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演劇「マクベスの妻と呼ばれた女」を観た

2024年03月26日 | 演劇

青年劇場の演劇「マクベスの妻と呼ばれた女」を観てきた。場所は新宿御苑前にある青年劇場スタジオ結(ゆい)、自由席で5,000円。篠原久美子作、五戸真理枝(文学座)演出、開演14時、終演16時。スタジオ結はそんなに大きくなく、ざっと数えて150席くらいしかない小劇場だが、その分、観客と舞台の距離感が近く、迫力ある演技が身近で観られてよかった。

この公演は青年劇場創立60周年、築地小劇場会場100周年記念公演の第1弾で、青年劇場はこれまで原作の篠原久美子氏の4作品を上演していているという。

この演目は全公演完売という人気だそうだ、今日も満員で、年配者が目立ったのはこの劇場が歴史のある劇団で、古くからの固定客が多いからなのか。

「マクベスの妻と呼ばれた女」はマクベスではなく、その妻や女中達に焦点を当て、女性への差別や偏見に対する怒りや、いまだに紛争の絶えない世界に対する憤りを訴えるものである。演劇界でも女性が活躍する時代になったとは言え、まだまだその場は限られている、そこで演出に文学座の五戸真理枝を初めて起用して、出演者をはじめスタッフもほとんどが女性という演劇を考えたとある。

出演

松永亜規子(マクベス夫人)、武田史江(デスデモナ)、竹森琴美(オフェーリア)、福原美佳(女中頭)、江原朱美(ケイト)、蒔田祐子(クイックリー)、八代名菜子(ボーシャ)、秋山亜紀子(ロザライン)、広田明花里(シーリア)、島野仲代(ジュリエット、ロミオ声)

場所はマクベスの城、マクベス夫人と女中たちは、フォレスの戦いで英雄となったマクベスからの手紙に浮き立つ、そこに突然国王が今夜城にやってくるという連絡が入る。城で働く女中たちは、国王一行をもてなすためにてんやわんや、一行が到着し、無事に一夜を明けるもつかの間、殺された国王が発見される、そして、女中たちが国王殺しの犯人捜しが始まるが・・・

  • 女中たちにはそれぞれシェイクスピアの他の演目に出てくる女性の名前が与えられているし、話の中で、その他の演目の中での話しも出てくるところが面白い演出だ
  • 国王が殺されたあと、誰が犯人かを女中たちが詮索し始めてから俄然、進行が面白くなる、女中頭のヘカティが中心になり、ひとりひとり女中たちが気になっていることをしゃべり出す、それを女中頭がうまくまとめていき、話を進めていく、うまい脚本だと思った
  • 観ていて、戦争への憤りよりも女性の役割、生き方、というものに対する問題提起の方にこの演劇の大きな主張があるように思えた、そしてその大きなポイントについて実にうまく話を進めて観る人を飽きさせない工夫があったと思う
  • その女性の生き方についての葛藤が頂点に達するのが最後にマクベス夫人が自死しようとする場面である、シェイクスピアの原作ではマクベス夫人はその犯した罪の大きさにおののき、迫り来る恐怖に精神の錯乱をきたして狂死するが、この物語ではそこを大胆にアレンジして、自分は殺された夫である国王を尊敬し、国王亡き後、もはや自分の生きる意味がないので辱めを受ける前に自死を決意する、が、そこに女中頭のヘカティが表れ、あなたが女としてやりたいことは何か、古いしきたりに従って考えるのではなくひとりの女性として好きな生き方をすべきではないか、などと叫ぶ。これに夫人も戸惑う、このやりとりが迫力あり見応えがあった
  • ではヘカティが主張する、良い娘、良い奥さん、良い王妃ではない生き方とは何か、それは観る人が考えて、ということだろうが、演出の五戸真理枝はその点について「さて、では自分は何を目指して生きていきましょうか。生きてるだけで良いんだよ、誰しもその命をそう寿ぐことができるような社会があればいいのにな、と私はいつも思います」と当日配布されたプログラムで述べていたる。
  • この五戸の考えを私はなかなか理解できないが否定はしない。常々ものごとは一つの考え方しかないわけではないと思っているので、今までの私たちの親や、先祖が持っていた価値観、それは著しい男女格差がある社会環境にもめげず、いい娘、いい奥さんであろうとする健気で高潔な精神性が国や家庭を支えていた、そういう価値観を否定する必要はなく、それが良いと言う女性がいても全く問題ないと思うし、それこそ生き方や考え方の多様性であろう、それを古い考えだといって否定し、批判する人は全体主義信奉者であろう。
  • 出演した女優たちは皆素晴らしい演技だった、それぞれが持ち味を活かして演じていたと思う、今日初舞台のシーリア役の広田明花里(あかり)も初々しい演技で素晴らしかった。

楽しめました。