黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

交通事故をかえって増加させる「刑法改正」

2013-02-17 22:28:01 | 司法一般
 法制審議会の刑事法(自動車運転に係る死傷事犯関係)部会で,危険運転致死傷や自動車運転過失致死傷罪の見直しに関する要綱案がまとまったようです。この記事を書いている段階では,まだ事務局試案しか公表されていませんが,報道によると要綱案の内容は事務局試案と同じということなので,以下暫定的に事務局試案を実質的な要綱案とみなして検討することにします。

1 改正案の概要
 事務局試案の内容は,それだけを読むと理解しにくいところがあるので,まず事務局試案どおりの刑法改正が実現した場合,現行法と比較して法定刑がどのように変わるのかを説明します。

<改正前>
(1) 危険運転致死傷罪
 以下のいずれかに該当する行為(危険運転行為)によって交通事故を起こした場合
A アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為
B その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為
C その進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為
D 通行中の人又は車に著しく接近し,かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を走行させる行為(妨害目的の割り込み行為など)
E 赤信号等を無視し,かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を走行させる行為

 人を負傷させた場合は15年以下の懲役,人を死亡させた場合は1年以上20年以下の懲役
※1 無免許運転の場合は,Cを除き道交法違反(最高懲役1年)との併合罪になり,法定刑の上限が1年プラス。ただし,道交法の無免許運転行為については,法定刑の引き上げが別途検討されている。
※2 ひき逃げの場合は,道交法違反(最高懲役10年)との併合罪になり,負傷の場合は法定刑の上限が22年6ヶ月,死亡の場合は30年となる。

(2) 自動車運転過失致死傷罪
 自動車の運転上必要な注意を怠り,もって人を死傷させた場合であって,(1)に該当しない場合
 負傷,死亡ともに7年以下の懲役,禁錮又は100万円以下の罰金。情状が軽い場合は刑が免除される場合もある
※1 無免許運転の場合は,道交法違反との併合罪になり,法定刑の上限が懲役8年となる。
※2 ひき逃げの場合は,道交法違反との併合罪になり,法定刑の上限が懲役15年となる。

<改正後> 赤字が改正部分
(1) 危険運転致死傷罪
 以下のいずれかに該当する行為(危険運転行為)によって人を死傷させた場合
A アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為
B その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為
C その進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為
D 通行中の人又は車に著しく接近し,かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を走行させる行為(妨害目的の割り込み行為など)
E 赤信号等を無視し,かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を走行させる行為
F 通行禁止道路を進行し,かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を走行させる行為

 人を負傷させた場合は15年以下の懲役,人を死亡させた場合は1年以上20年以下の懲役
※1 無免許運転の場合(Cを除く)には,負傷が6ヶ月以上20年以下の懲役。死亡は現行法と同様で,Cを除き道交法違反との併合罪になり,法定刑の上限が懲役21年となる。
※2 ひき逃げの場合は,道交法違反(最高懲役10年)との併合罪になり,負傷の場合は法定刑の上限が22年6ヶ月,死亡の場合は30年となる。

(2) 中間類型の罪(罪名未定だが,この記事では仮に「飲酒運転致死傷等」と呼びます)
 以下のいずれかに該当する行為によって人を死傷させた場合
A アルコール又は薬物の影響により,その走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で自動車を運転する行為
B 政令で定める病気の影響により,その走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で自動車を運転する行為
(「政令で定める病気」としては,具体的には統合失調症,てんかん,再発性の失神,躁うつ病(そう病及びうつ病を含む)などが想定されている)

 人を負傷させた場合は12年以下の懲役,人を死亡させた場合は15年以下の懲役
※1 無免許運転の場合は,負傷が15年以下の懲役,死亡が6ヶ月以上20年以下の懲役
※2 ひき逃げの場合は,道交法違反(懲役10年)との併合罪になる
※3 Aに該当する者が,運転時のアルコールや薬物の影響が発覚することを免れる行為をしたときは,さらに12年以下の懲役(無免許運転の場合は15年以下の懲役)。(2)の本罪とは併合罪になるものと思われる。


(3) 自動車運転過失致死傷罪
 自動車の運転上必要な注意を怠り,もって人を死傷させた場合であって,(1)または(2)のいずれにも該当しない場合
 負傷,死亡ともに7年以下の懲役,禁錮又は100万円以下の罰金。情状が軽い場合は刑が免除される場合もある
※1 無免許運転の場合は10年以下の懲役。
※2 ひき逃げの場合は,道交法違反との併合罪になり,法定刑の上限が懲役15年となる。

2 問題点その1(病気運転に対する罰則強化について)
 この改正案には様々な問題点があるのですが,その中でも特に看過できない問題点の1つに,一定の病気を持つ者が交通事故を起こした場合の重罰化(上記(2)B)が挙げられます。
 既に,道路交通法では上記に掲げるような病気を有する者に対する免許やその更新の拒否,免許の取消しといった規定が定められ,さらに更新時に虚偽の申告をした者(病気を有しているのに,これらの病気を有しているかとの質問欄の「いいえ」に○を付けること)に対する罰則の整備なども検討されていますが,このような法改正に対しては日本精神神経学界,全国精神保健福祉会連合会などが強く反対しています。
(1) 医学的正当性がまったくない
 そもそも統合失調症,そううつ病などの精神疾患を有する人が,そうでない者より交通事故を起こしやすいということは統計的にも全く立証されておらず,また諸外国の例をみても,これらの病気を免許剥奪の根拠としている国は少数に過ぎません。
 一般的に,これらの精神疾患を有する人は,医師と相談した上で体調が悪いときには車の運転を控えるなど独自の配慮をしながら車を運転しており,病気を押して車を運転し事故を起こす人はほんの一部に過ぎないのですが,特定の病名を挙げて免許を剥奪したり,さらに交通事故を起こした場合には悪質な飲酒運転等と同視して特に厳罰に処すというのは,単なる障害者差別の立法に過ぎません。
(2) 交通事故防止の観点からも逆効果
 わが国では,電車やバスなどの公共交通機関が整備されているのは都市部などごく一部の地方に限られており,交通不便な地方に居住する人の中には,車を運転できなければ仕事はおろか通常の生活も出来ないという人が少なくありません。一方で,うつ病などの有病率はいまや人口の数%にも及び,わが国でもメジャーな病気の一つになっていますが,うつ病になったからといって直ちに車の運転を全面的に取りやめるわけにはいかない人も多いのが実情です。 
 そのような状況のもとで,うつ病などの精神疾患を免許の拒否や取消事由としたことにより,免許剥奪を恐れてうつ病などの精神疾患が疑われる人が精神科医療機関への受診を拒否し,または通院を取りやめてしまうという事例が増えているそうですが,不申告に対する罰則や事故を起こした場合の罰則も整備されることになれば,こうした事例はさらに増加することになるでしょう。
 一般的に,精神疾患が原因で交通事故を起こす人の多くは,これらの病気に罹患していながら適切な通院治療を受けていない例が多いのですが,事故時に医師の診察を受けたことがないのであれば,病名の認識がないため(2)の重罰を科すことは法律上不可能であり,罰則としてあまり意味がない一方,罰則の整備により精神疾患にかかっても医師の診察を受けない人が増加するのであれば,結果としては交通事故のリスクをむしろ増加させることになります。

3 問題点その2(ひき逃げ事犯への対処について)
 危険運転致死傷罪が新設された後,悪質なひき逃げ事犯はむしろ増大しているともいわれます。例えば,飲酒運転で交通事故を起こし人を死なせてしまった場合,危険運転致死罪が適用されれば最高で懲役20年に処せられますが,道交法で義務づけられている被害者の救護や警察への申告を行わず現場から逃走すれば,運が良ければ捕まらないかも知れませんし,運悪く捕まっても事故当時飲酒をしていたかどうかは立証が困難となり,自動車運転過失致死+救護義務違反で起訴されても最高懲役15年で済むので,とりあえず逃げた方が得だというわけです。
 事務局試案の三(上記(2)の※3)に書かれている新たな犯罪類型の創設は,一応この「逃げ得」問題に対処する目的で行われるようですが,事務局試案に書かれているような構成要件だと,結局事故当時に飲酒運転等をしていたことを立証できる場合にしか適用できず,適用範囲が狭すぎるほか,実際にこの罪を犯した人は飲酒運転致死との併合罪処理になるわけですが,刑法の規定で併合罪加重の上限は最も重い罪の1.5倍とされている関係で,この罪ではなく道交法の救護義務違反が適用された場合と,最終的な法定刑はそれほど変わりません。
 具体的には,負傷の場合は18年以下の懲役(救護義務違反の場合も同じ),死亡の場合は27年以下の懲役(救護義務違反の場合は25年以下の懲役)ということになります。構成要件の煩雑さも考慮に入れると,深刻な「逃げ得」問題の解消にはほとんど役に立たず,このような改正案ではひき逃げ事犯の増加を止められないのではないかと考えられます。
 また,事務局試案を読むと,この犯罪類型は救護義務違反と適用範囲の重複するひき逃げ事犯のほか,飲酒運転者が逮捕直前に検査を逃れるため,敢えて警察官の前で酒をがぶ飲みしてみせるといった行為にも適用されるようですが(このような行為は交通事故の現場では時々みられますが,実際にはこのような場合にも検査する方法はあるそうです),そのような他愛もない自己の罪証隠滅行為について最高懲役12年というのは,法定刑の定め方としてあまりにもバランスを欠いているように思われます。
 私見としては,交通事犯における「逃げ得」と呼ばれる状況は解消する必要がありますが,立法論としてはもっとシンプルに,自ら自動車運転過失致死傷の罪を犯した者が救護義務に違反したときは1年以上20年以下の懲役に処す,と定めてしまえばよいのではないでしょうか(なお,危険運転致死傷や飲酒運転致死傷の場合には,法定刑に死刑や無期懲役を含めることも考えられますが,裁判員裁判の対象事件を増やすのは問題になるので慎重に検討する必要があります)。

4 問題点その3(運用の困難,格落ち起訴の可能性)
 上記のような改正法が施行された場合,飲酒運転事故に対する罰則は,飲酒酩酊の程度によって以下のように区分されることになります。
(1) 正常な運転が困難な状態のとき 危険運転致死傷罪(負傷は懲役15年以下,死亡は懲役20年以下)
(2) 正常な運転に支障が生じるおそれがある状態のとき 飲酒運転致死傷罪(負傷は懲役12年以下,死亡は懲役15年以下)
(3) 上記のいずれにも該当しないとき 自動車運転過失致死傷罪+道交法違反(併合罪で懲役10年以下)
 ただ,このように曖昧な表現で法定刑を細かく分けられても,実務的には対処が難しいのです。道交法の酒気帯び運転のように,呼気検査で客観的な基準を決められるならまだよいのですが,刑法犯の場合はあくまでも総合的判断が必要なので,実務上の運用基準を設けるのはかなりの困難が伴うと思われます。
 また,危険運転致死罪は裁判員裁判の対象事件ですが,裁判員裁判は各地の裁判所において大変な負担となっており,裁判員事件の処理のため他の刑事事件の処理が大幅に遅れる事例も散見されます。そのため,検察官は一般的に裁判員対象事件の起訴を渋る傾向にあり,また例えば強姦致傷罪に問える事案であっても,裁判員裁判となるのを避けるために敢えて強姦罪で起訴するといった「格落ち起訴」がなされる例もありますが,交通事犯でも裁判員事件となるのを避けるために,従来の基準なら危険運転致死罪に問えるような事件が敢えて飲酒運転致死罪で「格落ち起訴」される可能性は否定できません。

5 おわりに
 今回の改正に関する問題点は,細かい技術的なものを含めればほかにもありますが,そもそもわが国における自動車交通事犯の罰則は,既に諸外国では類を見ないほどに重くなっています。また,日本国内の法体系としても,例えば自動車の飲酒運転であれば最高で懲役20年もの刑が科される一方,自動車以外の事故については急に法定刑が軽くなるなど,法定刑の不均衡が次第に深刻なものになっているのです。
 例えば,昨年の1月13日に起きたイタリアのコスタ・コンコルディア号座礁事故(30人以上が死亡,60人以上が負傷)と同じような事故が日本でも起きた場合,イタリアの法律では最高で禁錮12年とのことですが,日本の法律では業務上過失致死罪が適用され,最高でも懲役5年にしかなりません。
 そういう刑法全体にかかわるような話はひとまず措くとしても,今回の刑法改正が,「自動車運転による死傷事犯の見直しをするだけだから短時間で済むだろう」という安易な発想により,部会でも様々な反対意見を押し切って短期間で強引に結論を出すような議事運営が行われているほか,改正内容自体も様々な法的,医学的及び政策的問題を無視した杜撰なものであることは確かであり,このような事務局試案(要綱案)に基づく刑法改正には,強く反対せざるを得ません。

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ( )
2013-02-17 23:25:13
危険運転致死傷罪については、
酒酔い運転、無免許運転の結果的加重犯としてしまい、他のごちゃごちゃした要件はいらないと思っています。
酒酔い、無免許運転に高度の危険性があるのは明らかなのだから、わざわざ危険運転行為なんて類型を作る必要なかったと思うんですがね。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-02-18 10:25:09
そうすると、珍走族がやってるような信号無視、蛇行運転、ドリフトなどの故意の危険行為は危険運転致死傷罪に当てはまりませんが、それでもいいということですか?
刑罰規定は類推を認めませんので、「そんなの一緒じゃん」は通用しませんよ。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-02-19 09:43:38
刑法を改正しても警察の体制を改正しないとね。
一般人には危害を加えるのに暴走族にはなにもできないのでは情けなすぎ。
返信する