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変温動物のほんとうはあったかはーと

冷たくないよ、ちょっと心が暖かくなる話を書きます。

書店

2015-08-13 20:30:53 | Weblog
本屋さんに行ってみた。

たまには、新しい本をじっくり見てみるのもいい。
でも、店内に流れる音楽が少々気になる。気が散ってしまう。あれこれ気持ちが移ってしまって、集中できない。人の動きの方に気が行く。

私の隣の二人連れ、

背の高い青年と年配の女性。女性が選んだ本を背の高い青年が「買ったげるよ」といった。女性は、「えっありがとう」と嬉しそうな声。
どうやら、おばあちゃんと孫のようだった。青年の優しさがほほえましかった。

で、買った本が気になった。その平積みされた本をみた。タイトルはよく覚えてないのだけど、世界遺産の旅だったか、あの年配の女性はこれからそんな旅をするのだろうか。うらやましい、、、、

やっぱり静かなのがいい。

いつもは図書館に行ってるから、集中できているんだと思う。いつまでもいられる。

ブックオフという古本屋さんは、店員さんが「いらっしゃいませぇっ」とこだまするかのように叫ぶ。

そのこだまが気になってくると、この店内いる制限時間みたいなのを感じて、出ていくことになる。

文章にするということは

2015-08-10 21:21:03 | Weblog
数日まえ、甲子園の高校野球をみた。

一所懸命に頑張っている姿に、胸を打たれた。思わず知らず声が出た。その球児の姿がうらやましかった。

スポーツは、公の場所を与えられて、表現することができるから、いいなあと思えた。

その点、文系の表現は方法は、地味だと思う。

文章を書くということは、自分を客観的みるということができる。

地味に自分と向き合って、文章というかたちになる。

でも、自分と向き合いたくない時もある。

嫌な自分を思い出したくない。でも、一日のうちで締めくくりに思いだすことにしている。

ここに書いているのも、自分を客観的にみる時間となっている。


ピアノ、、、その後のつづきのつづき

2015-08-07 20:02:00 | Weblog
浜辺の歌

時間は、ちょっとかかったけど、弾けるようになった。

簡単な伴奏つきの楽譜をノートに書き写した。手書きの楽譜を見ながら、弾いている。なんとかだけど、、、たのしんでいる。

手本を見ながらだけど、楽譜を書き写すというのは、勉強になる。

音符もすこしづつだけど、よんでいると慣れてくる。よまなかったら、すぐ元に戻ってしまう。よめなくなる。悲しいけど、それが現実の自分。

ほんとのところは、歌いながら弾けたらいいのだけど、ちょっとそれには、時間がかかりそう。

で、、、、

いま、なんと、、エリーゼのためにを練習し始めた。

その昔、子供のころ、挑戦して、すぐに挫折したことがあった。

娘が弾いていた楽譜を取り出して、挑戦している。なんと大胆なことを思いついたことか。

マスターできるまでに、一体何か月かかることだろうか。ひょっとして年単位かもしれない。

両方の指を思いっきり広げて弾かなければならず、これは大変だと思いつつも、いまのところは楽しめている。

だからそうなるんよ。

2015-07-27 10:30:45 | Weblog
「そんなこと思うから、自律神経になるんよ」とは、夫の言葉。

何かにつけて、イライラしたり気にしたりと日常生活の細かなことを気にしてたら、夫にそういわれた。

そうかもしれない。

いちいち小さなことを気にしてたら、確かに精神のバランスを失いそうになる。

ああ、、




ピアノ、、、その後のつづき

2015-07-20 11:04:41 | Weblog
「ピアノを処分するかぁ」と夫に言われて、お別れに何か弾いてみようと思いついてから、もう一年以上たっていた。

いまだに、そのピアノは、処分されることなくある。

私が弾き始めて、やめられなくなったからだ。

このピアノは、昭和40年代の初めころ、自営業の我が家が高度成長期にあって、売り上げを順調に伸ばしていたころ購入したものだった。

母が、娘のために買ったのだった。30万円という。

当時の大卒の給料が一万三千円という時代だった。ということは、、、と計算したら、恐ろしいい数字になるから、やめる、、、

そんな値打ちのあるものだとは、つゆしらず、宝のもちぐされ時代が続いた。

私の娘が弾いた。楽譜があれば何でもひける。泣きながら弾いていたこともあったけど、よく頑張っていた。

そして、またピアノを弾かなくなっていたが、私がこうして弾き始めた。

ひているうちに、ピアノに対する途中でやめた後悔とまったく上達しなかったコンプレックスが乗り越えられていた。

今は楽しい。相変わらず、進歩はないけれど、弾きたいという気持ちが、自然とわいてくる。


浜辺の歌、、、、簡単な伴奏つきだけど、弾けるようになった。






一点もの

2015-07-11 09:06:20 | Weblog
待ちに待った財布。

Iというブランドで、革製品専門のバッグ店。値引きはしない。

バッグは、そのひとつひとつが値段は、けっこうする。

だから、わたしは、まだひとつしか持っていない。でも、そのひとつは、お気に入り。

で、使っていた財布が薄汚れて汚くなってきた。自分では気が付かなかったけれど、ある日、夫に「どうしたその財布」と言われて、ようやく気が付いた。

その日以来、財布を探し続けた。

あれこれ、気にかけて、見てみたもののいまひとつ気に入らない。

ネットで見ていたら、Iの財布が目に飛び込んできた。

これ、と思って、お店に行ったら「半年に一回の展示会の時に、入っては来ると思うのですが、、」とあいまいな返事。

一応注文する。

その財布は、数種類の革を寄せ集めて、パッチワークしたものだから、めったにはできない。だから、一点物になる。

で、値段は高いかというと、そうでもない。

バッグを開けて、この財布を使う時、なんだかにやにやしてしまう。

苦しいことの後には、、、いいことがある。

2015-07-01 16:35:44 | Weblog
一週間前の夜のこと

台所の片づけもすんで、お風呂に入ってさっぱりして、

「あーやれやれ」寝室に行って、電気を消した。

仄明るい天井の蛍光灯が小刻みに揺れた。「気分が悪い、めまいがする」

ちょっとおかしい、、、

その晩の夜中から翌朝まで、何度も吐き気で目が覚め、吐いても胃液しかでずほとんど眠れなかった。

朝になって、夫は、何から手をつけていいか分からない様子。

やっと診療所の診察時間がきた。

立ち上がるとめまいがするので、四つん這いになって部屋をでる。

廊下で、母が心配そうに待っていた。なんとか立ち上がり、母の肩にすがる。吐き気がする。

車を準備して玄関口に夫がいる。夫にすがる。またもや襲ってくる吐き気。目が開けられない。

車の振動がよけいに吐き気をさそう。

診察室には入らず、奥のベットに寝かされた。先生が来て、心臓の音を聞いて、血液をとって、点滴をし始めた。

自律神経失調症。

6時間、点滴を打ち続けた。それでも嘔吐は止まらなかった。

堅いベットに寝続けることも苦しくなり、帰ることにした。

帰りの車の振動が、地獄だった。めまいと嘔吐が襲ってきた。

こういう苦しいことがあると、、、、いいことがある。

半年待ち続けた財布が入荷したと連絡が来た。嬉しくなった。

手土産、、つづき

2015-06-27 16:01:16 | Weblog
ケーキを持ってきたお隣のおじいちゃんのことを書いたその続き、、、、

また、あのおじいちゃんがやってきた。

こんどは、プリン6個。

同じケーキ屋さんのプリンだった。

スプーンですくっていただいた。

私の中でのプリンは、お皿にプッチンとだして、カラメルからたべていく。

ガラス瓶にはいっているプリンは、食べ終わりにカラメルを味わう。

こういうすくうタイプのプリンにいつからなったんだろう、、なんて昭和のフルーイタイプになってしまった私はちょっと感じた。

で、、、、

おじいちゃん、とても愛想がいいし、こうして気が利いている。感じも悪くないし、お話していて楽しい。

認知症もなく、いまだに車を運転して、毎日どこかにおでかけしている。身なりもきちんとしている。

母が教えてくれたんだけど、じつは、若いころ、仕事の上の交際費で、三味線や謡いでもてなしていたという。

その交際費を、おばあちゃんは毎月数十万支払っていたと、母にこぼしたらしい。

ああ、その交際費、今おいとけばよかったのに、なんていっても虚しいだけ、、、

おばあちゃん、幸せそう、軽い認知症はあるものの、お話しても、明るくて楽しい。

このお年寄りのご夫婦、この先いつまでも幸せでいてほしい。

夫がいない夜

2015-02-19 19:33:55 | Weblog
我が家に今夜は夫がいない。。

飲み友達に誘われ出かけている。

こういうことは、年に何回もない。

静かだ。

夜は、テレビは基本的には見ない。

ニュースは見るけど、バラエティなんて見ない。

でも、そのバラエティもユーチューブで再放送のように立ち上げているからみる。

こんなところに日本人、という番組があるのをみた。

逞しい日本人がこんな果てにいるンだと知った。

島国の日本をでて、日本の国の良さ悪さ不自由さ便利さを、遠くにいながら、感じながら異国で懸命に生きていると思うと涙が出そうになる。

でも、その人たちは日本は好きなのだ。日本人であることを誇りに思ってる。

そういう外国をみていたら、私のルーツはどこにあるのだろうと思う。

日本人だから、ルーツは狭い日本の国にいた日本人とは言い切れない。

ひょっとして、太古の昔、大陸にいて走ってたかもしれない、、

そんな想像してたら、今の自分、小さなことにしばられてると思ってる自分は、とてもちっぽけに思える。


長い間書いていませんでした。

2015-02-04 08:58:33 | Weblog
久しぶりに、パソコンを開きました。

今まで、私は何をしていたのでしょう。

以前住んでいた家には行って、ピアノは弾いてました。

これは楽しいいい時間です。ミスタッチはずい分減ったようですが、滑らかな調べというわけにはいきません。

ピアノの調律をしたいのですが、まとまった時間をとることができないので、仕方ありません。

こうした仕方ないとあきらめることが、日常生活のなかで、随分おおくあります。

母はずい分元気になりました。

倒れる前の状態には戻れませんが、家で一人にしても大丈夫なようです。

でも、なにがあるかわかりません。この間も膝が痛いといいだして、私のしようと思っていたことを、我慢しなくてはなくなりました。

そのことは辛かった。

母の一言が欲しいと思いましたが、もう求めるのはやめます。

そんな毎日です。