はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

実験小説 塔 その9

2018年11月28日 09時59分04秒 | 実験小説 塔
「………」
「なんだい、気が狂ったとでも」
「いいや、狂人の夢というには筋が通っているし、おまえが狂っていないことは、見ればわかるからな」
「わかってくれたなら、よかったよ。というわけで、あそこにある石だが」
「塔の中に祭壇があり、中央に石、か。供物に囲まれていて、そのうえ薄暗いのでよくわからぬが、やはりおまえの石とおなじものらしいな」
「夢が過去の事実を訴えているものだとすると、いま、あの塔に願をかけている者たちも、多かれ少なかれ、似たような運命に見舞われるかもしれないというわけだ。これは、なんとか止めねばならぬな」
「夢でみた光景が『事実』ならば、だ。ちがう可能性もあるわけだろう。おまえを疑うわけではないが、よくできた夢を、事実とかん違いしている可能性もあるわけだ。おまえは俺とちがって、夢想家なところがあるからな。
現実に似た夢を見ても、すこしもおかしくないかもしれない。それを事実と思い込んでいる可能性は?」
「完全には否定できないけれど、子龍、思い出さぬか。この石を持っていた老夫婦。よそに女をつくり、まったく家庭を顧みない夫と、耐える妻。そこへ、石を持った旅人があらわれ、妻に石を与える。とたん、夫は家に戻ってくる。
しかし、代償を払うこととなった。子供たちはみな死んでしまい、家門も傾いた。夫婦の本質は、和合し、家を守り立て、守って行くもの。しかし、石を持っていたがために、子供たちの命を奪われ、家の財産も奪われた。
死んだ夫人は、うすうすと、石の力に気づいていたのではなかろうか。旅に出たいと言っていたのは、もしかしたら、わたしと同じように、塔の夢を見ていたからかもしれない」
「憶測だ。逆に、夫婦の死というものから、おまえが想像をたくましくして、作り出した話かもしれない」
「では、この石が、捨てても捨てても、わたしのもとに戻ってくる理由は?」
「…………」
「ほら、思いつかないだろう? 夢が事実である可能性のほうが高い」
「その石を貸してみろ」
「かまわぬが、また捨てるのか?」
「そうではない」
「あ」
「いま、なにをした? 額に石を当てるなどという真似をして! もしや、石に願いをかけたのではあるまいな?」
「石をめぐる夢が、事実であるかどうかの実験だ。もし、俺に異常がなにもなかった場合は、この旅は嚨西で終わりにする」
「異常が起こった場合は?」
「石を壊し、成都に戻る。どちらにしろ、おまえは怪異にふりまわされ、劉玄徳の軍師という立場を忘れてはならぬ。
捨てても捨てても戻ってくる石のことは、たしかに異常で気味がわるいが、かといって、それを理由に、危険な旅を続ける意味はないはずだ」
「言いたいことはわかった。しかし、聞かせてくれ。なにを願ったのだ?」
「教えない」
「そこで意地悪を言うかね」
「拗ねるな。聞いたところで楽しい願いではない、ということだ。叶ったら叶ったで、旅は終わりだな」
「ますます気になる。なにを願った」
「だから、秘密だ。さて、本題に戻るぞ。この石は」
「あっ! また投げるか!」
「われながら、いい場所に飛んでいったな。祭壇の中央にまるで吸い込まれるように飛んでいったぞ。すごいな、内も外も、まるで蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。これに紛れて、俺たちも逃げるぞ」
「ええい、まるで子供のころに、一族の廟の供物を遊びで盗んだときのような。待て、そんなにつよく手を引っ張るな!」
「へえ、おまえも、意外にやんちゃな子供だったのだな」
「弟に誘われて、つい。あとで姉からものすごーく叱られたのだ。二度と盗みなんぞしないと、心から誓ったね、って、そういう話をしている場合じゃないぞ!
混乱なんてものじゃない。みな、奇跡が起こった、石が増えたと大喜びしているではないか!」
「そう思わせておけばよい。ほら、じきに朝陽が完全に空にのぼる。そのまえに、村を出るぞ!」



「なんだ、さっきから、手ばっかり見て。もしかして、痛かったのか?」
「いや、痛くはなかったよ」
「では、なぜ手を見ている」
「いまさらだが、不思議だな、と思ったのさ。子どもの頃から、屋敷に閉じこもりの暮らしをしていて、遊び相手といえば弟くらいなものだった。徐州が危なくなって、父が死に、叔父のところに引き取られたわけだけれど、そのあいだもあとも、だれかと手をつないだことがあったかな、と思い出していた」
「ふうん? おまえの家は、すこし変わっているからな。姉君や、乳母どのや、おまえの偏屈じいやは、手を引いたりしなかったのか」
「それは一回や二回はあったと思うけれど、みんな叔父が死ぬ前だ。そのあとだよ。ほら、よく親しい人間同士で、腕を組んだり、手をつないだりして歩くだろう。わたしはそういうことは出来ない人間だったからな」
「徐軍師や崔州平どのや、白まゆげの君は?」
「うん、たしかに仲は良かったけれど、みんな思慮ぶかいというか、わたしの癖を知っていたから、必要以上に体に触れようとしてこなかった。子龍、ひとつ聞きたいのだが」
「まじめな顔をして、なんだ」
「わたしの手は、引っ張りたくなる手か?」
「藪から棒に、なにかと思えば……ふつうの手だ」
「これはわたしの印象だが、あなたはよく、わたしの手を引く。嫌ではないから、いままで気にしてこなかったけれど、手を引いて、楽しいのかな」
「楽しいとか、楽しくないという話ではなくて、単におまえを牛みたいに引っ張っていかなくちゃいけない場面に遭遇するときが多い、というだけさ。
ほら、たとえば、こんなときだ。
雨が降ってきた。これだから山の天気は当てにならぬ」
「あんなに晴れていたのに」
「しかも山の一本道で雨とはな。ちょうどいい、あそこの岩肌にくぼみがある。あそこまで走るぞ、と、こういうときに手を引くことが多いのだ!」
「ああ、そうかい。解説ありがとう。要するに、わたしがとろいということだな」





「ひどい雨だ。ここから先が、また土砂崩れで、通行止めなんてことにならなければよいな」
「そうしたら、成都に帰ろう」
「わたしはこの旅を楽しんでいるのだけれど、あなたがそうではないようで、ほんとうに残念だよ、子龍。成都にやり残した仕事でもあったのか?」
「そういうわけではない」
「なら、なぜ。こうして二人だけでいろいろと語り合う時間がこんなにあるなんて、荊州にいたときのようだ。あのときは、ほかのことで大変なこともあったけれど、やはりいまほど忙しくなかったからな。
臨烝から桂陽も何度も往復したし、孫夫人のことで、あれこれ相談もしたな」
「早いものだな。年数で数えたら、それほど昔でもないのに、ひどく昔の話のように思える」
「主公とお会いして、軍師になってから、毎日がどれも忘れがたいものばかりのものになった。こうして、ゆっくりした時間を持つのはいい。
わたしは、やはり働くのがすきなのだね。のんびりしているよりも、あれこれと悩んで頭を働かせたり、あなたに愚痴を言ったり、相談したりするのが好きらしい。
前にも言ったかな。ときどき、あなたが、わたしの人生のはじめから、ずっと一緒にいるのではないかと錯覚するときがある。実際はちがうわけだけれど、もしかしたら、生まれる前から、なにか縁があったのかもしれないな」
「おまえは、ほんとうに夢想家だな」
「おや、嫌かな」
「嫌ではないけれど、どうしてこう、そういう言葉がぽんぽんと、臆面もなく出てくるのやら。こう言っちゃなんだが、おまえに『ひとに触れられることが怖い』という奇癖がなくて、そこいらの男と変わりがなかったら、とんでもない遊び人になっていただろうな」
「ほーお。このわたしが好色漢になっていたかもしれないと、本人を前にして言うか」
「おまえの『言いたいときに言っておく』の真似だ。男であれ、女であれ、おまえに毎日のようにそんなふうに直言で口説かれたなら、だれであれ、気持ちがぐらぐらと揺れまくって、変な方向に考えが向かう」
「なんだ、変な方向って」
「言葉のままだ。気にするな」
「いいや。気にする。なんだ、どういう意味だね」
「気にするなというのに……誰か来るな」
「話を逸らすな。おなじ雨宿りにきた旅人だろう……ではないようだな」
「気を抜くな。これは偶然ではなかろう」
「あの赤毛の男だな」

つづく……

実験小説 塔 その8

2018年11月24日 09時50分54秒 | 実験小説 塔
「軍師、石を隠せ。そして、石のことは、ここを出るまで口にするな」
「なんだ、どこかに出かけたと思ったら、唐突に。
それより、こんな狭い部屋の真ん中に、こんな衝立が必要あるのか? なんども一緒に旅に出て、野宿だってしているわけだ。なのに、なんだって宿屋に泊まるとなると、寝台のあいだに衝立をたてる必要が? 
宿屋の人間が、こんな客は初めてだと、むしろ怪しんでいたぞ。常山真定の風習か?」
「そういうことにしておいてくれ」
「子龍、もしかして、わたしの寝相というのは、かなり悪いのかな。だから難を避けるために、こうして衝立をあいだに立てているとか?」
「ああ、もう、好きに解釈してくれていい」
「悪いのか」
「いじけるな。というより、先の話に戻すぞ。おまえの持っている石、あれは絶対にこの村では、ほかの人間の目に触れないようにするのだ」
「あなたがそこまで言うとなると、重要な意味があるのだな。ではそうする」
「うん、石のことをすこし探ってきた。すぐに答えが返ってきたぞ。この村にある塔、あれは羌族のものではない。似てはいるが、もっと西の国にある塔をまねて作ったものだそうだ。
この村には、何年か前から西域より移動してきた部族が流れてきていて、地元の者たちと共同で暮らしはじめて出来たものらしい」
「へえ、珍しいな。ふつう、そういう場合は、いくらか争いが起こりそうなものなのに」
「そうならなかった理由は、宗教だ。西域より流れてきた部族は、独特の宗教をもっていて、地元の者が、それに触れて、ともに同じ信仰をもつようになったのだ。そのため、特に争いもなく、うまく地元と流れてきた部族は融合したのだ」
「読めてきた。その宗教の象徴が、あの塔というわけだな。で、石を隠さねばならない理由は?」
「おまえのその石と、おなじものがご神体として扱われているのだ。この宿屋に人が多いのは、関が通れないから間道を抜けようとしている者たちばかりではなく、石の噂を聞いて、あつまってきた者たちが、各地からやってきているからだ」
「噂って?」
「おまえが夢に見たとおりだよ。石には、『なんでも願いをかなえることができる』効能があるらしい。重い持病を癒したい人間や、なにか思いつめた顔をした連中が、この宿を拠点にして、塔に通いつめているのだ」
「つまり、そんな中にこの石を出したら」
「そうだ。混乱が起こる。ご神体がもうひとつ増えたと喜ばれる可能性があるが、あまりおおっぴらに出すと、面倒に巻き込まれて、身分を明かさねばならなくなるかもしれぬ」
「宗教というからには、張魯のような、指導者がいるはずだろう。どんな人物であったか、見てきたか」
「ああ。なんとも俗っぽい、ありがたみをまったく感じられない雰囲気の男だよ。だからこそ危険だ。この石を見たら、なんとしても我が物にしようとうるさく付きまとってくる可能性がある。
もし石を押し付けるにしても、黙ってこっそり塔の外に置いて、村を出るのがいちばんかもしれないな」
「よし、それでは、今宵は早めに休んで、夜が明ける前に起きて、石を置いて、村をでよう」





「だめだな、これは。徹夜で塔の前に並んでいる者すらいるようだ。宿屋の窓からずっと見えていた、小さな明かりの行列は、徹夜をする者たちのもつ蝋燭や松明の明かりだったのか。
あちこちの部族が、一堂に介している、というふうだな。いささか壮観なながめだ。宗教の威力というやつか」
「それほどに、石の霊験のすばらしさが、つよく伝播しているためだろう。成都のほうには、まだ噂は届いていなかったが、この様子では、時間の問題だな。俺には、よくわからぬ」
「面倒な。宗教ほど、手を焼くものはない。浮屠教なんぞは、まだ穏当な宗教であるから、寺の建立や崇拝も許しているが、こういう五斗米道のように、ひとつの強烈な信仰の対象があって、そのためには戦うことも辞さないような宗徒の集団ができあがっているような場合は、たやすく民衆とむすびついて、ちょっとした加減で、天下を転覆しようとしかねない。
たいがいの宗教というものは、帝よりも上位にある天、あるいは神を置いた思想をもちたがる。これは、宗徒たちの優越感を満足させるために、どうしてもその方向に思想が傾きがちになるからではなかろうかと、わたしは思っているがね。
しかし、だからこそ危険なのだ。宗教は、じわじわと、民を反逆者として洗脳している機能を果たすこともある。
民が為政者に対して不満をつよく持つようになると、自分たちの主張を『天から下ったもの』と宗教的なところにもとめて反抗してくる。黄巾党がまさによい例だ。
こうなると、自分たちが正義だという思い込みがあるから、対抗するのも容易ではない。攻撃的であったり排他的であったり、あるいは思想そのものに問題が多すぎる場合は、いまのうちに芽を摘んでおかねばなるまい」
「おいおい、仕事か。このあたりの太守は、なにをしているのだろう。ただ見ているだけなのか」
「もちろん、二人だけではどうにもならぬ。成都に、急ぎ、使いをたてて、偉度にさらに詳しく調査させてから、太守経由でこの宗教の取締りをする必要が出てくるかもしれない」
「ほんとうに霊験がある場合は?」
「どちらにしろ、民を惑わすものだ。壊すしかあるまい」
「…………」
「なんだね、不満げじゃないか。政治とはそういうものさ。そもそも、あまり宗教に振り回される政治なんてものは、あまり質がよいものではない。
江東の小覇王と、仙人の例もあるわけだからな。実際は仙人なんぞなんも関係のない横死であったにもかかわらず、すでに民間では、切り伏せた仙人の祟りだというふうに、面白おかしく話が膨らんでしまっている。
なぜそうなったかといえば、やはりきちんと『仙人』の真偽をきちんと民に明らかにしなかったことが原因なのだ。
仙人が本物だったかどうかなど、いまとなってはわからない。小覇王としては、民がこちらに向かねばならぬときに、怪しげな仙人とやらが横からあらわれて、民の心を奪ってしまったことにたいして危機感があったからこその処置であったのだろうが、ことを急ぎすぎたな」
「おまえは江東のことになると厳しいな。その話は聞いたことがあるが、仙人というよりも、黄巾党から凶暴性を取り去り、土着宗教と混ざり合った、小さな宗教団体だったようだぞ」
「小さかろうと大きかろうと、要は、そこに危険性があるかどうか、対処できるかどうかが問題なのだ。つまり、迫害するか、うまく施政に取り込み、牛が草を食むように咀嚼してそのまま飲み込んで消化してしまうか、どちらかということだよ。
いまの段階では、なんともいえない。この石は、たしかに奇妙な特長があるが、『どんな願いもかなえる』というのなら、思ったのだがね、天下を安んじてくれという願いをかなえてみればいい」
「それはそうだ。夢は見なかったのか」
「見たよ。あなたが嫌がったのがわかる。この石は、たしかに『どんな願いもかなえる』ことができるようだ」
「では、天下を安んじるようにしてほしいと願えばよい」
「その答えをする前に、夢の話のつづきをしようか。わたしの話を聞けば、壊すべきだと、あなたも思うだろう。夢は、だれかがわたしに、語りかけているように話はつづいていくのだ。
さて、石が盗まれてしまったまでが、前回の話だったな。そのうち、巷に、どんな願いもかなえる石があるという噂が流れ、塔の老人たちは、それこそが、盗まれた石であると確信した。そうして、石を探すために、五人の息子たちは派遣された。
しかし、ここで矛盾に気づかないか。それほど強い力を秘めている石だ。盗んだものが、石を売らずに、その力に気づいたとして、よほどのまぬけでないかぎり、それを迂闊に他者に自慢したりするものか。いや、それよりも、盗賊なんぞを生業とするのであれば、『なんでも願いが叶う』というその石に、『この国を自分のものにしたい』、あるいは『世界一の大金持ちになりたい』など願うだろう。
しかし、噂ばかりが先行し、息子たちが石のありかをさぐったときは、そう、やはりこんなふうに、民間にちいさな神殿ができていて、そこが民の信仰を集めるようになっていたのだ。
実際に、ある程度の石の霊験はあるようなのだが、その話を聞いた老人は、やはりわたしとおなじことに気づいたのだ。ちいさな神殿には、石を奪った盗賊たちの気配はなかった。では、盗賊たちは、石の霊験を知らずに、そのまま売りさばいたものなのだろうか、と。
『なんでも願いが叶う』というところに、なにか大きな罠がある気配を、老人は感じ取ったのさ。そして、それは合っていた。
老人は、息子たちに神殿を運営するものたちのことを調べさせた。すると、おもしろいことがわかったのだ」
「どんな? じつは、改心した盗賊が神殿を運営していたとか」
「残念ながら、そんな美しい話ではない。神殿を運営している者たちは、だれも『石に願いをこめたことがなかった』のさ」
「では、どうやって『石に、どんな願いをかなえることもできる』ということがわかったのだ?」
「そう、そこを老人も知りたがり、さらに息子たちに調査をさせたのだ。すると、さらに面白いことが判明した。最初に石を盗んだ盗賊たちから、石は神殿を運営する者たちの手に渡ったのだが、いいかい、ここが肝心だ。盗賊たちは、みな、失踪して行方がわからなくなっていたり、あるいは廃人になっていたり、なかには死んでいたものもいた」
「なんだ、それは。偶然なのか」
「偶然ではない。神殿を運営する者たちは、盗賊たちがこぞって、ろくな目に合わないまま、悲惨な生活を送っていることを知っているからこそ、自分たちは石に願をかけないのだ。
つまり、石は、たしかに願いをかなえてはくれるが、その代わりに、代償を求めてくるものだったのだ。
すべての陰と陽の力は均衡でありつづける。どちらか一方に偏りのある者は、人間であれ、国であれ、なんらかの形で異常が生じるものだ。
『どんな願いもかなえる』石というのは、人の欲望を満たしてくれる幸運の石などではなく、人の運命の均衡を崩し、幸運を一時的に極限まで高めて、その後、代償として、同等の不幸をもたらす、おそろしいものであったのだ」
「それでは、おまえの夢で見た石が、もしおまえが持っているものか、あるいはあの塔の中にあるものと同じものだとすると、これは、『願いをかなえる』かわりに、なにかを失う、あるいは最悪の場合、命すら奪うものである可能性があるのではないのか」
「そうだ。もし、この石を手にしたものが、そのことを知らずに、『天下を取りたい』と願ったとしよう。そのような強い願いをした場合は、どうなると思う。まさに、わたしの夢の終りが、そのいい例であった」
「願いをかけた者は死ぬ?」
「いいや。死ぬなんていいものではなかった。話を夢のつづきに戻そう。老人は、五人の息子たちからそのことを聞き、ある策を思いついたのだ。
つまり、この石を売って貢納金をつくるのではなく、この石そのものを、宗主国におさめてしまえばよいと。
『どんな願いもかなえることができる石』。そんなものが実際にあったなら、おそらくどんな者も飛びついて、強い願いをするだろう。そうして、大きな不幸がおとずれる。
自分たちを虐げつづける宗主国への報復もふくめて、老人は五つの石をおさめることを王に進言し、王もこれを受け入れた。
決まってからの話は早かった。老人は息子たちに命じて、神殿を襲い、王の名のもとに、石を奪った。神官たちは、これに抵抗したが、あえなくみな殺されてしまった。だが、ひとりの神官が、最後に石に願をかけたのだ。
『この理不尽な仕打ちへの報復に、この石を奪った者に最悪の罰を与えよ』と。
石は、王におさめられ、宗主国に届けられることとなった。ところが、ここで老人にとって、計算違いが生じたのだ。
『どんな願いもかなえる』という石。この石の魔力に、王がとりつかれてしまったのだ。自分であれば、うまく石を運用できるのではないか、とな。
老人は、それができないからこそ、盗賊たちは滅んだのだと訴えたが、いやしい盗賊と同列にするなといって王は聞き入れず、老人を、例の塔に閉じ込めてしまった。そうして、石を手にした王は、石に願うのだ。『宗主国から解放されたい、そして逆に、宋主国を支配したい』と。
最初はうまく行った。漢から派遣されていた将軍たちは、突如としてつぎつぎと疫病に倒れ、みな死んだ。あっさりと、国は、宗主国の監視から解放されたのだ。これに気をよくした王は、軍をととのえ、宋主国にむけて戦を仕掛ける。
最初は善戦につぐ善戦。宗主国の一部は王のものとなり、願いは叶えられるかと思われた。
ところがだ、善戦していた王の軍も、やがて敗れるときがやってくる。宗主国の西域都護の軍だけではなく、都から動かされた正規軍が反撃してきたのだ。王の軍隊は、その怒涛のような反撃に耐えられず、どんどん後退していき、どころか、国はなだれこんできた軍の悲惨な掠奪の対象となり、やがては滅びた。
王の願いは、一時的には叶えられたが、しかしすぐに反動がやってきた、というわけさ」

つづく……

実験小説 塔 その7

2018年11月21日 09時34分50秒 | 実験小説 塔


「……………」
「……………なにか喋れ」
「ずばり言う。怖くて、なにも触れたくない」
「夢は見たのか」
「ああ、またあの塔だった。話は、以前の夢のつづきなのだ。この石は……ええい、なぜ戻ってくる? たしかに川に捨てたはず!」
「触れているではないか」
「聞きたがったのは、あなただろう。川に投げ落としたのは、わたしもあなたも、たしかに見た。だが、なぜこれが、また戻ってきているのだ? しかも、またもや、わたしの枕元に鎮座ましましていたぞ。
子龍、あの時、手品をしたのではないよな?」
「は?」
「いや、だから、じつは石を投げ落とすフリをして、袖口にすばやく石を隠し、石にそっくりな、そう、あの場合、卓の上にあった徳利のひとつを投げたのだ」
「ばか。俺がそんなことをする意味が、どこにある」
「旅の解放感から、ちょっと遊びたくなったのかもしれないかな、と」
「ない。ありえない。で、おまえが寝ているあいだに、俺が枕元に石を戻しておいて、そしていま、蒼ざめた顔をしているのを見て、楽しんでいるとでもいうのか」
「すまない。あなたはそんなに意地悪ではないな」
「わかったなら、よし」
「いま、危うかったかな? 長年の友情が壊れるところだった?」
「うむ、すこし危なかったかもしれん」
「いかんな。旅はたしかに気分を解放してくれるが、あまりに野放図になりすぎるのは危険だ。しかし、この石は、どうやってわたしのところに戻ってきたのだろう。この石、やはり生きていて、じつは川をせっせと下って、陽平の手前でわれらと合流したのではあるまいな」
「気味の悪いことを」
「夢の話のつづきを聞けば、すこし納得できるぞ。五つの石が発掘されたところまでは、話しをしたな? この石を売れば、貢納金の準備ができると、報告を受けた王は喜んで、慎重に石を村から、王の居城まで運ばせたのだ。
ところが運悪く、その一行が、盗賊に襲われてしまい、石は奪われてしまった。
王はもちろん、この盗賊たちを探させたが、見つからず、石も姿を現すことがなかった。
そのため、貢納金が準備できないことになってしまい、王は、自分の子を差し出さねばならなくなったのだ。人質に取られる、というだけではない。王子を待ち受けている運命は、暗いものであることは、王は知っていた。
それまで、差し出された王子たちは、たいがいが悲惨にも宦官にされてしまう。王女であれば後宮に閉じ込められ、生涯を終えるのだ」
「いやな話だな」
「しかし現実として、わが帝室は、戎や蛮と蔑みつづけた近隣の国々に対し、そうした仕打ちを、長きにわたって平然としてきたのだよ」
「うん? おまえの夢の中の国、それは、漢の属国なのか」
「たぶん。夢でちらりと、宋主国より派遣されたという将軍の名前が出てきたのだが、漢名だったから。でも、聞いたことのない男の名前だった。史書にも残らない男だったのだろう」
「待て、おまえの見ている夢というのは、現実にある国の、過去ということなのか?」
「じつは確証はないのだが、なぜだかそうだろうと思えるのだ。この石がそう訴えているのかな。夢に登場するひとびとの生活ぶりからして、百年は昔の話だと思うのだが。
さて、どこまで話したのだったか。そうそう、五つの石を王のもとへ運ぶ途中、盗賊がこれを掠め取った。そのため、貢納金を納められなくなった王は、王子を宗主国に差し出さねばならなくなり、国は悲しみにつつまれた。
そのことに責任を感じたのは、塔の管理人の男だった。それが、わたしが最初に夢で見た、塔から顔を出す、あの老人だ。老人は、王族の一員でもあったのだ。
老人は、自分たちの息子をあつめて、なんとしても石を取り戻すことにした。
ところが、同時に、ふしぎな噂が世間をにぎわしはじめた。大きな美しい、卵のような形をした石があるのだが、これを持っていると、どんな願いでも叶うというのだ」
「どんなものでも?」
「そう、どんなものでもだ。噂を聞いた老人は、これは盗まれた石のことにちがいないと確信した。そうして、息子たちに、噂を辿らせることにしたのだ」
「で、つきとめられたのか?」
「いいや、あにくと、そこで目が醒めて、いやな予感がしてふと見たら、この石が、わたしに『ご機嫌いかが』とでも言いたそうに、枕元にいた、と」
「やめろ、その石を生き物のように言うのは。ただでさえ気味が悪いのに!」
「ほーお、天下の趙子龍を怯えさせるとは、たいしたものだな。しかし、わたしは『この石と縁を切りたい』と願ったのに、願いがかなっていないから、きっと『どんな願いも叶う』というのは、でまかせにちがいない」
「そして、また尾行もつづいているな。くそっ、気配だけは、はっきりわかるが、姿がどうして分からぬのだ! もうすぐ陽平だぞ。ずっとついてくるつもりか? どうする? このまま無視をして、まっすぐ陽平の関を越えて天水に入るか、それとも、俺が商人から聞いた、その石に似た石があるという村に立ち寄るか?」
「さあて、どうするもこうするも、そうするしかなさそうじゃないかい? 見るがいい」
「なんだ、あれは。土砂崩れか?」
「そうらしいな」
「……冗談だろう。そうか、昨日、急に夜中に豪雨があった。あれのせいか」
「石が雨を呼んだのかも」
「やめろ、なんでもかんでも石に結びつけるのは! ちがう。単に天気が崩れただけだ! この土砂崩れも偶然にちがいない!」
「ほら、わざわざ土砂を掻き出すために兵卒が借り出されているよ。
ごくろうさま。やっぱり迂回しろって? だろうね、これを待っていたら、いつ関を越えられるかわかったものじゃない………ふうん、村は、やはりあるのか。そこの脇を抜けていくと、険しいけれど、道はあるって? その途中に村がある、と。ほらね」
「ほらね、じゃない。よし、村に行くとしても、だからといって、何をするわけでもない。ただ通り過ぎて、余裕があったら石があるかどうかを確かめる。というよりも、その石を村に押し付けて行こう。それがいい」
「あなたにしては、ずいぶん消極的ではないか。意外な弱点を発見したな。そんなにこれが嫌か」
「俺は理屈がまったく通じないものが、いちばん嫌いなのだ。いまは、その石がそれだ」
「はいはい、わかったよ。そこまで不機嫌になられると、こちらとしてもいい気はしない。村に行ったなら、これを押し付けて、そしてわれらは気持ちよく北ヘ向かおうではないか。そうして普通の、のんびりした旅を取り戻すのだ」





「子龍」
「ああ。いきなり終着点か?」
「似ては……いるな。煉瓦を積み重ねて、そのうえに土を塗っただけの簡素な円筒のような塔。頂上に近づけば近づくほどに細くなる。塔の四方にある見張り用の窓。
しかし、夢で見た光景は、荒地のなかだった。こんなに豊かな山水に囲まれていなかったよ」
「しかし面妖な。漢族の村に、こんな異国の塔が、ひとつだけぽつんとあるとは」
「襄陽にいたころに、徐兄たちと一緒に、羌族の集落をおとずれたことがある。そこにある塔に作りが似ているな。
羌族の集落は見たことがあるかい。まさに土でできた要塞のようなのだよ。簡素で飾り気のなにもない、頑丈な砂色の土壁に石畳の道。そうだな、村がまるでひとつの城のようであった。
全体としてみて、漢族のそれとちがって、色が単調だが、そこにふしぎな美しさがある。集落にはかならず塔があって、そこは、実用的にも宗教的にも、重要な意味を持っているのだ。
わたしたちが訪れた集落は、漢族の旅人になれていて、排他的な様子もなかったが、やはり、あれこれ探られるのを嫌がった。
あの塔は煙突にも似ていてね、その吐き出し口が十字だったり、星だったりするのだ。変わっているだろう。宗教的にどういう意味をもっているのか、さぐろうとしたけれど、嫌がられたので断念したことがあるよ。
羌族の移住者が、故郷をなつかしんで、塔だけをここに建てたのかな」
「村人も、混血が多いようだな。こんな山中で、羌族と漢族の交流が深いというのは意外だ」
「これは偏見かもしれないけれど、ふしぎと混血の者というのは容姿が美しい者が多いな。馬平西将軍も、あまり見ないような、華やかな風貌をしておる。
ここにも、こんな山深いところに置いておくのがなにやら惜しいほどに、垢抜けた雰囲気をもっている者さえいるじゃないか。ここだったら、あんまりわたしの容姿も浮かないかもな」
「おまえは、自分の容姿のことになると、とたんにうしろ向きになるな。目鼻立ちでは、ここの連中はたしかに、目立っているが、おまえはどんな山の中にいようと目立つやつだよ。
目立つやつは、自分で隠そう、隠そうと思っても、人の目につく。つまりは、やはり同じように、あれこれとくだらぬことを言ってくるやつもいるだろう、ということだ。おまえはそういう宿業に生まれたのだ」
「いやな宿業だ。好きでこんな姿に生まれたのではないのに。あなたや馬平西将軍のように、いかにも男らしい風貌に生まれることができたなら、どんなによかっただろうと思うよ」
「愚痴が増えてきたのは疲れてきた証左だな。あまり気が進まないが、ここから先の道は長そうだし、途中で宿をとるのもむずかしそうだ。天候もあまりよくないし、ここで宿をとることにしよう」
「そうだな。あの塔に近づいてみたいし、この石に似たものが本当にあるかどうかを知りたい」
「山深い田舎村だと想像していたが、そうでもないな。ほら、あんなに立派な宿屋がある。関が通れないためか、泊り客も多いようだぞ」
「相部屋になるかもな」
「…………」
「なぜ黙る」
「べつに」

つづく……

実験小説 塔 その6

2018年11月17日 09時39分26秒 | 実験小説 塔
「おはよう。やあ、もう食事ができているのか。いい匂いだ。今朝は出発する者が多いようだな。どの卓もにぎやかなのは、たいへんよろしい」
「なんだ、やけに目が赤いな」
「わたしはうなされていなかったか? 夜中に何度も目が覚めてしまったのだ」
「となりの部屋からは、なにも聞こえなかったが、どうした、具合でも悪くしたのではなかろうな」
「夢を見たのだよ。とても長い夢だった。一冊の本を最初から最後まで、じっくり読みふけったような感じだよ。しかもその本ときたら、内容が悲壮なものなので、何度も目が覚めてしまったのだ。はっきりとはおぼえていないのだけれど、またあの塔が出てくるのだ」
「また塔か。で、じいさんも出てきたのか」
「ああ。食事が来たようだな。食べながら聞いてくれ。
切り立った崖を掘って作った奇妙な家のならぶ砂地のなかに、そこだけまるで敷布をしいたように青々とした草の生えている場所がある。その中央に塔があるのだ。
塔の役目は、その村に住まう坑夫たちが逃げないように監視するものだったのだ。
その村は、ちいさな西の国の隠し村で、そこからは、たいへん高価な石が採れる。村を支配しているのは王の一族の者なのだが、その国は、ある大きな国に支配を受けていて、毎年、貢納金をおさめねばならない。
貢納金を払えない場合は、王の一族から子供を奴隷として捧げねばならないのだ。
だから貢納金を必死にあつめようとするのだが、その国には、大国より派遣されている将軍らがいて、あつめている金を、いつも掠め取ろうとする。
そのため、王の一族は、かれらから金を守るために、その村の存在自体を隠しているのだ。
村で石を掘る作業はとても危険で、坑夫たちはいつも逃げ出そうとする。しかし逃げ出されてしまうと、村の存在がばれてしまうので、塔は逃亡者を見つけると、すぐに兵士たちを派遣して、これを捕らえて、たいがいは殺してしまう。
坑夫として選ばれる者のたいがいが、罪人であったり、騙されて連れてこられた者や、拉致された旅人などだ。生活は劣悪そのもので、人間のするものではない」
「おまえの最初見ていた『塔』の印象とは、だいぶちがうものだな」
「そうだよ。そのことも衝撃だ。あんなに血なまぐさい光景を夢で見ることになろうとは。で、つづきがある」
「どんな」
「あるとき、切り立った崖のなかから、五つの石が見つかるのだ。それは、まるで卵のような形をしたふしぎな薄桃色の石で、ほんものの卵のように、触れると温かい」
「昨日の石のようだな」
「そして、『今日の』石でもある。見たまえ」
「………なぜ? 昨日と同じ石ではないか。道端に置いてきたはずだぞ。あと拾いに戻ったのか?」
「まさか。ちゃんと捨てたさ。道端に転がしておいて、そのままにした。だが、目が覚めたら、枕元にこいつがあったのだ」

「おまえの部屋に、だれかが忍び込んだ気配はなかった」
「そうだろうね。わたし自身、何度も目を覚ましているのに、だれかがいる気配はおぼえなかった。子龍、今度宿をとるときは、相部屋にしよう」
「それは状況を見てから考えさせてくれ。それよりも、どうする」
「どうするもこうするも、この石には、たしかに、なにかがあるのだろう。それも理屈では説明できないものだ。ここにある、ということは、昨日、われらをつけてきた者の正体が云々ではなくて、どうしてもわたしが持っていなければならない物だからこそ、ここにある、ということではなかろうか」
「なぜ」
「塔に向かう者だからだ。そもそも始めからおかしかった。どうしてこうも、現実に塔があるのだと、自分に確信があるのか、それが不思議でならない。でも、西にいけば、かならずある」
「おまえの夢の話では、村は隠されたもので、近づくことは難しそうだが」
「ああ。それでも行かねばならないよ。夢は途中で途切れてしまってね、五つの石が発見されたという報告を聞いた王は、たいへん珍しいから、これは売れるというので、大喜びした。だが、そこで目が完全に醒めてしまったのだ。
子龍、塔は、どう見ても漢帝国の領域にあるものではない。もっと長城よりも、さらに西にある、異邦の地の彼方だ」
「それでも、なぜという感がぬぐえぬ。どうしておまえが行かねばならぬのだ」
「わからないよ。しかしこうして白羽の矢が立った以上は、下手に抗わず、状況にまかせたほうが、かえっていいのだ」
「それは、おまえの近所にいたとかいう、仙人の教えか」
「うむ。成都に戻って、なにもなかったことにするのもひとつの手だが、どうする」
「どうもこうも。おまえは左将軍府の要だろう。いわば重鎮ではないか。そういう人間が、わけのわからぬ怪異に振り回され、危険な西域への旅に向かわねばならぬ理由がわからぬ。俺は反対だ。
おまえが塔と関わりがあるというのならば、多少はわかるが、西域には知り合いもいなかろう。ならば、おまえでなくてもいいはずだ。どうしても塔に行かねばならぬというのなら、だれか代理を立てたらいい。
そうだ、公琰や趙直。あいつらなら、こういったわけの分からぬことに詳しいのではないか」
「たしかにそうだけれど……おや? この宿屋にも、西域の商人が泊まっているのだな。あの奥の席にいる男だよ。なぜこっちを熱心に見ているのだろう」
「火のように赤い髪をしている男だな。こちら、というより、おまえの手にしてる石を見ているのだ」
「昨日、つけてきた者だろうか」
「いいや、気配がまったくちがう。だが妙だな。声をかけてくるので、おまえはそこで待っていろ」





「その石を、ほかに持っている人間を知っているそうだ」
「本当か? どこにいる?」
「陽平から脇に逸れたところに、ちいさな集落がある。そこで同じものを見たという。以前に道に迷って、そこに入ったときに、同じ石を見て、見事なものだったから譲ってもらおうとしたが、どうしても駄目だったそうだ」
「では、これを代わりに譲ろうか……おや」
「さっきまでいたのだが、いないな。すぐに席を立ったのか」
「変だな」
「ああ」
「矛盾している。どうしても欲しかったという石と、同じものをわたしが持っているというのに、あの男は、どうしてこれは欲しがらなかったのか。傷がついていると、あの席から見えたのだろうか」
「どうするか、だな。また捨ててみるか」
「いきなりズバリときたな」
「昨日は、おまえが捨てたから、今日は俺が捨ててみよう。貸してみろ、ちょうどこの裏手が川だ。さすがに川から這い上がってくることはできまい」

つづく……

実験小説 塔 その5

2018年11月14日 09時40分07秒 | 実験小説 塔


「山道を行ってもいいが、かえって日数がかかる。ここは山を避けて街道沿いにまずは梓潼、つづいて葭萌からさらに北上し、白水、陽平、ふたつの関を越えたあとに、武都に向かい、つづいて天水だ。涼州を抜けて、そのあとは、嚨西。そこからさらに、長城を越えて、西、か」
「ため息なんぞ、なぜつくのだ」
「地名をならべてみただけで、気が重くなってきた。あわてて出てきてしまったから、ちゃんとした遺言も残せていない」
「わたしも遺言なんて残していないよ。だって、ちゃんと生きて帰るつもりだからな」
「あのな、簡単に言うなよ。西に向かうということは、魏の領域を抜けていくということだぞ。それに、さすがに俺も、天水から西のほうは、まったく勝手がわからない。
大回りにはなるが、馬平西将軍のところに寄って、それから涼州の案内役をだれかつけてもらったほうがいいのではないか」
「そんなことをしていたら、時間ばかりが過ぎてしまうよ。あなたは気が重いといったけれど、わたしは、なんだか地名を並べるだけでもわくわくするな。馬援の気持ちも、こんなふうであったのだろうか。ともかく、嚨西にだけでもいってみたい。行ったことがないのだ」
「行ってみるのもかまわぬが、敵地だぞ。それにあそこは羌族が多いところだから、漢族である俺たちに、あまりよい感情はないだろう。慎重にならねばならぬ」
「嚨西といえば、馬平西将軍の父である馬騰の故郷であったな。なにか土産をみつくろうことにしよう。喜ぶであろうか」
「どうかな、はっきりした男だから、過去を思い出したくない、余計なことをするなと言うのではないかな」
「ああ、そうか。では従弟のほうに土産を贈ろう。ところで子龍、わたしのいまの姿は、他者から見て、どんなふうに見えるかな」
「やたらと背が高いことをのぞけば、身なりも地味で、旅なれたふうの、どこにでもいるような旅人だ。俺のほうはどうだ」
「おなじく、いかにも武人らしい雰囲気をもった、しかし地味な旅人の用心棒。とはいえ、金があるようには見えない。わたしもそういうふうに見えるだろうな」
「そうだな。金があるふうではない」
「では、なぜ、あとを尾行されているのだろう。いつからだ?」
「あの宿屋を出たあとからだ。おまえに気づかれるくらいだ。気配を隠す気はまったくないらしい。威嚇しているつもりか」
「となると、刺客かな。こちらの不安を、日々、じわりじわりと煽ってから、満足したあとに、ぐさり、ととどめをさそうとする、陰湿な性格の刺客」
「どうかな。気配は、はっきりとわかるが、殺気は感じられない」
「捕まえて話を聞くか?」
「いいや、しばらく様子を見よう。俺たちの正体を知っているうえで、ついてきているのなら、呉か魏の細作だろう。めんどうな。
つかまえて、夢の話を聞かせるべきだろうか。俺たちの目的が、あきれたことに、ほんとうにあるのだかどうかわからない『塔』探しなどと知ったら、あきれて引き返すかもしれぬ」
「ある。わたしが言うのだから、あるのだ」
「その自信はどこからくるのだ、まったく……ともかく、梓潼まで様子を見よう。もし、ついてくるのが魏の連中だったら、俺たちの先回りして、俺たちが魏の領内に入ったとたんに、捕虜にする作戦を取ろうと考えるかもしれない。
だが、相手が何者かわからないのだから、下手に動かないほうがよかろう」




「以前に視察に寄った時は、公道しか通れなかったが、こうして歩きで地元の民の歩く道をいくのも楽しいな」
「このあたりの賑わいというのは、あまり成都と変わらないな。雲南から北上してくる商人も、成都からつぎに移動するのは、この街であろうし」
「知った顔に会う確率がひくいところが、成都とちがってよいところだ」
「いったん、ここで宿をとり、つづいて一気に葭萌へ行こう。初日に時間をとられたから、馬を雇うべきだ。どうだ」
「なるべくなら歩きにこだわりたいところだが、そうだな、仕方ない。ところで、まだついてくるな」
「一定距離をぴったりと保ってついてくる。かなり訓練を受けた者だとわかるが、しかし」
「しかし?」
「いや、変なことを聞いていいか? 気配ははっきりわかるし、どこにいるのかもわかる。だが、どんな姿をしているか、見えるか?」

「…………」

「そうか、おまえにも見えないか」
「道々、おかしいなと、わたしも感じていた。人ではないのかもしれないな」
「おまえが言うのではなかったら、ふざけるなと言いたいところだが、妙に説得力があるな。人ではないというのならば、では、なんだ? もしや、あの宿屋の夫婦が、石を取り戻すために、ついてきているのではなかろうな」
「あなたにしては、想像豊かな答えだな。鬼(幽霊)ならば、夜になると力を得て、襲ってくる可能性がある。しかしちゃんと葬儀もして、埋葬もしたのに、鬼になってしまうとは面妖な」
「どこぞの道士に頼んで、祓ってもらうか」
「いいや、このわたしに付いてきてしまうくらいのものだから、相当に力が強いものだろう」
「やけに自信があるのだな」
「そうさ。幼少のころより、わたしは身に纏う気がとても強いから、なまじの雑鬼は近づけないと、よく言われた。実際に、物の怪や鬼に悩まされたことはないぞ。よほどの力のある鬼か妖怪でないと、わたしは弾いてしまうのだと」
「だれが言った」
「近所の仙人」
「なんだって?」
「近所の仙人さ。あなたの近所に、仙人はいなかったのか?」
「いない。見たことない。ふつうは近所に仙人は住んでいない。さすが古都琅邪。おまえがホラを吹いてるとも思えぬし」
「ほんとうにいたのだよ。そういうわけで、ついてくる者の目的がこの石ならば、あとが面倒だ。これはここに置いておこう」
「おい、道端に置くな。蹴飛ばされるぞ」
「大丈夫。蹴飛ばされたら、そっちについて行くだろう。ともかく先は長いのだから、鬼に構ってはいられぬ。冷たいかもしれないが、こちらとしても、この石にさほどの執着があるわけではない。欲しい者にくれてやればよいさ」

つづく……

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