今朝、愛猫が死にました。
昨日が母親の誕生日だったので、気を遣って今日まで天国に行くのを待ったのでしょうか。
最後まで独立独歩の良い奴でした。
昨日が母親の誕生日だったので、気を遣って今日まで天国に行くのを待ったのでしょうか。
最後まで独立独歩の良い奴でした。
日本の小惑星ミッションの本当の目的
サンプルリターンができなくても、その革新性は人々の情熱を呼びさますはずだ。
太陽の向こうのはるかかなたで、傷ついた日本の宇宙探査機が、いま必死で 自らの危機的な状態の情報を地球に伝えようとしている。それが伝われば、運用チームが今の状態を診断して、問題を回避するプログラムを作ってリモートコントロールで実行してくれるはずなのだ。プロジェクトの目標は--小惑星からのサンプルを、何年にもわたる長期惑星間冒険飛行を経て持ち帰ろうというものだが--今回の飛行中しょっちゅう失敗寸前の状態に陥った。
しかし日本の運用チームは、これまでいつも何とか解決策を編み出してきた。
たとえ運用チームが目標を達成できなかったとしても、この途方もなく斬新で立ち直りの早いミッションは、小惑星サンプルよりもひょっとしたらはるかに重要なものを確実に地球に持ち帰ることだろう。それは、型破りでハイリスク、想像力一杯の宇宙技術デモンストレーションに対する人々の関心を、もう一度呼び起こすことだ。
最近は、将来の宇宙への可能性を探る、最も革新的な、進歩に挑戦するような仕事は民間のグループ、または小さい「余興の」チームでしか行われていない。 NASAやロシアの宇宙局などの「大きい政府機関」は、こうしたものとは違う、何十年も前のアイデアに頼った将来計画に費用を投じている。 「ステロイド・アポロ計画」(NASAの月リターンプロジェクトはよくこう呼ばれる)やロシアの「クリッパー」宇宙船(1960年代に初めて使われた機材を改良してつぎはぎしたものに見える)計画がそうだ。いずれのプロジェクトにも、あるはっきりとした共通点がある。それは想像力不足だ。
はやぶさの日本人デザイナーたちが、小惑星イトカワからサンプルリターンしようという計画を思いついたのは、彼らに想像力があったからだ。私立の惑星協会が、宇宙空間で「太陽帆」の展開に挑戦したのも、そしてすぐに2度目の挑戦をしたのも、彼らに想像力があったからだ。 ロシアの小さいグループが、ヨーロッパの資金で「エアバッグを使った大気圏再突入」の完成に挑んだのも、彼らに想像力があったからだ。この膨張式断熱バッグが完成すれば、引退間近のスペースシャトルに代わって、十年後にはメインで使われるようになるかもしれない。
先駆的なプロジェクトはたいていそうだが、こうしたプロジェクトはトラブルにも 見舞われた。宇宙分野の「兄貴分」たちからは、新聞に載るようなお世辞たらたらのコメントと、匿名での非難攻撃の声をもらった。その兄貴分たちは、あまりにも臆病なので(そして新聞に悪く書かれるのと国会議員に糾弾されるのをあまりにも恐れていたので)型破りのプロジェクトに自分たちの予算を分けてやることなどしないのだった。
NASAはこのタイプのプロジェクトもいくつかは実施したが(Deep Space 1とディープ・インパクト、それから国防総省の Clementine プロジェクトは立派だった)、NASAにはハイリスクの努力を避けようという動きがあまりにも多すぎた。
チャレンジしても1999年の火星探査隊総崩れのように失敗すると、職員は皆、上層部のマネジャー側の判断ミスという真実の裁定を受け入れようとせず、低レベル労働者に責任を押しつける(「彼らはセンチとインチを間違えたんだ」)ばかりだった。
今ではその状況も変わってきたかもしれない。NASAは、「センテニアル・チャレンジ」という名の新しいプログラムを始めた。これは民間の宇宙技術コンテストのための資金を提供するものだ。このプログラムは、必ず起きるであろう妨害運動に困らなくてもすむようにNASAを隔離しつつ、大胆な実験を行うための適切な資金源となることだろう。 はやぶさのインスピレーションがこの新プログラムの拡大を促すことができるならば、はやぶさは非常に大切なものを地球まで届けたことになるだろう。
太陽帆の失敗
(太陽帆計画のくわしい説明ー略)
見失った「宇宙の風船」
(宇宙エアバッグ計画のくわしい説明ー略)
こうした想像力豊かなプロジェクトがうまくいくためには、励ましが必要だ。
それに加えて、広く知られることがなくとも今まで得てきたような尊敬も必要だ。 こうしたプロジェクトは、他の壮大なプロジェクトと同じように、宇宙の未来を単なる過去の延長や焼き直しとは違うものにすることができるのだから。
はやぶさ、Cosmos-1、Demonstrator といった大胆なプロジェクトは、昔の詩人の言葉を強調するものだ。「人間は、自分の手が届くさらにその先に手を伸ばすものなんだ。でなきゃ、天はなんのためにある?」 今日では、これらのプロジェクトに基づいて、この言葉はこう書きかえることができるだろう。「人間は、手の届くその先に手を伸ばさなきゃいけないんだ。なぜって、それが天が存在する理由だからさ。」