(音楽×小説企画。文字数多いんで、詳細は前記事を参照!)
私は機嫌よく自転車をこいでいた。日は落ちてきているが、まだ夜という暗さではない。今日は、親が仕事に出かけている間に内緒でカラオケに行ってしまったのだが、この分だとばれる前に家にたどり着きそうだ。
本来なら家でテスト勉強をしているはずの私だけれど、どうにも家にこもっていられなくなってしまったのだ。早めに家を出たので、十分歌うことはできたし、少し汗もかいた、本当に気分がいい。
いつもと同じように両耳にイヤホンをつっこんで、さっきまで歌っていた曲を聴きながら、軽快にペダルを踏む。
そんなとき目の前を黒っぽい影がよぎった。
「猫!」
実家で飼っていることもあって、小さいころから猫は身近な動物だった。だから、妙な愛着を感じる。普段からしているように、思わず猫を目で追っていた。
そのとき、私の前にもっと大きな影が飛び込んできた。
あわててブレーキをかけながらハンドルを切る。突然のことにいろいろな処理が追いつかず、景色が上下左右に揺れ動き、最終的に側頭部に衝撃が走った。
落ち着いて処理してみると、どうやら脇道から突然車が飛び出してきたようだ。私はそれにぶつからまいと、よけようとして縁石に乗り上げ、バランスを崩したところたまたま横にあった電柱に側頭部をぶつけたらしかった。
ずいぶんと痛かったけれど、何よりも恥ずかしくて仕方がない。車に乗っていた人物は何事もなかったかのように走り去っていき、私もとにかくその場から逃げ出したかった。なにがしかと正面衝突することよりはましであったろうけど、路上で醜態を晒したことは事実だ。
自転車を急いで道に戻し、全力で走る。よかった気分は最悪だ。誰もいない家に帰りついた後、またカラオケに行きたいと悶々とする羽目になってしまった。
いまいちうまく歌えないうろ覚えの曲を聴きながら、自室の畳に寝そべる。
まだ側頭部はじんわりと痛かった。たんこぶができるんじゃないか、と思って、たんこぶなんて言葉を使うのは久しぶりだと何となくおかしくなる。それで気分は少し明るくなったが、どうにも何かしようという気が起きなくなってしまった。
普段なら、本を読んだり、パソコンをつけてみたり、何かしらするのだが、畳の上がいつにもまして居心地がいい。そういえば、明後日はテストだ、と大事な事を思い出したが、勉強する気にもならなかった。今回もきっと英語や数学はひどい点数だろう。
だんだんと眠たくなってきて、そこで思った。先ほど頭を強く打ってしまったけれど、私の体に何か異常はないだろうか。よくよく考えれば普段あまり眠くならないのに、今日は体がだるくて眠気がある。
気にし始めると心臓が妙に早く動き出した。さっきまで寝転がっていたかったのに、こうなると動くのは早い。すぐさま立ち上がり、とりあえずその場を跳ねてみた。
足に力が入らないとか、起きていられないほど眠気がするとかで、立っていられない、なんてことはないか、と思ったのだけれど、そんなことは一切ない。それでも、すぐ息切れしたり疲れたり、長い運動がだめになっていたらどうしよう、と、聴いていた曲にあわせてしばらく跳んでいた。
すると、視界のはしに奇妙なものが見えた。私と同じテンポで跳ねている何かがあるのだ。しかし、視界の中心にとらえてはっきり見ようとすると、先ほどまでそれが跳ねていた場所には何もない。見えた気がしただけで何もなかったのか、と思ったけれど、もう一度跳ね出すと、同じ場所にやはり同じものが見えた気がする。だが、その地点を見据えたとたん何も見えなくなってしまった。
向いた方向を変えずに飛び跳ねてみると、さっきとは違う場所、しかし、私の視界に入るか入らないくらいかの位置であることは変わらずに、それは見えた。さすがに、三度も見えたように感じると、気のせいでは片づけられない。でも、それははっきり視界の中心に収めることができないのだ。
その妙なものは、私の聴いている曲のテンポにあわせて跳ねていて、曲が変わって違うテンポになってもそれに合わせて跳ねていた。むろん私もそうやって調子を変えながら跳ねていたから、私の頭がどうにかなっているのだったら、別にそれが私の聴いている音楽に合わせて動いても不思議なことはない。
それははっきりと細かいところまで認識することはできなかったけれど、灰色で、握り拳大の丸っこい物体。でも、形が跳ねる度ゆがんでいたように見えたから、なんだか弾力がありそうだった。
いったいそれは何なのだろう。おそらく、私の頭のどこかが不調をきたして、そのようなおかしなものが見えているのだろうが、これは大丈夫なのだろうか。
今のところ害はない。跳ねるのをやめればそんなものは一切見えないし、ほかにおかしなところはない。それでも不気味なことに変わりはなかった。
動悸は早いまま、疲れて畳の上にへたり込む。すっかり暗くなった部屋の中で、今日あったことを繰り返し思い返した。
そんなとき、玄関の方で物音が。どうやら母が帰ってきたらしい。
*
母が帰ってきた後はいつも通りだった。
母の後に風呂に入り、二人でテレビを見ながら夕食を食べる。私たちの間に会話はほとんどなく、相変わらず母はテレビ番組に対して余計なコメントが多くて、私はいらいらした。母はテレビを見ているとき自分の意見をすぐに口に出してしまう。
芸人がどこかの部族の家を調査しているのを見ながら、こんなところには行きたくないだの、こんなもの食べたくないだの、日本がいいだのとよく喋った。母は基本自己中心的でわがままで、私は嫌いだった。何度テレビで好きな芸人が出ているときは喋らないでくれと言っても聞かない。しかしその点、母の好きなタレントが出ているとき、私が音を立てると怒るのだ。
今日もそんな調子でじゃまをされたので、私の身に起こったことについて話す気にはとてもなれなかった。それに、本当は出かけてはいけない日だったのだから、余計なことは言わないに限る。そもそも言っても信じてくれるはずはないので、もとから報告する気はない。
テスト前なので、テレビは早々に切り上げさせられ、自室に戻った。障子一枚隔てた先で、テレビの騒がしい音が聞こえる。
再びイヤホンを耳につめて、とりあえず教科書を開いてみた。
*
私はいつも、この日がきてしまったなぁ、と、半ば諦めに近い気持ちでテストを受ける。自信を持って受けたことなんてろくになかった。ちゃんと勉強をしたこともほとんどない。学校に着いて、最後の復習をすればいいのだけれど、結局は仲のいい友人と喋っているうちに担当の先生がきてしまうのだ。
私は教室後方の隅の席で問題とにらみ合っていた。最初の教科は世界史で、唯一勉強の手を着けていた暗記教科だった。しかし、付け焼き刃の知識では解答欄に空きが目立ち、カタカナだらけの地名や人名はいくら踏ん張っても、惜しいところにかすりもしない語しか出てこない。
まだいくらか時間が残っているが、早々に考えることを放棄した私は、一緒にテストを受けている同級生たちの丸まった背中を眺めた。手元が止まらずに動いている人もいれば、机に突っ伏している人もいる。無論、何もおもしろいことはない。
暇になったので、今度カラオケに行ったら何を歌おうか考えた。まだほとんどメロディも歌詞も覚えていない曲を思い出そうとしてみる。脳内で音楽を再生し、とんとんと軽く指で机を叩きながらリズムを取る。
そこで、昨日のことを思い出した。というのも、今、いくつも例の奇妙なものが見えたからだ。今の今まですっかり忘れていたのに、リズムを刻みだしたとたん、それが私の視界に現れた。
指の動きを止めるとそれらは消え、早くなった動機を抑えようと、何度か深呼吸する。しばらく周囲をじっと見て、何もしないうちにそれが現れたりしないか固まっていたが、一向にその丸っこいものが現れることはなかった。つまり、私が何かしらリズムを体で刻んだときにそれは現れるのではないだろうか。
私は胸に手を当てて、息を吐きながら思った。心臓が脈打つのが手に伝わってくる。とたん、再び灰色の玉のようなものが見える。私の解答用紙の上で、それはぴょんぴょんと跳ねていた。
とっとっとっと、そんな風に動きの速まる心臓。目の前の机の上に視線をまっすぐ向けても、それはさっきより動きがすばやくなっているだけで、消えることはなかった。周囲の人を見ると、そこら中で同じように丸いものが跳んでいる。どれも大きさは似たようなものだけれど、色に濃淡があって、跳ねる速度はそれぞれ違う。机だったり、床だったり、人の頭や肩の上で跳ねているものもあった。みんな一つずつ持っているのかと思ったけれど、全員のそばにあるわけでもないらしい。
気味が悪いので、どれからも目をそらして窓から空を見る。そのまましばらく外を見ていると、がたがたというイスを引く音がほかの教室から聞こえ始め、筆記用具を置いてください、と先生が言った。
*
その後は、思い出すたびに奇妙なものが見え続けた。心臓を意識するたび、歩くたび、音楽を聴くたび、それはふってわくように現れた。
テストを終えた後は、普段なら友人連中としばらく喋ってから帰るのだけど、早々に引き上げることにする。少し頭痛がし始めていたので、おそらく今日も勉強は手に着かないだろう。
テストは一週間続くが、明日のテストは受験用教科ではないので、ゆっくりすることにした。帰り道の途中で市立の図書館によって厚めの本を数冊借りる。
家に帰って、簡単に昼食をとった後は、布団にはいって本を読んだ。そのとき音楽を聴いてはいたものの、文字を目で追っているうちは、変なものは目に入らなかったし、そんなもののことは本の世界に夢中になるうちに忘れていた。
この日以降テスト週間中、いつものことではあるが、勉強はほとんど手に着かなかった。普段の授業はそれなりにまじめに聞いているから、赤点の心配はないものの、この調子では志望校には行けないだろう。
テスト週間四日目、最後の日を明日に控えて、私は目の下が少し黒くなった自分の顔を、半ば呆然としながら見ていた。部屋のタンスの全身鏡に映る私の頭の上で、黒く硬質な、鈍い光を放つ玉がはねている。
私は自分の頭の中で何か異常が起こっているのであろうことを、はっきりと自覚するほかなかった。今まで不安や、不気味さはあったけれど、今度は恐ろしさを感じ始めた。幻覚、というものを私は見ているのだろうか。
最初見たときよりずいぶんと重そうな見た目になったそれは、頭上で一定の調子を刻み続けている。何かが私の上で跳ねている感覚はないが、それが引き起こしているような頭痛は続いていた。
母は眠そうで少しぐったりした私を見ても、普段から夜更かしをしている当然の報いであるようにしか見ていない。だが、このまま幻覚のような症状が続くのであれば、私から母にこの異常を報告しなければならないだろう。
不安と恐怖と頭痛に包まれた私は、また布団にこもって本を開いた。開いた本が教科書であったなら、まだ明日に希望がもてたかもしれなかった。
*
テスト最終日は苦手としている英語系の教科があり、その結果は今までになく最悪だった。テストが終わっても解放感も何もなく、友人たちが楽しそうに話しているのにあわせて、力なく笑顔を浮かべるくらいしかできない。
そんな私をさすがに友人たちは心配し始めた。普通なら私から誘うのだが、今度ばかりは友人たちからカラオケの誘いがきた。
普段であれば飛び跳ねて喜ぶくらいなのだが、私はとても、薄暗くて狭い、音楽に、リズムに満ちたカラオケに行く気にはなれなかった。誘いを断ると、友人たちはひどく驚いて、理由を聞かれたけれど、私はことを説明する気にはとてもなれない。
ただ、体調がひどく悪いから、とだけ言って、一人で自転車置き場に向かった。でも、とても強く思っていた、誰か追いかけてきて自分の話を聞いてくれはしないだろうか、と。
外に出ると、みんな明るい顔で誰かと話しながら学校から出ていく。
自分の体調が悪いとき、周りで元気そうにしている人を見ると、恨めしく感じてしまう。それと同時に、自分がそんな風に笑っていられたならどんなにいいだろうと、うらやましく思う。
私の横を通り抜けていく、明るい笑顔の人たちの周りに玉は跳ねていなかった。
自転車に鍵をさし、車体を後ろに引いたところで、背後に人の気配を感じた。振り返ると、友人の一人が立っている。
「もう帰んの?」
彼女はそう聞いてきた。普通、体調が悪いときは寄り道せずに、すぐさま家に帰るだろうと思うのだが。そう感じる反面、私はとても嬉しく感じていた。背中に背負ったリュックにはもう読み終えてしまった本を入れている。
「図書館に、行こうかなって、今思ったところ」
私の返事に、ほっとしたような笑みを浮かべると、一緒に行ってもいいか? と彼女は聞いた。
*
人気のない、図書館の隅で、私と友人は向かい合って座った。既に本の返却や物色は済んでいたけれど、友人が話をしたがっているようなので、もう少し図書館にいることにする。
「あのさ、最近様子おかしいよな」
友人は開口一番そう言った。
彼女は人の顔を見ながら話すのは苦手らしい。その証拠に彼女は今私の胸あたりを見て話している。
「いや、俺も人に言ってないこととかあるから、無理に話してくれとは言わないんだけど」
彼女は一人称が俺である。小柄な見た目に似合わないとは思うけど、と自分で言っていた。
私は、もしかして彼女は体こそ女性だが、心は男なのではないか、そう思ったりすることがある。言ってないこと、というのは、もしかしてそれか、などと考えた。
「その、ものすごく変なことがあってさ」
私はぜひ話したい、とまでは思わなかったけれど、いつか誰かに話すことになるだろう。
「変でも何でも、ちゃんと聞くから話してみてよ」
彼女はちらりと私の目を見て言う。それにうなずいて、私は事件のあった日から今までのことを話そうと決めた。
*
「なんだそれ、気にし過ぎじゃないの?」
友人の第一声はそれだった。
「気になるんだよ、いっつも視界のはしに見えるんだから! 自分がなってないからそんなこと言えるの!」
彼女は話している間中バカみたいとでも言いたそうな顔で、私の横の空間を見ている。先ほどから、とんでもなく腹立たしい態度と言い分である。
「それの何が悪いんだよ」
「何がって、これのおかげで頭痛がしてるし、寝付けないし、勉強にも集中できないし」
「そりゃ、気にし過ぎてるからだろ」
彼女は腕組みをしながら私の首の辺りを見る。
「そんな気味悪がってないで、それが一体何なのかよく考えてみたらどうなんだ」
そういえば、彼女の近くには玉がない。今、私の視界からそれは消えていた。
「もしかしたら、精神的なものかもしれないじゃんか」
「精神的なもの?」
「事故みたいなやつのショックを引きずってる、とか」
「別にあのときのことはそんなに気にしてないよ。確かに恥ずかしかったけど、誰も見てなかったし」
ただ、あのとき道を横切った猫は私を見てから逃げ出した。しかし、猫が見ていたから何なのだ。
「じゃぁ、特殊能力かな!」
なにやら嬉しそうな顔をして、友人はちらりと私の顔を見る。
「なにそれ!」
ゲームやマンガなんかじゃあるまいし。本は好きだけれど、ライトノベルは読まないし、そういうのは好きじゃない。
「そんな脳の異常だとか夢のないことばっかり言ってるからだめなんじゃねぇの? もっといい方に考えて見ろよ」
「いい方、ねぇ」
プラス思考という奴だろうか。楽観的な彼女は、普段からきっとそんなものの考え方をしているのだろう。
彼女は私とどっこいどっこいの学力、見た目、運動能力だ。ただ、精神面の作りだけは大きく違うらしい。彼女は何の悩みもないような笑顔で私の頭の上を見ていた。
*
家に帰ると、荷物を置いてすぐに学習机に向かった。目の前に卓上鏡をおいて、頭の上に手を伸ばす。頭上で跳ねる玉の下に手のひらを滑り込ませると、それは私の手の上で跳ね続けた。手に乗せた状態で目の前に持ってくると、それは手の上で一定のペースを維持したまま頭の上に戻る様子はない。
何の音もしない中で、緊張した心臓の音と、私の息づかいだけが聞こえる。すばやく手を引くと、玉は机の上で跳ねだした。しばらく見つめていると、それは、私の心臓の音に合わせて跳ねているのだと気がついた。
これは、私なのだろうか。
落ち着いて見ていると、玉の動きはだんだんとゆっくりとしたものになっていった。いつの間にか頭痛は治って、その玉の色はどんどん薄れていった。
そこで私は実験的に何か不安になるような絶望的なことを考えてみることにする。
私の母親は年の離れた父と結婚し、私が生まれてすぐ離婚。親と気が合わず私を連れて家を飛び出し、私との二人暮らし。唯一親交のあった友人にも子供ができ、交流が減る。さらにその母の友人にできた子には障害があって、その人は怪しげな宗教にだまされ、母も勧誘されて本格的に友人がいなくなる。一方で祖父母も怪しげな宗教にはまってそちらからも勧誘された。
そして、私はそんな母と気が合わず、いつか家を出たいと思っているが、それはつまり私も母と同じ運命を歩むかもしれない、ということだ。家族とうまくいかず、友人関係もうまくいかず、彼氏もできず、それから仕事もうまくいかず、貧乏暮らし。
私の心は見る間に絶望的になり、私の前で跳ねていた玉はどんどん黒く染まっていく。
しかしだ、私には今何人も友達がいるし、母と違って何かと好きなことも多い。多少人との関わりが少なくたって、自分の気持ち次第でいくらでも幸せになれるはずなのだ。
そう思うと、目の前の玉はまた白く戻っていった。それに手を伸ばし、両手の平で支える。
私の鼓動に合わせて跳ねるそれを胸元に引き寄せた。
体には終始何の感覚もなかったけれど、それはもう視界のどこにもなかった。
*
放課後、みんなで集まってカラオケに行こうと相談していると、あのとき話を聞いてくれた友人が力ない笑みを見せた。
「ちょっと気分が良くなくてさ。今日はパスだわ」
彼女はそのままさっさと歩いていく。友人たちは顔を見合わせ、私はぽんぽんと指でリズムを取った。彼女の頭の上で黒い玉が跳ねているのが見えた。
ほかの友人たちに後で行くから先行ってて、と言い残して彼女を追いかける。
「待ってよ、何かあったんでしょ?」
友人の背中に声をかけると、彼女は少し歩く速度を弱めた。
「ねぇ、これからすぐ家に帰るの?」
「いや、図書館、行こうかな」
「じゃぁ、私も」
既視感、というのか、その後は終始そんな感覚がしていた。なるほどこの調子なら、あのときの私のように、彼女には何かしらの悩みがあり、私と同じようにその何かをカミングアウトするのだろう。そして、私が助言して、今度は彼女が私に感謝する番なのだ。
そう思いながら図書館で用事を済ませた後、帰ろうとした友人を引き止めた。そのまま館内の隅の席に向かい合って座る。彼女の目の下はくまができて、ほとんどあのときの私と同じような顔をしていた。
「あのさ。あんまり言いたくないんだけど」
彼女はうつむきながら何かもごもごと言った。友人は自信がないときは声がこもって、何を言っているのかわからなくなる。
「言ってみなよ、私だってこの間あんな話をしたわけじゃない。それで結構救われたんだから」
彼女は少し顔を上げて私の首元を見ると、どこか弱々しくうなずいて、疲れた顔で口を開いた。
「私、彼氏がいて、こないだフラれ」
「聞いてないよぉ?!」
私は言葉を思い切り遮り、目の前の机を叩いた勢いで立ち上がった。彼女の頭と机の上に黒い玉が現れて跳ねる。
*
私と彼女は相変わらずお互い仲のいい友人である。私は得体の知れない能力を手に入れて、彼女との友情を深めた。彼女は彼氏にフラれて、私との友情を深めた。
私も彼女も一時は絶望的だったけれど、今は落ち着いた。
結局、変な能力が身に付こうと、楽しくやれたらそれでいいわけだし、たとえ、彼氏がいなくても、人生おもしろかったらそれでいいのだ。楽しくおもしろい人生に必要なのは、気心の知れた人間であり、それが友人である。私はそんな答えに行き着いた。
たとえ、自分の身に妙なことが起ころうとも、たとえ、新しい家族はできなくとも、一人でなければきっと幸せであれるのであろう。妙な事故を起こそうと、好きになった人に嫌われようと、幸せになれるかなれないかという点においては、何もマイナスになるようなことはない、全ては気の持ちようなのだ。
あの時私の前を横切った灰色の猫はそれを知っていただろうか。私の身には不幸のようなそうでないような事が起こったが、どうせ気の持ちようで変わるならいい方に考えて、しっかり利用してやることにしよう。
こうやって自分にいろいろと言い聞かせて、友人がいればいいとは思うようにした。が、決して彼氏なんていなくてもいいからほしくないとか言うわけではないのだ。
指でリズムを刻みながら、学校の廊下を歩く。ふと横を通り過ぎた男子生徒に声をかけた。
「君、頭痛がしたりしていないか」
彼は驚いたように私を見た。
「君の頭の上でゼツボウルが跳ねている」
私の頭の上では目には見えない真っ白なキボウルが跳ねていることだろう。
あとがき?
ブログ記事一本にまとめるには随分長くなりました。
しかし、使った曲は一曲だけですから、いくつも記事を作るわけにもねぇ、というわけで無理やり押し込みました。
ちなみに記事タイトルのwhite heatは曲名です。
The Flickersというアーティストで偶然見つけて、曲調が気に入りました。
ですので、今回の小説には曲調と言うか、リズムくらいしか影響を受けてません。
この曲のリズムといいますか、そういうのを聴いていたらボールが跳ねているのが思い浮かんだので、こんな話になりました。
記事タイトルの望るというのは小説のタイトルです。
もっとあとがきっぽいことを書いてもいいんですけど、これだけ文字ぎっちりですから、このくらいにしておきます。
私は機嫌よく自転車をこいでいた。日は落ちてきているが、まだ夜という暗さではない。今日は、親が仕事に出かけている間に内緒でカラオケに行ってしまったのだが、この分だとばれる前に家にたどり着きそうだ。
本来なら家でテスト勉強をしているはずの私だけれど、どうにも家にこもっていられなくなってしまったのだ。早めに家を出たので、十分歌うことはできたし、少し汗もかいた、本当に気分がいい。
いつもと同じように両耳にイヤホンをつっこんで、さっきまで歌っていた曲を聴きながら、軽快にペダルを踏む。
そんなとき目の前を黒っぽい影がよぎった。
「猫!」
実家で飼っていることもあって、小さいころから猫は身近な動物だった。だから、妙な愛着を感じる。普段からしているように、思わず猫を目で追っていた。
そのとき、私の前にもっと大きな影が飛び込んできた。
あわててブレーキをかけながらハンドルを切る。突然のことにいろいろな処理が追いつかず、景色が上下左右に揺れ動き、最終的に側頭部に衝撃が走った。
落ち着いて処理してみると、どうやら脇道から突然車が飛び出してきたようだ。私はそれにぶつからまいと、よけようとして縁石に乗り上げ、バランスを崩したところたまたま横にあった電柱に側頭部をぶつけたらしかった。
ずいぶんと痛かったけれど、何よりも恥ずかしくて仕方がない。車に乗っていた人物は何事もなかったかのように走り去っていき、私もとにかくその場から逃げ出したかった。なにがしかと正面衝突することよりはましであったろうけど、路上で醜態を晒したことは事実だ。
自転車を急いで道に戻し、全力で走る。よかった気分は最悪だ。誰もいない家に帰りついた後、またカラオケに行きたいと悶々とする羽目になってしまった。
いまいちうまく歌えないうろ覚えの曲を聴きながら、自室の畳に寝そべる。
まだ側頭部はじんわりと痛かった。たんこぶができるんじゃないか、と思って、たんこぶなんて言葉を使うのは久しぶりだと何となくおかしくなる。それで気分は少し明るくなったが、どうにも何かしようという気が起きなくなってしまった。
普段なら、本を読んだり、パソコンをつけてみたり、何かしらするのだが、畳の上がいつにもまして居心地がいい。そういえば、明後日はテストだ、と大事な事を思い出したが、勉強する気にもならなかった。今回もきっと英語や数学はひどい点数だろう。
だんだんと眠たくなってきて、そこで思った。先ほど頭を強く打ってしまったけれど、私の体に何か異常はないだろうか。よくよく考えれば普段あまり眠くならないのに、今日は体がだるくて眠気がある。
気にし始めると心臓が妙に早く動き出した。さっきまで寝転がっていたかったのに、こうなると動くのは早い。すぐさま立ち上がり、とりあえずその場を跳ねてみた。
足に力が入らないとか、起きていられないほど眠気がするとかで、立っていられない、なんてことはないか、と思ったのだけれど、そんなことは一切ない。それでも、すぐ息切れしたり疲れたり、長い運動がだめになっていたらどうしよう、と、聴いていた曲にあわせてしばらく跳んでいた。
すると、視界のはしに奇妙なものが見えた。私と同じテンポで跳ねている何かがあるのだ。しかし、視界の中心にとらえてはっきり見ようとすると、先ほどまでそれが跳ねていた場所には何もない。見えた気がしただけで何もなかったのか、と思ったけれど、もう一度跳ね出すと、同じ場所にやはり同じものが見えた気がする。だが、その地点を見据えたとたん何も見えなくなってしまった。
向いた方向を変えずに飛び跳ねてみると、さっきとは違う場所、しかし、私の視界に入るか入らないくらいかの位置であることは変わらずに、それは見えた。さすがに、三度も見えたように感じると、気のせいでは片づけられない。でも、それははっきり視界の中心に収めることができないのだ。
その妙なものは、私の聴いている曲のテンポにあわせて跳ねていて、曲が変わって違うテンポになってもそれに合わせて跳ねていた。むろん私もそうやって調子を変えながら跳ねていたから、私の頭がどうにかなっているのだったら、別にそれが私の聴いている音楽に合わせて動いても不思議なことはない。
それははっきりと細かいところまで認識することはできなかったけれど、灰色で、握り拳大の丸っこい物体。でも、形が跳ねる度ゆがんでいたように見えたから、なんだか弾力がありそうだった。
いったいそれは何なのだろう。おそらく、私の頭のどこかが不調をきたして、そのようなおかしなものが見えているのだろうが、これは大丈夫なのだろうか。
今のところ害はない。跳ねるのをやめればそんなものは一切見えないし、ほかにおかしなところはない。それでも不気味なことに変わりはなかった。
動悸は早いまま、疲れて畳の上にへたり込む。すっかり暗くなった部屋の中で、今日あったことを繰り返し思い返した。
そんなとき、玄関の方で物音が。どうやら母が帰ってきたらしい。
*
母が帰ってきた後はいつも通りだった。
母の後に風呂に入り、二人でテレビを見ながら夕食を食べる。私たちの間に会話はほとんどなく、相変わらず母はテレビ番組に対して余計なコメントが多くて、私はいらいらした。母はテレビを見ているとき自分の意見をすぐに口に出してしまう。
芸人がどこかの部族の家を調査しているのを見ながら、こんなところには行きたくないだの、こんなもの食べたくないだの、日本がいいだのとよく喋った。母は基本自己中心的でわがままで、私は嫌いだった。何度テレビで好きな芸人が出ているときは喋らないでくれと言っても聞かない。しかしその点、母の好きなタレントが出ているとき、私が音を立てると怒るのだ。
今日もそんな調子でじゃまをされたので、私の身に起こったことについて話す気にはとてもなれなかった。それに、本当は出かけてはいけない日だったのだから、余計なことは言わないに限る。そもそも言っても信じてくれるはずはないので、もとから報告する気はない。
テスト前なので、テレビは早々に切り上げさせられ、自室に戻った。障子一枚隔てた先で、テレビの騒がしい音が聞こえる。
再びイヤホンを耳につめて、とりあえず教科書を開いてみた。
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私はいつも、この日がきてしまったなぁ、と、半ば諦めに近い気持ちでテストを受ける。自信を持って受けたことなんてろくになかった。ちゃんと勉強をしたこともほとんどない。学校に着いて、最後の復習をすればいいのだけれど、結局は仲のいい友人と喋っているうちに担当の先生がきてしまうのだ。
私は教室後方の隅の席で問題とにらみ合っていた。最初の教科は世界史で、唯一勉強の手を着けていた暗記教科だった。しかし、付け焼き刃の知識では解答欄に空きが目立ち、カタカナだらけの地名や人名はいくら踏ん張っても、惜しいところにかすりもしない語しか出てこない。
まだいくらか時間が残っているが、早々に考えることを放棄した私は、一緒にテストを受けている同級生たちの丸まった背中を眺めた。手元が止まらずに動いている人もいれば、机に突っ伏している人もいる。無論、何もおもしろいことはない。
暇になったので、今度カラオケに行ったら何を歌おうか考えた。まだほとんどメロディも歌詞も覚えていない曲を思い出そうとしてみる。脳内で音楽を再生し、とんとんと軽く指で机を叩きながらリズムを取る。
そこで、昨日のことを思い出した。というのも、今、いくつも例の奇妙なものが見えたからだ。今の今まですっかり忘れていたのに、リズムを刻みだしたとたん、それが私の視界に現れた。
指の動きを止めるとそれらは消え、早くなった動機を抑えようと、何度か深呼吸する。しばらく周囲をじっと見て、何もしないうちにそれが現れたりしないか固まっていたが、一向にその丸っこいものが現れることはなかった。つまり、私が何かしらリズムを体で刻んだときにそれは現れるのではないだろうか。
私は胸に手を当てて、息を吐きながら思った。心臓が脈打つのが手に伝わってくる。とたん、再び灰色の玉のようなものが見える。私の解答用紙の上で、それはぴょんぴょんと跳ねていた。
とっとっとっと、そんな風に動きの速まる心臓。目の前の机の上に視線をまっすぐ向けても、それはさっきより動きがすばやくなっているだけで、消えることはなかった。周囲の人を見ると、そこら中で同じように丸いものが跳んでいる。どれも大きさは似たようなものだけれど、色に濃淡があって、跳ねる速度はそれぞれ違う。机だったり、床だったり、人の頭や肩の上で跳ねているものもあった。みんな一つずつ持っているのかと思ったけれど、全員のそばにあるわけでもないらしい。
気味が悪いので、どれからも目をそらして窓から空を見る。そのまましばらく外を見ていると、がたがたというイスを引く音がほかの教室から聞こえ始め、筆記用具を置いてください、と先生が言った。
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その後は、思い出すたびに奇妙なものが見え続けた。心臓を意識するたび、歩くたび、音楽を聴くたび、それはふってわくように現れた。
テストを終えた後は、普段なら友人連中としばらく喋ってから帰るのだけど、早々に引き上げることにする。少し頭痛がし始めていたので、おそらく今日も勉強は手に着かないだろう。
テストは一週間続くが、明日のテストは受験用教科ではないので、ゆっくりすることにした。帰り道の途中で市立の図書館によって厚めの本を数冊借りる。
家に帰って、簡単に昼食をとった後は、布団にはいって本を読んだ。そのとき音楽を聴いてはいたものの、文字を目で追っているうちは、変なものは目に入らなかったし、そんなもののことは本の世界に夢中になるうちに忘れていた。
この日以降テスト週間中、いつものことではあるが、勉強はほとんど手に着かなかった。普段の授業はそれなりにまじめに聞いているから、赤点の心配はないものの、この調子では志望校には行けないだろう。
テスト週間四日目、最後の日を明日に控えて、私は目の下が少し黒くなった自分の顔を、半ば呆然としながら見ていた。部屋のタンスの全身鏡に映る私の頭の上で、黒く硬質な、鈍い光を放つ玉がはねている。
私は自分の頭の中で何か異常が起こっているのであろうことを、はっきりと自覚するほかなかった。今まで不安や、不気味さはあったけれど、今度は恐ろしさを感じ始めた。幻覚、というものを私は見ているのだろうか。
最初見たときよりずいぶんと重そうな見た目になったそれは、頭上で一定の調子を刻み続けている。何かが私の上で跳ねている感覚はないが、それが引き起こしているような頭痛は続いていた。
母は眠そうで少しぐったりした私を見ても、普段から夜更かしをしている当然の報いであるようにしか見ていない。だが、このまま幻覚のような症状が続くのであれば、私から母にこの異常を報告しなければならないだろう。
不安と恐怖と頭痛に包まれた私は、また布団にこもって本を開いた。開いた本が教科書であったなら、まだ明日に希望がもてたかもしれなかった。
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テスト最終日は苦手としている英語系の教科があり、その結果は今までになく最悪だった。テストが終わっても解放感も何もなく、友人たちが楽しそうに話しているのにあわせて、力なく笑顔を浮かべるくらいしかできない。
そんな私をさすがに友人たちは心配し始めた。普通なら私から誘うのだが、今度ばかりは友人たちからカラオケの誘いがきた。
普段であれば飛び跳ねて喜ぶくらいなのだが、私はとても、薄暗くて狭い、音楽に、リズムに満ちたカラオケに行く気にはなれなかった。誘いを断ると、友人たちはひどく驚いて、理由を聞かれたけれど、私はことを説明する気にはとてもなれない。
ただ、体調がひどく悪いから、とだけ言って、一人で自転車置き場に向かった。でも、とても強く思っていた、誰か追いかけてきて自分の話を聞いてくれはしないだろうか、と。
外に出ると、みんな明るい顔で誰かと話しながら学校から出ていく。
自分の体調が悪いとき、周りで元気そうにしている人を見ると、恨めしく感じてしまう。それと同時に、自分がそんな風に笑っていられたならどんなにいいだろうと、うらやましく思う。
私の横を通り抜けていく、明るい笑顔の人たちの周りに玉は跳ねていなかった。
自転車に鍵をさし、車体を後ろに引いたところで、背後に人の気配を感じた。振り返ると、友人の一人が立っている。
「もう帰んの?」
彼女はそう聞いてきた。普通、体調が悪いときは寄り道せずに、すぐさま家に帰るだろうと思うのだが。そう感じる反面、私はとても嬉しく感じていた。背中に背負ったリュックにはもう読み終えてしまった本を入れている。
「図書館に、行こうかなって、今思ったところ」
私の返事に、ほっとしたような笑みを浮かべると、一緒に行ってもいいか? と彼女は聞いた。
*
人気のない、図書館の隅で、私と友人は向かい合って座った。既に本の返却や物色は済んでいたけれど、友人が話をしたがっているようなので、もう少し図書館にいることにする。
「あのさ、最近様子おかしいよな」
友人は開口一番そう言った。
彼女は人の顔を見ながら話すのは苦手らしい。その証拠に彼女は今私の胸あたりを見て話している。
「いや、俺も人に言ってないこととかあるから、無理に話してくれとは言わないんだけど」
彼女は一人称が俺である。小柄な見た目に似合わないとは思うけど、と自分で言っていた。
私は、もしかして彼女は体こそ女性だが、心は男なのではないか、そう思ったりすることがある。言ってないこと、というのは、もしかしてそれか、などと考えた。
「その、ものすごく変なことがあってさ」
私はぜひ話したい、とまでは思わなかったけれど、いつか誰かに話すことになるだろう。
「変でも何でも、ちゃんと聞くから話してみてよ」
彼女はちらりと私の目を見て言う。それにうなずいて、私は事件のあった日から今までのことを話そうと決めた。
*
「なんだそれ、気にし過ぎじゃないの?」
友人の第一声はそれだった。
「気になるんだよ、いっつも視界のはしに見えるんだから! 自分がなってないからそんなこと言えるの!」
彼女は話している間中バカみたいとでも言いたそうな顔で、私の横の空間を見ている。先ほどから、とんでもなく腹立たしい態度と言い分である。
「それの何が悪いんだよ」
「何がって、これのおかげで頭痛がしてるし、寝付けないし、勉強にも集中できないし」
「そりゃ、気にし過ぎてるからだろ」
彼女は腕組みをしながら私の首の辺りを見る。
「そんな気味悪がってないで、それが一体何なのかよく考えてみたらどうなんだ」
そういえば、彼女の近くには玉がない。今、私の視界からそれは消えていた。
「もしかしたら、精神的なものかもしれないじゃんか」
「精神的なもの?」
「事故みたいなやつのショックを引きずってる、とか」
「別にあのときのことはそんなに気にしてないよ。確かに恥ずかしかったけど、誰も見てなかったし」
ただ、あのとき道を横切った猫は私を見てから逃げ出した。しかし、猫が見ていたから何なのだ。
「じゃぁ、特殊能力かな!」
なにやら嬉しそうな顔をして、友人はちらりと私の顔を見る。
「なにそれ!」
ゲームやマンガなんかじゃあるまいし。本は好きだけれど、ライトノベルは読まないし、そういうのは好きじゃない。
「そんな脳の異常だとか夢のないことばっかり言ってるからだめなんじゃねぇの? もっといい方に考えて見ろよ」
「いい方、ねぇ」
プラス思考という奴だろうか。楽観的な彼女は、普段からきっとそんなものの考え方をしているのだろう。
彼女は私とどっこいどっこいの学力、見た目、運動能力だ。ただ、精神面の作りだけは大きく違うらしい。彼女は何の悩みもないような笑顔で私の頭の上を見ていた。
*
家に帰ると、荷物を置いてすぐに学習机に向かった。目の前に卓上鏡をおいて、頭の上に手を伸ばす。頭上で跳ねる玉の下に手のひらを滑り込ませると、それは私の手の上で跳ね続けた。手に乗せた状態で目の前に持ってくると、それは手の上で一定のペースを維持したまま頭の上に戻る様子はない。
何の音もしない中で、緊張した心臓の音と、私の息づかいだけが聞こえる。すばやく手を引くと、玉は机の上で跳ねだした。しばらく見つめていると、それは、私の心臓の音に合わせて跳ねているのだと気がついた。
これは、私なのだろうか。
落ち着いて見ていると、玉の動きはだんだんとゆっくりとしたものになっていった。いつの間にか頭痛は治って、その玉の色はどんどん薄れていった。
そこで私は実験的に何か不安になるような絶望的なことを考えてみることにする。
私の母親は年の離れた父と結婚し、私が生まれてすぐ離婚。親と気が合わず私を連れて家を飛び出し、私との二人暮らし。唯一親交のあった友人にも子供ができ、交流が減る。さらにその母の友人にできた子には障害があって、その人は怪しげな宗教にだまされ、母も勧誘されて本格的に友人がいなくなる。一方で祖父母も怪しげな宗教にはまってそちらからも勧誘された。
そして、私はそんな母と気が合わず、いつか家を出たいと思っているが、それはつまり私も母と同じ運命を歩むかもしれない、ということだ。家族とうまくいかず、友人関係もうまくいかず、彼氏もできず、それから仕事もうまくいかず、貧乏暮らし。
私の心は見る間に絶望的になり、私の前で跳ねていた玉はどんどん黒く染まっていく。
しかしだ、私には今何人も友達がいるし、母と違って何かと好きなことも多い。多少人との関わりが少なくたって、自分の気持ち次第でいくらでも幸せになれるはずなのだ。
そう思うと、目の前の玉はまた白く戻っていった。それに手を伸ばし、両手の平で支える。
私の鼓動に合わせて跳ねるそれを胸元に引き寄せた。
体には終始何の感覚もなかったけれど、それはもう視界のどこにもなかった。
*
放課後、みんなで集まってカラオケに行こうと相談していると、あのとき話を聞いてくれた友人が力ない笑みを見せた。
「ちょっと気分が良くなくてさ。今日はパスだわ」
彼女はそのままさっさと歩いていく。友人たちは顔を見合わせ、私はぽんぽんと指でリズムを取った。彼女の頭の上で黒い玉が跳ねているのが見えた。
ほかの友人たちに後で行くから先行ってて、と言い残して彼女を追いかける。
「待ってよ、何かあったんでしょ?」
友人の背中に声をかけると、彼女は少し歩く速度を弱めた。
「ねぇ、これからすぐ家に帰るの?」
「いや、図書館、行こうかな」
「じゃぁ、私も」
既視感、というのか、その後は終始そんな感覚がしていた。なるほどこの調子なら、あのときの私のように、彼女には何かしらの悩みがあり、私と同じようにその何かをカミングアウトするのだろう。そして、私が助言して、今度は彼女が私に感謝する番なのだ。
そう思いながら図書館で用事を済ませた後、帰ろうとした友人を引き止めた。そのまま館内の隅の席に向かい合って座る。彼女の目の下はくまができて、ほとんどあのときの私と同じような顔をしていた。
「あのさ。あんまり言いたくないんだけど」
彼女はうつむきながら何かもごもごと言った。友人は自信がないときは声がこもって、何を言っているのかわからなくなる。
「言ってみなよ、私だってこの間あんな話をしたわけじゃない。それで結構救われたんだから」
彼女は少し顔を上げて私の首元を見ると、どこか弱々しくうなずいて、疲れた顔で口を開いた。
「私、彼氏がいて、こないだフラれ」
「聞いてないよぉ?!」
私は言葉を思い切り遮り、目の前の机を叩いた勢いで立ち上がった。彼女の頭と机の上に黒い玉が現れて跳ねる。
*
私と彼女は相変わらずお互い仲のいい友人である。私は得体の知れない能力を手に入れて、彼女との友情を深めた。彼女は彼氏にフラれて、私との友情を深めた。
私も彼女も一時は絶望的だったけれど、今は落ち着いた。
結局、変な能力が身に付こうと、楽しくやれたらそれでいいわけだし、たとえ、彼氏がいなくても、人生おもしろかったらそれでいいのだ。楽しくおもしろい人生に必要なのは、気心の知れた人間であり、それが友人である。私はそんな答えに行き着いた。
たとえ、自分の身に妙なことが起ころうとも、たとえ、新しい家族はできなくとも、一人でなければきっと幸せであれるのであろう。妙な事故を起こそうと、好きになった人に嫌われようと、幸せになれるかなれないかという点においては、何もマイナスになるようなことはない、全ては気の持ちようなのだ。
あの時私の前を横切った灰色の猫はそれを知っていただろうか。私の身には不幸のようなそうでないような事が起こったが、どうせ気の持ちようで変わるならいい方に考えて、しっかり利用してやることにしよう。
こうやって自分にいろいろと言い聞かせて、友人がいればいいとは思うようにした。が、決して彼氏なんていなくてもいいからほしくないとか言うわけではないのだ。
指でリズムを刻みながら、学校の廊下を歩く。ふと横を通り過ぎた男子生徒に声をかけた。
「君、頭痛がしたりしていないか」
彼は驚いたように私を見た。
「君の頭の上でゼツボウルが跳ねている」
私の頭の上では目には見えない真っ白なキボウルが跳ねていることだろう。
あとがき?
ブログ記事一本にまとめるには随分長くなりました。
しかし、使った曲は一曲だけですから、いくつも記事を作るわけにもねぇ、というわけで無理やり押し込みました。
ちなみに記事タイトルのwhite heatは曲名です。
The Flickersというアーティストで偶然見つけて、曲調が気に入りました。
ですので、今回の小説には曲調と言うか、リズムくらいしか影響を受けてません。
この曲のリズムといいますか、そういうのを聴いていたらボールが跳ねているのが思い浮かんだので、こんな話になりました。
記事タイトルの望るというのは小説のタイトルです。
もっとあとがきっぽいことを書いてもいいんですけど、これだけ文字ぎっちりですから、このくらいにしておきます。
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