案及びその補足説明では特に意識されていませんが、保証業者の業務は、考えてみると保険の仕組みとかなり類似しています。債務不履行という偶然の事故に対し、債務額の代位弁済という形で債権者の損害を補填するという点に着目すれば、損害保険会社のやっていることと本質的に変わりませんし、多数の契約者から保証料を受け取って、いわゆる大数の法則により業務を成り立たせていることも保険と変わりません。
 実際、住宅ローンなどについて、保険会社が保証業者と同じような業務をやっていることもありますし、その他保険の中には債務の保証を目的とするものも少なからず存在します。
 保険と、保証業者の行う保証を定義で厳密に区分けすることはおそらく不可能であり、保証業務を保険法の適用範囲から外したいのであれば、適用除外規定を設けるしかないでしょう。

(5) 私保険と公保険の違い
 保険法の適用対象として予定されているのは、民間の保険会社等による私保険であり、国が運営または関与する社会保険(国民年金、厚生年金保険、健康保険、国民健康保険、介護保険、労災保険、雇用保険)などの公保険は適用対象としないことが考えられていますが、これらの各種制度と保険法との関係は、今後整理していく必要があるとされています。
 特に、郵便局の運営する簡易生命保険については、郵政民営化を行う以上は私保険に分類されることになると思いますが、既に簡易生命保険法で私法的な規律が多数設けられている以上、簡易生命保険と保険法との関係を整理することは絶対に必要です。

 法律の専門家でない人には、単に「保険とは何か」という1つの問題だけでこんなにごちゃごちゃ議論するのかと思われるかもしれませんが、これに対しては「法律とはそういうものです」とお答えするしかありません。

6 コメント

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Unknown (金融)
2007-08-31 10:57:34
生命保険と損害保険を区別せずに「保険」の定義をするのでしょうか。今まで別々に発展してきただけに危惧を感じます。損保は「実損填補主義」だから具体的な損失の発生する事故の危険を要件とするのに対し、生保は「保険金は保険料の対価」だから保険金と損失は釣り合わないし、事故といっても養老保険における「満期の到来」とか年金保険における「年金支払日の到来」のように「事故」と言えないようなものもある。

「保険と賭博とデリバティブの違い」は難しいですよね。「不確実な事象の確定に伴い金銭をやり取りする」という点では全く共通。今の商法は「ギャンブルのうち社会的に価値があるものに例外規定を設けて保険とし合法化。他は賭博として刑罰の対象にした」合法化したのは「実損填補」の損保と「被保険者の同意を得てその生死を対象とする」生保だけ、という作りに見えます。デリバティブは「ギャンブルのうち損保にも生保にも当てはまらないので本来は賭博だが、社会的価値があるのでグレーゾーンで認められているもの」でしょうか。定義見直しでどこまで合法の範囲を広げるか。「危険に備える」というのは「実損填補」に近い損保的な発想ですが、生保にもピッタリ当てはまるか疑問です。例えば「養老保険」「年金保険」「子どもにかける死亡保険」。逆に「ギャンブルのうち反社会的なものを賭博として禁じ、他は保険として合法化する」という方法もあるでしょう。常習性とか金額の多寡とか。

また、保険の範囲を広げすぎると、営業保険の保険会社共済の独占を定める保険業法と連動して、思わぬものが「保険会社以外は扱えません」となってしまい困ったことが起きてしまいます。例えば「不動産賃貸の空室率保証」とか「小売の最低売上保証」とか。ここでいう保証とは広義の意味で、民法の保証(狭義)とは違いますが。

「保証(狭義)と保険の違い」は「主債務者の有無」ということで明確に区別できるのではないでしょうか。
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Unknown (金融)
2007-08-31 13:42:29
「大数の法則」「収支相償」については、保険と賭博を分けるのに役立ちませんね。競馬、競輪、宝くじはいずれも「大数の法則」「収支相償」で成り立っていますから。
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Unknown (Unknown)
2007-08-31 14:36:33
保険の定義と関連する質問です。
家電量販店でしばしば見られる長期保証は試案でいうところの「保険」に該当するのでしょうか?
ご教示お願いします。
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Unknown (Unknown)
2007-08-31 14:46:11
先ほどの質問の続きですが、
試案によると、「…金銭の支払いその他の給付をし、」
となっているため、長期保証における家電量販店の負担義務が行為債務であることに照らすと、「保険」に該当しないのでしょうか?
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家電量販店の長期保証について (黒猫)
2007-09-06 17:23:08
 家電量販店の長期保証に限らず、保証と保険の区別を理論上明確にすることは難しいと思います(債務の保証を目的とする保険もあるので、主債務者があるかどうかだけで区別しているわけではありません)。
 中間試案では、保険の定義を設けるべきかどうかについても議論がなされている段階であり、どの範囲で保険法が適用されるかも明確にされていませんが、おそらく家電量販店の長期保証のようなものが保険法の適用対象となることは想定されていないと思います。
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Unknown (Unknown)
2007-09-10 19:41:12
回答ありがとうございました。
難しい問題ですね。
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