変温動物のほんとうはあったかはーと

冷たくないよ、ちょっと心が暖かくなる話を書きます。

世間は狭い

2009-01-30 08:13:48 | Weblog
友人に電話をした。
このところ、私が腰の調子が悪くて、ランチに誘われていたのだけど、座り続けることに自信がなくて、会えないでいた。
気になって、電話をかけた。

友人は、パートの後、趣味を持っているので、そこで気分転換をはかっている。ここ1年余りは、その趣味の技術も上がってきたので、もっと上手になりたい、そのためには、いいパートナーが欲しいといっていた。

「この人は、どう?」とか「こうして、もっと上手になりたいけど、どうかな?」

と相談を受けていた。その度に、いろいろアドバイスをしていた。

その友人と同じ趣味を親戚の一人がしている。

いつかは、会うのではないかと想像していたのだが、それが、現実になった。

友人との会話で、その話がでたのだ。

なにげなくきいていると、え!ピンときてしまった。

「それ、その人、親戚よ」
「ええっ!ああ、そう思ったら、つじつまが合う」
「世の中、狭いね」
「このこと、はなしてもいい?」
「いいよ。楽しい」

友人は、息子の就職のことで、悩んでいたけれど、、、

こんな話になり、声が明るくなって、私も嬉しくなった。






地産地消

2009-01-29 08:31:19 | Weblog
「これは、エイコさんのみかんか」
「そう、甘い!」
「これは、ミチコさんのほうれん草か。うん、おいしい!」
「ね!味がある」

食卓でそんな会話がある。

地元のスーパーで、地産地消のコーナーがある。その棚には、あまり形のよくない野菜が並んでいる。10人位の生産者が、毎日、畑からとれたばかりの野菜や果物を直接運んでくる。新鮮さがいちばんで、午前中には、ほとんど売切れてしまう。

同じほうれん草でも大根でも、作り手の違いが、味に現れてくる。

ミチコさん、エイコさんも地元だから、同じ姓なので、下の名で区別する。まるで、親戚の人が作って分けてくれたかのような会話になる。
全く面識もない方だけど、こんな会話があって、食べてるってこと、想像してくれてるかしら、、、

今日もこれから、買い物にいくけれど、地産地消のコーナーになにがあるのか、楽しみだ。


お久しぶり、その2

2009-01-28 13:46:48 | Weblog
私の新聞の投稿した記事を読んで、様々なひとが反応してくださっている。

母の所に反応があったようだ。

私の同級生のお母さんとか、母の友人とか、「あれは、○ちゃん(私の名前)じゃあないの」と確かめるように連絡があったようだ。

私は、なんだかうれしい。母が、何人かの人に声をかけられて、うれしそうにしているのが、そのことがなんだか嬉しい。

実のところ、、、

私は、こうした地方紙への投稿をあまり考えていなかった。
地方紙ではなく、もっと広い分野のほうが、、なんて不遜にも、、そう考えていた。
そんな自分をここで反省する。

あちこちから、様々な反応をもらうと、それは、素直に嬉しいと感じる。

こういう感覚、しばらく忘れていたかもしれない。

行動をおこすことで、わすれていた世界も、違う世界もちょっと広がってきたようにおもう。

今年は、行動力が、私の課題だ。

お久しぶり

2009-01-24 09:15:28 | Weblog
私の投稿した手記を見て、電話をかけてきてくれた。

「お久しぶりです。元気だった?どうしてるの?」

「わたしは、、、ずっと下がりっぱなしよ」

なんて、、なんだか愚痴めいた声がきこえてきた、、、

その方とは、あるサークルで知り合いになった。

あまり話す機会はなかったが、どことなく気になる存在だった。

周りに気をつかってばかりいるので、十分に自分を出せず、飲み込んでしまって、疲れてしまうのだろうと、そんなことを、話しながら、想像してしまった。

しばらく話すうち、「ああ!元気をもらった!」と言ってくれたので、私もその言葉に、励まされた。

遠く離れた娘も、、、

突然、友人がたずねてきたとう。

大都会で、自分の夢をかなえたその友人は、人間関係に疲れきって、やってきたらしい。娘の小さな部屋に泊まって、たっぷりと話をして、帰っていったという。


マッサージ

2009-01-20 09:23:58 | Weblog
水泳の仲間から、マッサージを薦められた。

その方も私と同じように腰痛に悩んでいる。急激な痛みに入院したり、良いと評判の所には、県外のどんなに遠いところでも、通ったりと、話をたくさんきいていた。顔をあわせると、「腰痛苦労話し」に花がさく?のだ。

その方が、「ためしに行ってみんかな」と予約までしてくれた。自分自身が通って、良くなっていくのが分かってきたから、私にすすめてくれたのだ。

1週間に一度の割合で、通っている。2ヶ月近くになる。少し良くなってきていた。少しづつ変わってきていると感じていた。このまま回復すれば、良くなっていくと自信がついてきていた。

このところ寒い中、いつものように、プールに通っていたのだが、先週末、水温が通常より1度低かった。たった1度だが、それは、かなり冷たく感じられ、唇が紫色になってしまった。1キロ近く泳いだにもかかわらず、身体が暖まらない。

なんせ、、体脂肪が10パーセント代の私には、、、温まってもすぐ冷える。

以前、消防士の若いおニイチャンが、泳ぎにきていたことがあったが、体脂肪が5パーセントとかで、身体は、浮かないし、寒いし、大変そうだった。

私はそれを、、今実感する、、

と、、
話を戻して、、、

昨日、そのマッサージに行った。
大変だった、、、

マッサージを受けた後、起きられなくなった。よくあることなのだが、3時間たっても、起きようとしても、ふらっとして、どうにもならない。
「わたしこのまま、帰ることができんのかしら」と不安になった。
でも、マッサージの先生が、心配して、暖めてくださったので、やっとなんとか、起きられるようになって、帰宅することができた。もう、日暮れが迫っていた。

この原因は、週末のプールで、身体を冷やしてしまったことだ。
「冷やしたら、いかんよ」とカイロをぺたぺたと貼ってくださった。
「ここに通ってる人で最高は、10枚です」

冷えは、大敵だ。

プール通いも、しばらくは中止しなければならない、、

来月も休むようにしなければ、ならない、、、






不思議に思うこと

2009-01-16 07:14:26 | Weblog
郊外から中心部までの距離、車で17分間くらいかかる。

その間に4棟のマンションが建設中だ。

そのうちの1棟は、5階建てでかなり大きい。

田んぼがいつのまにか、こうしたマンションになってしまう。

そんなにも入居する人がいるのだろうか。

不思議でならない。

我が家の近所にある建後30年以上のマンションは、8部屋あるのだけれど、3部屋しか入っていない。そこを出て行った人たちは、1戸建てか、新築の部屋にはいるのだろう。

そう思っても、いくらなんでも、多すぎると感じる。




風の音

2009-01-13 08:49:16 | Weblog
ビュー、、ヒュー、、ガタン、、カタカタ、、、

風は、地上にある様々な物を使って、その存在感を表してくる。

このところ、風が強い。

大きな物音に目を覚まさせられた。

私の住んでいる地域は、海が近いせいか、風を強く感じる。ここに住んで、風を嫌いになってしまった。

今日は、私の乗ってる車が、風でほこりだらけだった。

風が強くふく季節になると、ちょっと思い出すことがある。

風がふいて、落ち葉が舞う夕暮れ時。

言葉を捜しながら、歩いていた。

ただそれだけ、、、

海に向かって、ウォーキングもしたが、強さに、身体が飛ばされそうになった。

年一回のご挨拶

2009-01-09 08:31:47 | Weblog
日常は、お互い遠くにいて会うことはないけれど、年一回は、挨拶をして、消息を知りたい人がいる。

その方から、やっと便りが来た。

私の亡くなった友人のお母さんだ。

80歳になる。

友人が亡くなって、20年以上の歳月が流れた。

友人は、早くにお父さんを亡くして、母一人子一人だった。
私は、手のかかる娘の子育てに忙しい頃、突然、友人のご主人から、訃報の電話をもらった。急な知らせに、私は、混乱してしまった。

その後、友人のお母さんから、電話で話す機会を得て以来、お誕生カードの交換をしてきた。

そのお母さんは、一人暮らしをしていたが、生活に不安を感じたのか、二年位前に老人ホームに入る知らせを受けた。

その後は、まめに送って下さっていた誕生日カードもこなくなっていた。少し寂しい思いもしていた。

今年の年賀状には、「○が(亡くなった友人の名前)いてくれたらとおもいます。○さん(私の娘の名前)におよろしくお伝えくださいませ。お会いしたく思います」とあった。

切なくなった。

年をとるということは、そういうことだろう。

焼米

2009-01-06 08:48:56 | Weblog
籾殻のついたままの米を炒って、搗き、もみがらをとりさったお米のこと。

秋の収穫時期に作り、保存食としておいておいたり、おやつがわりにぽりぽりとかんで食べたりする。

今は、あまり見かけなくなった。

私は、この焼米が好きで、お椀に少し入れて、お湯を注ぎ、やわらかくなったところで、塩で味付けをして食べるのが好きだった。

この焼米が好きな叔母がいた。収穫したばかりの新米を焼米にして、いつも袋いっぱいに分けてくれた。

その叔母が、亡くなった。

昨日は、お葬式だった。

母の2歳違いの妹で、代々続いた農家に嫁ぎ、大家族の長男の嫁として、よく働いた。苦労話も母を通して聞いていた。晩年は、持病の糖尿病の合併症に苦しんでいた。

母と仲がよく、方言丸出しで、たまに会うと、長く話し込んでいたことを思い出す。とても楽しそうに話していた姿を思い出す。

父が亡くなったときもやせ細った身体をなんとか、がんばってきてくれた。

その後も何回かあった時、きれい好きの叔母は、自分の顔の産毛がのびきっているのが気になったらしく、私に「顔の産毛をそってくれる」といいだした。

私は、ちょっとびっくりしたのだが、「いいよ」といって、洗面所にいき、母のかみそりを使って、丁寧にそった。

叔母の顔は、肉もなくほほもそげ落ちているのが、悲しかった。

その後、だんだんと身体が動かなくなり、入退院を繰り返していた。
電話もかけ、話をした際、「また顔をそってくれるかな」「うん、いいよ」といった。その約束は、果たせなかった。いや、果たしたくなかった、、、

入院している叔母のところにその約束を果たしにいったら、すべてが終わりになりそうで、怖くていけなかった。

昏睡状態になり、もう手の施しようがない、といわれていたのだが、それでも叔母はがんばり続けた。

叔母には、長男がいる。私より年下なのだが、病気のため車椅子になり、会話も十分にできないのだ。

その長男が気になっていたのだろう。身体の不自由な息子を残して死ぬわけにはいかない、とがんばっていたのだろう。私には、そう思える。亡くなった祖母も晩年、病気がちの長男のために、つらいリハビリに耐えて、周囲も驚くほどの回復ぶりをみせて、退院したことがあった。

私は、叔母の棺に約束の果たせなかったことを詫び、かみそりを袋の中に入れて、見送った。

叔母は、真っ白で、きれいな顔をしていた。