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竹内 洋「教養主義の没落」を読む(2/2)

2025年04月25日 | 読書

(承前)

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5章 文化戦略と覇権

  • 教養主義は修養主義、鍛錬主義をオリジンとし、都市中産階級のハイカラ文化とは言えなかった
  • 都心のハイカラ文化に引け目を感じた農村の若者が高等教育に進学してインテリになるというのは垢ぬけた洋風生活人に成り上がることでもあった、知識人が繰り出す教養も進歩的思想も民主主義も知識人のハイカラな生活の連想の中で憧れと説得力を持った
  • 岩波文化と講談社文化は通底しあっていた(ハイカラな知識人も元は泥臭い刻苦勉励の田舎出身者である)
  • 学校的教養である教養主義が近代日本で文化戦略たりえ覇権を持つに至ったのか、それは近代日本の上流階級の華族が徹底して西欧文化に転換したからだったからだ
  • その後、学歴エリートと上層中流階級との文化的隙間が生じる、旧制高校生的理想主義に潜む堅苦しく、重い雰囲気がブルジョワ文化と相容れなかった
  • そうしてブルジョワ文化を超える文化が必要になり、マルクス主義こそそうした新しい文化となり、ブルジョワ文化を「腐敗し、衰退する」と貶めることにより上位に立つことができた、「天皇も貴族もブルジョワも叩き殺せばいい」という労働者階級の過激な言葉は学歴エリートの「腐敗し、衰退するブルジョワ文化」という言葉と文化洗練階級への憎悪の感情で通底していた
  • 高等教育文化の解体や教養主義やマルクス主義が抑圧されたからあの戦争があったのだとの主張が戦後の新制大学のキャンパスに甦った、そして戦後日本の教養主義がマルクス主義と著しく接近した
  • サルトルに倣って当時の日本のマルクス主義的教養主義者が「首尾のよい居場所」(共産党の知識人でもなく右派知識人でもない)をオーソライズした

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終章 アンティ・クライマックス

  • 1960年代後半から学歴エリートたちの未来や教養主義に軋みが出てきた、大卒者のただのサラリーマン化が進んだからだ、彼らの人生航路からみると、教養など無用な文化である、教養はもはや身分文化ではなくなった
  • 彼らは教養エリートの教授を団交に引っぱりこみ、醜態をさらさせた、彼らの不安と怨念抜きには理解できない、そして教養エリートを過酷に相対化した吉本隆明に共感をもった
  • 教養主義エリートのノン・エリートに対する境界の維持と差異化が前景化した
  • この結果、教養エリートを中核とする大学文化は解体されレジャーランド化した、ビジネス面でも企業は文科系教養ではなく計量経済学などリサーチ系のビジネス技術学を重視しだした
  • 日本型革新思想は日本近代化のための政策理論ともなり、生産力理論となり翼賛体制に貢献したが、それも先進国と並び始めると無力となっていった、そして思想インテリから実務インテリに、抵抗型から設計型知識人への転換が行われた
  • しかし、農村人口の衰退という教養主義の覇権を成立させたインフラが崩壊したことにより、教養主義は崩壊すべくして崩壊した、刻苦勉励的エートスの崩壊である、日本と西洋の文化格差の消滅も崩壊に貢献した
  • かつての全共闘世代は教養主義への愛憎併存から来る一種絶望的な求愛運動だったが、ポスト全共闘世代の大学生にとっては教養主義に代表される知識人文化はもはや執着の対象ではなくなった、彼らは教養主義に対する露骨な反逆はせず、大学卒の資格だけは欲しがるしたたかな対応をした、これが60年代から70年代にかけて起こった、この結果、大衆文学の文庫本が売れ、総合雑誌は売れなくなった
  • こうした教養主義排除統一戦線の影のイデオローグはビートたけしだ、全共闘世代は丸山眞男ら教養エリートを崩壊させるために吉本隆明を必要としたが、レジャーランド大学生はプチ教養主義を解体するためビートたけしの知識人殺しを歓迎した、優等生を優等生の論理で揶揄した
  • 努力や頑張るという言葉が光を失い、苦労人が人を鍛え、世情に通じさせるという苦労人物語も衰退した
  • 教養主義崩壊の積極的要因は、70年代後半以降の新中間大衆社会の構造と文化だ、ホワイトカラーだけでなく、ブルーカラー、自営業、農民まで含んだ新中間大衆だ、新中間人は上下の距離の意識を希薄化させ、隣人と同じ振る舞いを目指し、すべての高貴なものを引きずり降ろそうとする「畜群(衆愚)」道徳(ニーチェ)に近く、凡庸が凡庸であることの権利を主張する、サラリーマン文化の蔓延と覇権が教養主義の終わりをもららした社会構造と文化である
  • いまの学生のキョウヨウは、軋轢を避け、円滑な人間関係を目指したもの、大衆文化への同化主義だ、サラリーマン文化への適応戦略だ
  • いまこそ、教養とは何かを考えるべき、一つのヒントは、大正教養主義は教師や友人などの人的媒体を介しながら培われたものであるということである、対面的人格関係は大事にしたい視点である

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著者の主張を簡単にまとめれば、

  • 維新後、戦後の一時期まで、近代化のため人口の多かった農村の若者が刻苦勉励して西洋文化を規範とする教養を高め、マルクス主義と親和し、岩波文化と相互依存しながら文化的な覇権を獲得して権勢を誇った
  • 彼ら左傾化した成り上がり上流階級は、皇室、大企業、石原慎太郎的ブルジョワ上流階級を敵視し、侮蔑し、攻撃した
  • 戦後、企業は赤化学生を警戒し、学生も卒業時には転向し、農村人口の衰退や社会の西欧化の進展、サラリーマン文化の蔓延などにより教養主義が衰退した

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全体的な読後感

  • 大正時代的教養主義が50年代半ばまで全盛を誇ったのは終戦後の占領政策によりアカデミズムから保守派が一掃されたことも大きな要因だと思う
  • 教養主義衰退に手を貸しているものに会社がある、彼らが学生に求めるのは教養ではなく組織への従順さ、チームプレー、運動部的猛烈さなどだ、大学も企業のニーズに合う学生を輩出し、学生に教養の大事さを教えてない
  • 教養主義が衰退した結果、進歩的文化人も岩波書店も影響力を失った
  • 教養主義や進歩的文化人は衰退したが、隠れマルクス主義左翼はリベラルなどと名前を変えていまだにマスコミやアカデミズムに多くいる、彼らは反戦、平和、反核、環境、平等、人権、人道、共生、性的少数者、男女共同参加、多様性などのきれいな言葉で自分たちを偽装し、日本の伝統や天皇皇族を嫌い、戦前・戦中を悪と決めつけて先祖を侮辱し、何かというと「差別だ」「戦争美化だ」などと騒ぐが没落は時間の問題でしょう
  • 左派教養主義の没落は喜ばしいが、本来の意味での教養(リベラル・アーツ)はもっと重視すべきだ、若い時にすぐには役に立たないが長い目で見れば必ず人格形成などに役に立つ古今東西の文学、音楽や美術などの芸術、哲学、宗教、歴史などの本をいっぱい読んで先生や友と語りあいたい、日経新聞に「リーダーの本棚」という特集があるがリベラルアーツ系の本が少ないと思うことがある、年をとっても教養的なものに接し続けたいものだ

たいへん勉強になった

(完)



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