黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

プレテストの講評(1)

2005-10-25 19:20:09 | 司法(平成17年)
 法学セミナーの11月号に,新司法試験プレテストの解説と講評が載っていたので読んでみました。このうち,講評について気になった点をコメントしてみます。
 第1回の今回は,公法系科目を担当した成蹊大学教授・安念潤司氏の講評。
 最後の「雑感」の部分を引用しつつ,つっこみを入れてみたいと思います。ちなみに,『 』内の部分が引用部分です。

『それにしても,短答式・論文式とも,よくもまあこれだけ難しい問題を作れるもの,とつくづく感心させられる。「試験フェチ」としかいいようのない,日本人の試験に掛ける情熱の凄まじさに圧倒される。』
 そりゃあ,三大国家試験の1つといわれる難関試験ですからね。
 でも,試験の講評をする専門家がこんなことをいうのは,自分のレベルが低いことを暴露しているようなもので,普通の専門家は口が裂けてもこんなことはいわないような気がします。

『良い問題を出せば良い人材を選抜できる,と考えているのかもしれない。しかし,かつて高等試験司法科や初期の司法試験では,「三権分立について論ぜよ。」式の問題が主流であったのに,こうした「悪い」問題が出されたせいで昔の法律家は能力が低かったとする実証データは聞いたことがない。データ抜きで議論するのが日本の教育論の著しい特色で,帰するところ,念力の世界となる。』
 それをいうなら,法科大学院制度自体がデータどころか何を教えるかの構想すらない状態で作ってしまったものであり,まさに法科大学院は「念力」の産物といえますね。
 それはともかく,「三権分立について論ぜよ。」のようなパターンの問題を現行司法試験の世界では「一行問題」と言いますが,一行問題はまず答案に「何を書くか」という構想を練らなければならず,問題文で書くべきことがある程度指示されている問題と比べると,かえって難易度が高いんですね。採点も難しいでしょうし。
 司法試験業界の実情を知らないこと丸わかりの,専門家というよりは素人の感想を読んでいるような気がしてなりません。

『ペーパーテストで見られる能力など所詮知れたもの,というのが私の考えである。箸にも棒にもかからぬ人間だけを排除できれば上出来,後は世間の風に晒して競争させれば済む話なのだから,司法試験合格者は1万人であろうが2万人であろうが誰も困りはせぬ筋合い,落とすための問題作りに骨折る手間も省け,八方万々歳と私などは主張してきたのだが,誰も賛成も反論もしてくれない。私の考えのどこが間違っているのか,小泉総理ならねど,皆さんに直接聞いてみたい。』
 誰も賛成も反論もしてくれないのは,要するに相手にされていないだけだと思いますが,要するに,弁護士その他の法曹が,医師などと同様に専門性のある職業であるということを,この人は全く理解していないのだと思います。