黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

いわゆる『ケース・メソッド』の功罪

2012-07-06 07:10:23 | 法曹養成関係(H25.1まで)
 7月4日,神戸学院大学が法科大学院生の募集を停止したそうです(参照:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120704-00000003-mai-soci)が,昨年の司法試験合格者1人,今年の入学者2人ではむしろ当然の結果であり,むしろよくこんな時期まで粘っていたものです。法科大学院に任意の撤退を促すのがいかに難しいかということの証左であると言えます。

 今日の本題は,法科大学院関連の論点の中では,ややマニアックな部類に属するもので,いわゆる『ケース・メソッド』に関する問題を取り上げます。いつもの記事に比べても結構長文なので,読む際は覚悟して下さい。

○ 法科大学院におけるケース・メソッドとは
 一般的なケース・メソッドとは,実際に起きた事例を教材として,あらゆる事態に適した最善策を討議し導き出す教育手法をいうそうですが,法科大学院における「ケース・メソッド」とは,判例集そのもの(要約したものではない)を教材として使用し,授業では教師が生徒を当てて質問する授業形式を指します。それも,簡単な質問を順番にしていくようなものではなく,その生徒が答えられなくなるまで次々に質問をし,特に学習不足の学生は恥をかかされてしまいます。
 このような授業形式は,アメリカのロー・スクールで行われているものを模倣したものであり,「ソクラテス・メソッド」と呼ばれることもあります。
 司法制度改革審議会意見書では,法科大学院の授業は「双方向的・多方向的で密度の濃いもの」とすべきであるとされており,具体的にはケース・メソッドの導入が前提とされていました。佐藤幸治氏も,衆議院の法務委員会でアメリカのケース・メソッド方式による授業を賞賛する発言をしており,いわばケース・メソッドは法科大学院教育の「目玉商品」として取り扱われてきました。
 文部科学省の専門職大学院設置基準(平成十五年三月三十一日文部科学省令第十六号)第8条にも「専門職大学院においては、その目的を達成し得る実践的な教育を行うよう専攻分野に応じ事例研究、現地調査又は双方向若しくは多方向に行われる討論若しくは質疑応答その他の適切な方法により授業を行うなど適切に配慮しなければならない。」と規定されており,法科大学院関係者の間では,この条文に基づきケース・メソッドの採用が半ば義務づけられていると認識している人が多いようです。

○ ケース・メソッド推進論者の主張
 愛知学院大学の米倉明教授は,『法科大学院雑記帳』203頁~214頁でケース・メソッドについて書かれています(米倉教授はケース・メソッド推進論者です)が,米倉教授は同書の中で,ケース・メソッドの利点に関し以下のように述べられています。
① ケース・メソッドは,学生がまだフレッシュな一年未修者に対する中心的授業方式として採用すべきであり,アメリカのロースクールでも1年生に対し採用されている。これに対し,学生が司法試験対策に追われる2年生以降については,ケース・メソッドは学生の負担が大きいため適切でなく,アメリカでも2年生・3年生の授業にケース・メソッドは採用されていない。
② ケース・メソッド方式では,しっかり予習をしてこなければ衆人環視の下で恥をかかされることになるので,学生はいやでも勉強せざるを得ないように追い込まれるという効果が期待できる。
③ 講義などで一方的に知識を詰め込まれるよりは,自分で悪戦苦闘して判例原文や調査官解説,優れた判例評釈に接して取得した知識の方が具体性を帯び,印象も強く記憶に永く残るものであり,答案の練習としてもこれらの文献に当たることは有益である。
④ 口頭による表現能力を磨くには,講義形式や演習形式よりケース・メソッドが優れている。
 なお,米倉教授の主張のうち,ケース・メソッド批判に対する反論にわたる部分は,混乱を招くので後で取り上げることにします。

○ ケース・メソッドに対する批判(1)
 法科大学院制度に関する,安念潤司教授(中央大学法科大学院)の厳しいコメントは比較的有名であり,過去にこのブログで取り上げたこともあるのでご存知の方も多いと思いますが,念のため再掲します。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000102515.pdf
 上記URLは第6回法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会(平成22年11月9日開催)の議事録ですが,この場で述べられた安念教授のケース・メソッドに関する主な発言は以下のとおりです(なお,安念教授自身は「ケース・メソッド」ではなく「ソクラティック・メソッド」という用語を使用していますが,意味は同じです)。

「次に、ソクラティック・メソッドの機械的な実行はしておりません。ソクラティック・メソッドがいいと信仰している人がおりますが、どこを見てああいうことを言っているんでしょうかね。アメリカの大学でも、ソクラティック・メソッドが成功しているのはアイビーリーグを中心とする極めて優秀な大学だけです。当たり前の話です。ソクラティック・メソッドがいい場合もありますが、それは極めて優秀な教師が極めて優秀な学生とつき合っているときだけでございまして、それ以外では学級崩壊いたします。私もハーバードローに留学しておりましたが、教師も学生もやっぱり優秀ですよ、だけど、学級崩壊になるところを見ました。彼らは授業というのはああいうもんだって思っているから成り立っているだけの話であって、日本の学問、特に日本の法律学は、細部にわたる綿密さを過剰なまでに求めますので、そのようなところでは、ソクラティック・メソッドだけの授業なんて絶対成り立ちません。これ、成り立つと言っている人がいるなら、私、見せていただきたい。お客様から見れば、ソクラティック・メソッドは、大抵の場合、迷惑なんです。そもそも体系的な知識が何にも残りませんからね。」
「ですから、私も質問や意見を出すようにエンカレッジしますし、雰囲気は盛り上げますが、無理やりに一人一人当てていくなんていうことはしません。特に答えられなかった学生は実は結構傷つくものなんです。今の子はとっても傷つきやすいんです。そんな傷つきやすい子にわざわざ恥をかかせてまでやるほどの価値はありません。つまり、ソクラティック・メソッドというのは、やるべきとき、クラスの雰囲気が盛り上がってきたときにやるといいんです。それは事前に準備していくようなものじゃないんです。その場での雰囲気でやらなきゃいけない。これができない教師はだめです。つまり、学生にとって迷惑です、端的に、と私は思っております。」

【江川委員】 ほんとに初歩的なことを伺って申しわけないんですけれども、ソクラティック・メソッドというのは、つまり問答しながらやるということですよね。それがほかではスタンダードだということですか。わざわざ強要しないというふうに先生がおっしゃっているということは、ほかはみんなそういうふうにやりたがって、やっているということですか。
【安念教授】 ロースクールでは、ソクラティック・メソッドでやらなきゃいけないんだそうですよ。
【江川委員】 それはだれが決めた?
【安念教授】 知りません。みんなそう言っているから、そうなんじゃないですか。
【江川委員】 例えば法務省とか文科省とかから言われたわけではないんですか。
【安念教授】 言われているんじゃないですか。プロの方に聞いていただいたほうがいい。確か、法令で決まっているんじゃないですか。「ソクラティック・メソッド」とは書いてないと思いますよ、「双方向」とか何か、そういう地デジみたいなことを言っているんじゃないですか。何度も言っていますが、ソクラティック・メソッドは極めて優秀な教師でなければ成り立ちません。これだけははっきりしています。

 安念教授のコメントに対する論評は後回しにして,最近もう1つケース・メソッド批判に関する資料が出て来ましたので,続けて御紹介します。

○ ケース・メソッドに対する批判(2)
 平成24年6月12日中教審法科大学院特別委員会の配付資料7・未修者教育のあり方に関する若干のコメント(一橋大学の山本和彦教授が作成)では,以下のような記述があります。
参考URL:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/012/siryo/attach/1322444.htm
「2 授業のあり方について
 未修者の授業については、まず第一次的に適切な基本的知識を涵養することに主眼が置かれるべきである。1年生の段階から、判例を第1審から読ませてそれを批判するなど自分の頭で考えさせるといった授業をすることは余りに非効率であり、実際的ではないと思われる。まずは、基本的な制度のあり方を理解させ、それがなぜそのような成り立ちをしているのかについて正確な理解を涵養することが不可欠であり、そのためには授業は講義中心にならざるを得ないと思われる。ただ、講義を中心に進めるとしても、受講者の理解度を適時適切に把握することは肝要である。中間試験のように、1回的な形で確認することでは弱く、授業中の確認や頻繁な小テストなどの工夫が必要であろう(最後の方法は、筆者の試みたところでは有効であり、修得が不十分と認められる学生について自信を持って留年の判断をすることができる)。」

 このブログの読者さんの中には横着な方がいるようで,要約だと原文を読まずにコメント欄で批判する人もいるので,今回は関連する部分を全文掲載しました(米倉教授のご意見は長すぎるので全文掲載は無理ですが)。
 山本教授の意見は,未修者教育のあり方に対象が限定されているものの,ケース・メソッド方式の授業に対する批判が含まれていることは疑う余地がないでしょう。そして,米倉教授の言われるように,ケース・メソッドが1年生未修者に対する教育方法として導入されることを前提としているのであれば,その1年生に対するケース・メソッド教育が「余りに非効率であり,実際的ではない」とする山本教授の意見は,まさしく「ケース・メソッド全否定論」に他ならないと考えられます。

○ 論点整理をしてみよう
 このような記述だけでは意味が分からないという人も出てくるでしょうから,少し論点整理をしてみましょう。

論点1:日本法の教育にケース・メソッドは有効なのか?
 安念教授も言及していますが,ケース・メソッド教育を批判する教員やこれに消極的な教員は,コモンローの国(判例法国)ならともかく,法典国のわが国ではケース・メソッド方式の授業を課すことは無理だという主張をすることが多いようです。
 すなわち,アメリカやイギリスは判例法の国であって,日本と異なり民法などの基本的な法律についても,一部の州における例外を除き条文が制定されていません。おそらくそういう国では判例の学習が極めて重要であるため初学者向けのケース・メソッドが行われているのだろうけれども,日本では大陸法(フランス法やドイツ法など)の例に倣って主要な法典(法律の条文)が整備されており,法律の学習にあたっても,まずは基本的な法制度のあり方と制度趣旨を理解させることが重要であるため,少なくともわが国ではケース・メソッドは適切でないというわけです。
 ただし,この点については米倉教授が既に反論されており,わが国でも(特に民法については)法律の条文が細かいところまでフォローしているわけではなく,膨大な量の判例法理が条文の不備を補っている状況であり,しかも特に司法試験論文対策の勉強としては,条文を覚えるより条文に書かれていない基本法理や判例法理を覚えることが極めて重要とされています。
 わが国でも判例の学習が重要であることは言うまでもなく,一方判例法国であるアメリカでも,判例だけでは学習や実務に不便であるため主要な判例を要約した『リステイトメント』が作成され,実務ではこれが法律の条文に近い形で運用されているため,学習のあり方自体が根本的に異なるわけではないでしょう。
 むしろ,ケース・メソッド方式による教育は,母国アメリカのロースクールでも学級崩壊の原因となっており,必ずしも十分に機能していないという事実の方が重要ではないかと思われます。

論点2:ケース・メソッドは体系的な知識の伝達に向かないのではないか?
 ケース・メソッドでは,判例そのものを教材として学習を行います。しかし,実際に判例を読んだことのある人なら理解できると思いますが,判例はその事件でしか通用しない事実認定に関する説明が延々と続き,最後のあたりに数行程度の重要な法的判断が示され,法律の学習や実務で通常必要なのはその数行だけという代物です(一部の刑事ドラマでは,新人の弁護士や検事などに膨大な判例集を渡して「これ全部覚えて」などと無茶な命令をするシーンが散見されますが,これはドラマの作成者が十分な取材を怠っている証拠であり,実際の法律家がそのような学習方法を採ることはありません)。
 この点は安念教授も山本教授も指摘されていますが,(少なくとも建前としては)わずか3年間で法律知識ゼロから司法試験合格レベルの法的知識を身に付けなければならない未修者教育では,その3年間で身に付けるべき知識の量は莫大なものであり,その教授方法として,法律の学習に重要なことがちょっとしか書かれておらず,残りは無駄なことしか書かれていない生の判例をベースに授業を進めるというのは,余りに非効率的であると言わざるを得ません。
 これに対し米倉教授は,「体系的知識」については学生が自分で体系書を読破すれば良いと主張していますが,法律の学習は体系書を読んでも初学者にはよく分からないところが多く,そのため大学の法学部でも予備校でも講義が一般的に行われてきたのであって,そもそも法律の勉強をしたことがない他学部出身の未修者はもちろん,法学部は卒業したけれど自力では十分な知識を習得できなかった未修者に対しても,「司法試験合格に必要な体系的知識は体系書を読んで自習せよ」で済ませるというのは,あまりに非現実的かつ無責任です。大学側がそんな態度だから,授業についても予備校の必要性は一向になくならないのです。

論点3:ケース・メソッドは学習意欲の向上に有益か?
 米倉教授がケース・メソッドを強く推進している最大の理由は,学生がいやでも勉強せざるを得ない状況に追い込むという点に尽きています。米倉教授自身は自ら民法でケース・メソッドを実行し,試験でも良好な結果を得られたと主張しています(ただし,米倉教授の在籍している愛知学院大学法科大学院出身者の司法試験合格実績がどのようなものであったかについては,いちいち触れるまでもないでしょう)。
 ケース・メソッドは,教授が敢えて法学初心者の学生に対し意地悪な質問を浴びせ続け,それによって学生の法的思考能力を鍛えることに主眼があり,いわば獅子が子供を千仞の谷に突き落とすような教育方法ですが,安念教授も指摘されているとおり,今どきの学生は大変傷つきやすいので,そのような教育方法が適当かどうかについては,かなり疑問の余地があります。
 法科大学院生は精神に不調を来たしカウンセリングを受ける人の割合が他学部より高いそうであり,その原因としては進級や将来の進路に関する不安もかなりあるでしょうが,未修者に対するケース・メソッドを厳格に実施している法科大学院に関しては,このケース・メソッドが原因であるという可能性も否定できません。
 また,学生の習熟度を確認するという点については,学生に当てて答えさせるといった形式を採らなくても,山本教授の言われるような小テストを頻繁に実施するといった方法で代替可能であり,むしろ小テストの方が,数十人にわたる学生の習熟度を漏れなく確認する点では当然に優れていると考えられます。
 なお,米倉教授は,この点について「わが国の学生はケースメソッド方式に耐えられないといえるほど,ひ弱なのであろうか。情けない話ではないか」「私のところの学生はレベルが低くて無理だなどと,いわないでほしい」などと精神論めいたことを書かれていますが,アメリカのハーバード大学でも学級崩壊に至るような難易度の高い授業形式が日本の法科大学院で通用すると考える方が馬鹿げていますし,ケース・メソッドに耐えられるよう学生を入試の際に厳選すべきという主張も,大学経営のため安易に競争倍率を落とす法科大学院が続出している現状では虚しく響くばかりです。

論点4:ケース・メソッドにより培われる口頭表現能力は日本の法曹実務で役に立つか?
 この点は,学者もあまり実態を把握していないようなのですが,アメリカと異なり日本の法曹実務は「武士は死ぬことと見つけたり,弁護士は書くことと見つけたり」という言葉があるほど,その内容は書面作成が中心です。特に民事訴訟では,準備書面のやり取りが中心であり,自分側の主張を口頭で説明させることは基本的にありません。
 まあ,依頼者への説明や証人尋問,裁判員事件など口頭の能力が必要な仕事もありますが,それらを考慮しても,日本の法曹に必要な能力は書面:口頭の比率がせいぜい7:3あるいは8:2といったところだと思います。法科大学院修了者の能力に対する実務からの批判も「最近の修習生は弁論要旨の1つも書けない」「最近の新人は内容証明の1つも書けない」など,専ら書面作成能力の欠如をいう点に集中しています。
 口頭での表現能力は,実務に入ってからでも慣れればそれなりに身に付けることができますが,文書作成能力は日本語の基礎学力が問われるので,司法試験に合格した段階で文書作成能力が水準に達していない人を実務に入ってから鍛えると言っても,それには中学生・高校生あたりの国語から始めなければならず,実際にはほぼ不可能です。
 これに対し,法科大学院のケース・メソッド推進派は,現行の法曹実務に適合した人材を育てるというよりは,そうした書面中心主義の法曹実務を批判し,ケース・メソッドなどの教育により口頭の表現能力を磨いた人材を法曹界に送り込むことで,むしろ法曹実務に「革命」を起こすことを企図していた節がありますが,そうであれば新司法試験で口述試験を廃止したことは論理矛盾も甚だしいものがありますし,日本の法曹実務をわざわざ書面中心から口頭中心に変容させるメリットの有無も不明です。
 また,仮にそのような「革命」に何らかのメリットがあるとしても,口頭での表現能力を重視することにより,現行実務では絶対的に必要とされる書面作成能力を軽視するのであれば,修了者が司法試験でつまずいたり現行実務に受け入れられなかったりするのはむしろ当然のことであり,それを恐れて法曹志望者が法科大学院を避けるようになるのも法科大学院側の自業自得です。

○ おわりに
 最後に,ケース・メソッドに関する黒猫自身の体験談を少し書いておきます。
 黒猫自身は旧試験時代の合格者ですが,大学1年生のときに法学入門のような授業でケース・メソッド(のようなもの)が行われていました。その授業自体には真面目に出席しており質問にもある程度答えられたと記憶しているのですが,期末試験の問題は何のことやらさっぱり分からず,評価は衝撃の「D(不可)」をもらってしまいました。
 今にして思えば,あのケースメソッドもどきの授業は,おそらく法科大学院におけるケース・メソッドの実験といった意味合いが含まれていたのでしょうが,無駄な情報が多すぎる一方,何が法律学として重要な部分なのか授業を聴いていても分からない不親切さに溢れていました。
 一方,当時の黒猫はこの評価を受けて,自分は法律学には向かないのではないかとかなり真剣に悩み,昔から歴史好きだったため,一時は法学部ではなく文学部への進学も考えたのですが,進振りで文学部の東洋史学専攻に進むには点数が若干足りないため,やむなくそのまま法学部に進学しました。
 その後,とある動機から裁判官になりたいと思い,3年生の時から予備校に通って司法試験の勉強を始めましたが,予備校の基礎講座を受けた後は,それまでよく分からなかった法学部の授業も理解できるようになって法学部の成績も大幅に改善し,結局勉強開始から1年で択一合格,約2年(当時としては結構な短期間)で司法試験の最終合格を果たしました(ちなみに平成11年度の合格者です)。
 少なくとも黒猫自身の経験に照らせば,ケース・メソッドが法曹の卵に対する教育方法として有用であるとはとても思えませんし,ケース・メソッドに付いて行けない学生が法曹に不向きであると言うこともできないと思います。

6 コメント

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駿河台大学法科大学院 (Unknown)
2012-07-06 18:48:33
また一つ、法科大学院がお星様になりました。
http://www.surugadai.ac.jp/important/surugadai%20law%20school%2020120706.pdf
現役生からのコメント (yam)
2012-07-07 07:45:18
一橋ロー既修のyamと申します。
いつも黒猫さんの記事を興味深く読んでおり、このたび現役生の私自身も感じるところが多数ありましたので、現場報告としてコメントいたしました。長文で恐縮です。

1 ご指摘のとおり、ソクラテスメソッドは、学生が恥をかくのを恐れるあまり、多大な予習負担をかけてます。そうすると、予習準備の調査にばかり時間をかけ、司法試験対策(論点抽出と起案と暗記)には時間をかけないという危険があります。某塾長は、この危険をブログや講義で指摘し、調査能力ばかり鍛えても仕方ないから、短時間で要領やれと指導されてます。

2 そこで、我々は予習の際、ある程度問題点と法律論、事実の摘示と評価をまとめてみたら、すぐに秘伝の「まとめノート」を見るようにしてます。この「まとめノート」とは、先輩や他大ロー生と交換し合っているもので、いわゆるシケプリの一種ですね。多くの教員は、ありがたいことに毎年全く同じ教材・授業内容を流用してるので、「まとめノート」を見るだけで、十分受け答えができます。

3 授業後は、このまとめノートに新たな発見や修正を追記して、暗記や、別教材の起案&自主ゼミに励むことが多いです。一橋ローでは、誰もが自由に数多くの自主ゼミを組んで切磋琢磨し合う特徴がありますので、授業外での自主ゼミで、ソクラテスメソッドをやる方が、身につくことが多いです(自主ゼミでは恥をかきませんし、自由にモノが言えますので)。(なお、元試験委員の発言によれば、一橋ローの優秀な合格率は、優秀な学生たちによる数多くの自主ゼミによって保たれているとの指摘もあります)。

4 ちなみに、「まとめノート」を使えば授業が円滑に進みますし、教員と学生との議論も、望ましい方向に進んで、教員が一番言いたいこと(判例批判や教員の自説など)にたどり着くことができる安全性も確保されております。教員にとっても学生にとってもハッピーになれるツールです。他方、「まとめノート」を使うと、考える習慣を無くす弊害があり、けしからんという某京大ローの教員のご指摘はもっともです。しかし、少なくとも、要領良くやらないと、司法試験に合格できません。合格するためには、授業準備をできるだけ省エネ化して、授業外での精読&演習に時間をかけざるを得ず、「まとめノート」は効率性確保のための不可欠の手段と思います。

5 さらに付言すると、結局のところ、「まとめノート」を使って予習よりも復習に時間を割く学生の方が、成績(GPA)が良く、GPAを見る事務所への就職にも有利という現実があります。一橋では英語の授業が2年次に必修となってますが、授業の大半を欠席&代筆依頼し、「まとめノート」1つで期末に望んだところ、全回出席してた学生よりも成績が良かったという現実もあります。
 いかに授業の手を抜くか。合格を目指すロー生の半数ぐらいは、この問題意識をきっと持ってると思います。

6 以上、長文になり大変恐縮です。ソクラテスメソッドの授業は、いかに無益な活動に割く労力を削減するかという、実務家にとって必須の事務処理能力を高めてくれる、素晴らしいきっかけであります。

7 もっとも、これからの大手就職先は、ローの授業・試験という怪しげな評価で算定されたGPAよりも、国家資格たる予備試験のスコアの方を重視するでしょう。そこで、これからのロー生は、大手への就職対策として、GPAを稼ぐよりも、在学中の予備試験合格を目指すと思いますので、ますますソクラテスメソッドに手を抜く傾向に走るかと予想されます。

Unknown (Unknown)
2012-07-07 22:43:16
現役生さんのコメントは非常に示唆に富んでいると思われます。
私も、ロー生には、「恥をかかないための、授業のための勉強に時間を取られてもダメ」と言ってます。むしろ恥をかいたほうが覚えると思いますので。

しかし、実態は、「恥をかかないための勉強」に堕しているのが実情です。

はっきりいえば、ローなどないほうが、自学自習(予備校のアシスト)のほうが、ずっとずっと学生のレベルはアップしていたと思います。

私も、授業外の自主ゼミを有志でやっていて、それで力が付いたと思います。

それにしても、「まとめノート」って、学部の定期テスト前の単位とりのためのツールとしてありましたよね(>_<)もう学部と変わらなくなりましたね。でもそのほうが合格率はあがると思います。
ただし、授業は完全な時間の浪費となると思いますが、浪費時間は確実に減らせ
ますね。

あと、就職に関してですが、ローのGPAなどどうだっていいです。大体、ローのGPAなんてローによって採点基準もバラバラだし、基準として用をなしません。東大ローや京大ローの中からしか取らないのであればともかく、ですが。司法試験の成績は見ますが・・・。
Unknown (Unknown)
2012-07-07 22:45:52
でもそのほうが合格率はあがると思います。
ただし、授業は完全な時間の浪費となると思いますが、浪費時間は確実に減らせ
ますね。

あと、就職に関してですが、ローのGPAなどどうだっていいです。大体、ローのGPAなんてローによって採点基準もバラバラだし、基準として用をなしません。東大ローや京大ローの中からしか取らないのであればともかく、ですが。司法試験の成績は見ますが・・・。
Unknown (Unknown)
2012-07-08 20:59:42
一橋ロー教授にとっても、自分たちの功績として宣伝できるから一石二鳥ですね。
一橋ローの好循環の仕組みを見ましたね。

駄目ローは、身の程知らずの授業で学生のやる気と貴重な時間を奪って、世間からも評価されずに、学生のせいにします。そして、自分たちは悪くないことを示すために、より学生に課題を押し付けるようになります。
馬鹿ローにつける薬はないですね。
Unknown (Unknown)
2012-07-10 10:15:20
一橋ローの人が「まとめノート」の存在について言及していますが、そうなると「友達作り」の上手い人と下手な人で、相当に有利・不利の差が出てきそうですね。

友達が多くいて、そういった「秘伝のノート」や過去の試験問題、過去のレポートなどを入手可能な人は、準備に時間をかけることなく、自分の勉強時間を取ることが可能となりますが、友達がいない、もしくは少ないために、そういった「ノート」や過去問、過去レポートの流通ネットワークに乗ることが出来ない場合は、自力で全て準備しなければならないので、自分の勉強時間をあまり取れないことになりそうです。

法学部やローとは異なりますが、某国立大の理科系の話でもそういった「過去問」「過去レポート」は流通しており、友達が多い人は簡単に入手して、過去問の丸暗記や過去レポートの丸写しで定期試験に合格したり、実験レポートを受理されるなど極めて効率的に単位を取得する一方、友達が少ない、あるいは居ない人の場合、単位を落として留年、中退、自殺などに追い込まれていた例もあったりします。

いずれにせよ、黒猫さんは「予備校」を利用していたとのことで、やはり大学の講義というものは非効率で無駄な存在なのだと思わされます。本来、ロー制度を作るのであれば、講義を予備校よりも理解しやすいものにする必要があるはずなのですが、時間や学費を奪って分かりにくい内容を提供しているようでは話にならないですね。

予備校に対する批判からローという制度が作られたわけですが、予備校より分かりにくい授業を行っているようでは、何のために作ったのか意味不明です。学費に関しても予備校より高いわけで完全に経済的に余裕のある富裕層しか法曹になれない社会に日本はなってしまったのだなと感じました。