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気ままに生活してるシニアの残日録

演劇「リチャード三世」を観る

2023年03月13日 | 演劇

BSテレビで放映された「リチャード三世」を録画して観た。この放送は再放送で自分も2度目の鑑賞である。2017年の池袋芸術劇場での公演。

作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:木下順二(2006年、92才没)
演出・上演台本:シルヴィウ・プルカレーテ(ルーマニア、72)

演出家のプルカレーテは演劇界を代表する演出家だそうだが、演劇初心者の自分は知らなかった、日本でも佐々木蔵之介の出演する劇などの演出を多く手がけているようだ。この作品では斬新な演出と音楽、美術、衣装に新たなアイディアが盛り込まれていると説明されている。番組のインタビューで彼は、この作品は人間の本性に関わる事柄「悪徳」というものを描いている、彼は佐々木に対して毎回シチュエーションやシーンに対する解釈の提案をし、佐々木はそれを正確に理解しようとしただけ、と述べている。あれこれを、どう演じるべきかとは決して言わなかった、様々なシチュエーションのメカニズムを説明しただけと説明している

あらすじは、エドワード四世の治世が出現したが、弟で、せむしでびっこのグロスター公(後のリチャード三世)はその王位を奪うために兄、エドワードとその子ども、前王の子どもらを次々と死に追いやり、殺し、ついに王位を簒奪する。が、配下のバッキンガム公や身内の呪い、復讐により破滅する。新潮文庫のリチャード三世の翻訳を手がけた福田恆存氏の解説によれば、この劇は歴史劇であり、復讐劇であるが単なる復讐劇ではない、呪いの儀式である、自分だけは運命の手から逃れていると誰よりもそう思っていたチリャード、他人の運命も操れると思っていたリチャードが最後に最も完璧に自己の破滅を通して運命の存在証明になる、としている

観ての感想を述べてみよう

  • プルカレーテの演出であるが、サクスフォンを吹く人が舞台に出て演奏したり、マイクや拡声器を使ったり、出演者に結構派手目の化粧をしたりと奇想天外なところがあるが一線は越えていないように思う、また、これは最近の演劇の傾向なのかもしれないが、場面の説明について代書人が進行役・説明役になったり、アナウンスがト書きのように流れたりしていた、福田氏の説明だと場面の説明も通常のせりふの中で行うことが昔の演劇では当たり前であったので役者は結構せりふに苦労したが、現代はその点が昔とは変ったのか
  • 上演台本もプルカレーテだが、シェイクスピアの原作(福田氏訳)では最後にリチャード三世がリッチモンド公などとの戦いで戦死となっているが、この上演台本ではピストルを渡されて自死するとなっていた、それはどうしてか、わからなかった
  • プルカレーテのインタビューを聞くと、彼の演出スタンスは福田氏が批判しているところの「演出家中心主義」ではないことがわかるが、福田氏が重視していた「演劇はせりふがすべて」という点では、肝心のせりふが聞きとりづらいところが多かったのは残念だ、これは福田氏が指摘するように海外ものの翻訳のせいかもしれない、これが海外物の難しさかもしれない、オペラでは原語上演+字幕が多いが、演劇の場合にはそれが難しいのかもしれない。日本語上演だが、わかりにくい部分だけ字幕をつけるという対応もあると思うが如何であろうか(確か先日観た「天国と地獄」がそうだったらしい)。また、プルカレーテも日本語がわからないので、この大事なせりふということについてどういう指示を出していたのか、出せたのか、知りたいところだ。
  • この劇の翻訳は木下順二氏(1914年~2006年、92才没)である。ウィキペディアで調べてみると、劇作家、評論家であり、東京帝大文学部英文科ではシェイクスピアを専攻、シェイクスピア翻訳をライフワークにしていた、著名な進歩的文化人であり日本共産党のシンパ、日本芸術院会員・東京都名誉都民に選ばれたが辞退した、国家的名誉は受けないとの考え。ガチガチの左派だ。著作や業績を見ると演劇界、言論界の大御所といったところだ。
  • 同じシェークスピア翻訳家でも先日読んだ「演劇論」の著者の福田恆存氏(1912年~1994年、82才没)は木下氏とは正反対の政治的スタンスの人だから面白い。シェークスピアの翻訳はこのほか松尾和子氏なども含めていろんな人が手がけているが福田氏は「演劇入門」で「翻訳上演となれば、その翻訳が重大な問題になるはずだが、それは完全に無視された、誤訳、拙訳が大手を振ってまかり通ったのである、それは今でも変わりない」と述べている、翻訳家の小田島雄志氏のマクベスの翻訳を例にとり、「英文和訳に近い説明的な文章としか言い様がなく、マクベス夫人の緊張と興奮を伝えていない」と批判を加えている。福田氏が指摘する誤訳、拙訳の対象に木下氏が入っているのかどうかは名指ししていないのでわからないが、存命中、大御所同士の対談などがあったのか、そうだったら是非聞いてみたいものだ。
  • ところで、翻訳劇の場合、誰の翻訳を使うのかを誰が決めるのだろう。

 

主な出演

佐々木蔵之介(リチャード3世)
手塚とおる (アン夫人)
今井朋彦 (マーガレット)
植本純米(エリザベス)
長谷川朝晴 (クラレンス公ジョージ)
山中崇(バッキンガム公)
阿南健治(エドワード4世)
壤晴彦(ヨーク公夫人)
渡辺美佐子(代書人)


「チョン・キョンファ バイオリン・リサイタル」を聴く

2023年03月13日 | クラシック音楽

BS放送で「チョン・キョンファ バイオリン・リサイタル」を放映していたので録画して観た。2回連続の放送で合計2時間である。リサイタルは2018年6月5日、東京オペラシティーコンサートホールでのもの。

チョン・キョンファは1948年韓国生まれの75才、弟のチョン・ミンフンは指揮者・ピアニストであり、姉のチョン・ミュンファはチェリストだ。12才でアメリカのジュリアード音楽院に留学をしイヴァン・ガラミアンに師事、また後にヨーロッパではヨゼフ・シゲティの薫陶を受けた。1967年にレーヴェントリット国際コンクールで優勝した。2005年に指のけがにより長期療養し、2010年に復帰した。演奏できない時期に彼女の救いとなったのはバッハの音楽だと番組では説明していた。ショパンコンクール最高位のピアニスト、ケヴィン・ケナーとは2011年以来共演を続けている。

曲目は、

ヴォカリーズ(ラフマニノフ作曲)
シャコンヌ(バッハ作曲)
バイオリン・ソナタ(フランク作曲)

ハイオリンソナタ第1番(フォーレ作曲)
バイオリン・ソナタ第3番(ブラームス作曲)

(アンコール) 美しい夕暮れ(ドビュッシー作曲、ハイフェッツ編曲)

キョンファは演奏中、ときおり笑顔を見せるようなことが何回かあり、楽しんで演奏している感じだった。リサイタル当時は70才であるが立ちながら演奏できるのはたいしたものである。

今回演奏された曲では、フランクのバイオリン・ソナタを注目した。この曲はクラシック倶楽部に出てくる演奏家によって頻繁に演奏されている曲だから自然と覚えた。結構人気のある曲なのだろう。フランクはベルギーの作曲家・オルガニストで1886年にこの曲を作曲した、バイオリン・ソナタとなっているが内容的にはピアノはバイオリンの伴奏ではなくバイオリンとピアノの二重奏曲だ。フランクが同郷の後輩のバイオリニストのイザイの結婚祝いのために作曲して、献呈されたもの、初演はイザイによってブリュッセルで行われた。最後の第4楽章が好きだ。バイオリンとピアノのかけ合いのような演奏がとてもよい。

さて、演奏中気づいた事項を2つ記しておこう

  1. フォーレのバイオリン・ソナタの演奏で第1楽章が終わったとき、拍手が起こった。別にこれはかまわないことなのだが非常にめずらしい、他では確か1回しか見たことがない
  2. ピアノのケヴィン・ケナーの前には大きめのタブレッドが置いてあり、そこに楽譜が写されていた。そして、紙の楽譜の場合と同様、斜め後ろに何かデバイスを持った女性が控えており、タブレットの画面のページをめくっていた(と思われる)。他の例ではピアニストがスワイプしていることもあるが、後ろに係の人が控えている方式は初めて見た。観客が見えないところでできないのだろうか。

ピアノ・リサイタルでオペラシティーのコンサートホールを埋める集客力があるというのはたいしたものだ。知名度もある人気なのバイオリニストだろう。いつまでも現役で頑張ってもらいたい。