谷崎潤一郎「吉野葛・盲目物語」(新潮文庫)を読んでみた、きっかけは忘れたが、この2つの小説のいずれかが素晴らしいと新聞か何かで取り上げられていたのを読んで手に取ったのだと思う、谷崎は好きな作家だ、「痴人の愛」や「細雪」などいくつかの本を読んできた

この本は2つの小説が入っている、最初の「吉野葛」は80ページくらいの短編でもう一つの「盲目物語」が150ページくらいの中編である、このうち「吉野葛」は、大和の吉野を旅行してその風物自然を写し、その土地の歴史伝説を語っていく随筆風の書き物で、一緒に旅行している津村という友人の生い立ちを挿入して津村の母への思慕の情を主題として設定した小説であるが、実は読んでもあまり響いてこなかった


ところがもう一つの「盲目物語」が素晴らしく、感動した、これは戦国時代に材をとった歴史物語で、これを盲人坊主(弥一)の懐旧談の形をとって書かれたものである、主人公は信長の妹で浅井長政の妻「お市の方」であり、彼女の悲劇的生涯を中心に、この時代を生きた武将らの喜怒哀楽を描いたものである
戦国時代に信長や秀吉が近江の浅井・越前の朝倉勢を滅ぼしたことは司馬遼太郎の小説などを読んで知っていたが、大きな歴史物語のほんの一部でしかなく、詳しいことは思い出せない程度の知識しかなかった、しかし、今回「盲目物語」を読んでこの間の詳しい物語を知り大変勉強になった





読んでみた感想などを書いてみたい
- この小説の内容は全部史実ではないだろう、脚注でそれを指摘している部分もある、この語り手の盲目の僧侶も架空のものであろう、しかし、それは司馬小説でも同じであり、目くじら立てるようなことではないでしょう
- 浅井家は、信長が「朝倉は責めない」との約束を破ろうとした時、朝倉を支援するかどうかの岐路に立たされる、主君長政は織田の運勢と力を見抜き「織田に逆らっても勝ち目はない」と主張したが隠居していた久松が「信長の裏切りを見ず、親の代からの恩を忘れ、加勢しなかったとあれば末代までの恥である」と言い援軍することにした結果、信長に敗れ両家は滅亡した、これは現代にも通ずる重要な事例だ、大義や恩義にこだわり現実を無視した決断をすれば国や会社は亡ぶ、そういう教訓だ、また、集団的自衛権を発動しても滅びることもあるという事例でもある
- その過程の信長との戦いでも長政と久松とはことごとく対立し、軍議に時間がかかり、動きが早い信長勢にやられてしまう、これも現代に通用する大きな教訓であろう、今流に言えばガバナンスの欠如であり、長老支配の弊害、スピード感の欠如が命取りになるなどだ
- 浅井家は滅びたがおいちは生き延びた、そのおいちを秀吉と勝家のどちらも手に入れようとしたが、おいちは秀吉が夫の領土を奪い取り、息子のまんぷく丸をだまし討ちで串刺しにたとして、勝家と再婚した、しかし、勝家は1年後に秀吉から攻められおいちともども自害して果てる、このおいちの決断は人生の悲哀であり皮肉でもあった、誰だっておいちの決断を支持するだろうが、その結果、おいちは死を早めた
- おいちは秀吉の求愛を拒んだが3人の娘は秀吉側に引き取られ出世した、長女の茶々は秀吉の側室(淀殿)になって秀頼を産んで出世した、次女のお初は京極高次と結婚し、三女の小督は徳川秀忠の妻となり三代将軍光圀を産んだ、歴史の皮肉であろう、この三人の娘たちは母や兄まんぷく丸の非業の死をどう思っただろうか
- その茶々であるが淀殿と呼ばれ幼少の秀頼の母として大坂の陣で豊臣家を事実上支配するが、それが豊臣家の滅亡をもたらしたのは皮肉であろう、谷崎も小説中で「亡きお袋様の思し召しに背き、親の仇のところにご縁組みをあそばされたのが、不孝のばちをお受けになされた」と言わせている、そして「おふくろ様も、お子さまも、二代ながら同じようにお城をまくらにご生害なされましたのも、思えば不思議なめぐりあわせでございます」と弥一(盲目の坊主)に語らせている
- この小説では浅井家と柴田家の落城の模様を詳しく書いているが、そこには双方ともに「滅びの美学」があると思った、長政は小谷城が多数の秀吉軍に取り囲まれ、もはや万策尽き、秀吉からの降伏のすすめも拒否し、妻や娘と別れの盃を交わし、自分の石塔を作らせ戒名を得て籠城中の家臣に焼香を上げさせたうえで自害した
- 勝家も秀吉軍から攻められ劣勢になると、加勢していた利家公に「それがしへの誓約はもはやこれまでに果たされているから、以来はちくぜんと和睦して本領を安堵なされたがよい、このほどのじゅうの骨折りは勝家うれしく思います」と言って別れた、敗戦がほぼ確定すると、同盟国まで道連れにしない配慮が素晴らしい
- そして翌日の羽柴軍の総攻撃の前夜、籠城中の家来や女中で希望するものが落ち延びることを認め、敵方の人質を解放し、城内の要所ゝゝに枯れ草を山のごとく積み、いざと言えば火をつけるように手はずを整え、城内にあるだけの名酒の樽や珍味を出させて家来や女中らに最後の晩餐をふるまい、翌日総攻撃が始めると天守に登り自害した
- 勝家が自害する前に幸若舞「敦盛」の一節「人間五十年・・・」を歌って舞ったとある、テレビで信長が本能寺の変で自害する前にもこの「敦盛」の一節が歌われていたのを見たことがある、本書では信長が桶狭間の戦いの前にやはり「敦盛」のこの一節を舞ったとあるがChatGPTで質問するといずれも史実ではないという、しかし、信長がこの一節を好んでいたことは事実らしいし、この一節は日本人には響いてくるのでしょうし私も好きだ
- 谷崎は勝家敗戦の原因を勝家公の先鋒、佐久間玄蕃の油断にあったと書いている、勝家がある時点で「軍を引き備えを固めよ」と指示したのを無視し、深入りして敗戦の原因を作ったことを指している、ここにも敗戦する国の指揮命令系統の破綻が見られる
壮大な歴史ドラマであった、谷崎による脚色もだいぶあるだろうがそれは構わないと思う、何か事実かはわからない面が多々あるのが歴史であり、小説家が書く歴史はこのようなもので大いに役立つと思う



わたしは戦国時代が好きで、お城巡りも行っています。
先に城跡に行っていますが、この「盲目物語」をぜひ読みたいと思います
本のご紹介ありがとうございまうs
>盲目物語... への返信
私も戦国時代が好きで若いころ司馬遼太郎の関ヶ原から大坂の陣終結に至るまでの小説を読みふけりました、この時代は三国志に勝るとも劣らない面白さがあると思っていますが、まだまだ知らないことが多くあるので折に触れてその時代の小説などを読んでいきたいと思っています