野上啓三インスタグラム、sushi43nogami2←こちらに変更しました。
すべての魚・貝、天然ものです。
◇営業時間について◇火曜~土曜17:30~21:55※ラストオーダー(酒類・酒類以外全て)21:25まで
日曜お子さんデーは11:30~17:30です。※日曜はお子様の日です
店には月曜(+第一日曜日)以外10:30~営業終了+aおりますのでお気軽にご連絡ください!03-3356-0170
※レストラン予約代行サービス『オートリザーブ』でのご予約は日付・時間帯にかかわらず受け付けておりません。
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1dayアーカイブ2023年~2001年10月26日のおしながき[2023年][2022年]
[2021年]
[2020年]野上啓三が見ている豊洲市場の風景 寿司屋の七十二候
[寒露・第五十一候・ 蟋蟀在戸きりぎりすとにあり ]10/18~10/22
・北海道厚岸 殻付きアオヤギ 今、豊洲
・千葉銚子 本ボタン海老 今、豊洲
・千葉勝山 オコゼ 今、店
[2019年][2018年]
[2017年]
[2016年]
[2015年]
日本酒少しずつ入れ替わっていきます。[2014年]都合により休業とさせていただきました。[2013年]12kgのぶり、ハラカミの部分を仕入れました。今シーズン初入荷です。香箱蟹(こうばこがに)、11月上旬~中旬スタートと思われます。
[2012年]11.2kgのぶり、1/8を仕入れました。
白子、ひさびさ入荷です。
[2011年]
ソゲ(ヒラメの小さいもの)は800gです。
今日は佐島のタコを煮ます。(足とアタマ)
[2010年]北海道のものが多いです。今日の築地市場は海が荒れて入荷が少なかったそうです。
船上活け〆のサワラは初入荷です。
[2009年]
私が教わった符丁です。
1ピン
2リャン
3ゲタ
4ダリ
5メノジ(ガレン)
6ロンジ
7セイナン
8バンド
9キワ
10ピン
11ピンナラ(ピンピン)
12チョンブリ
13ソッキリ
14ソクダリ
15アノ
16ソクロン
17ソクセイ
18ソクバン
19ソッキワ
20リャンコ
21ノピン
22ノナラ
23ノゲタ
24ノダリ
25オツモ
26ノロン
27ノセイ
28ノバン
29ノキワ
30ゲタ
…と、25のオツモ以降は規則性をもって99まで続いていきます。
100はまたピンですが、101は何と言うかと主人に訊ねたところ
「わかんないけど“おっきいピンマルのピン”とか?いや、言わないな」
という答えが返ってきました。
実感としてよく使うのは1から9までのヒトケタくらいです。
「生ビールリャンねー」
とか
「お茶、ゲタ」
とか。
25のオツモはなぜオツモなのか。
“ノメ”とか“ノガレン”じゃないのか。
そこはわかりませんが、
15のアノは主人が以前聞いた話では
“商いの喜び=アキナイノヨロコビ”という符丁があって、
ア→1 キ→2 ナ→3 イ→4 ノ→5 ヨ→6 ロ→7 コ→8 ビ→9
からア→1とノ→5でそこから来ているのではないか、
とのことでした。
他にも“白浜の朝霧=シラハマノアサギリ”という9文字を当てはめたり、
符丁はまだいろいろあるようです。
築地では主人もまったく理解できない符丁が毎朝飛び交っているのだそうです。
捨てられないこのメモは、店をオープンさせる二日前くらいに書いたものです。
符丁を全く知らない私に驚いて、お義父さんとお義兄さんと主人が
「とにかく知らないと話にならない。スラスラ言えるまで頭に叩き込め!」
と冒頭の符丁を皆が一斉に唱え始めたので、必死に書き留めたのでした。
[2008年]主人の父が開店の応援に来てくれていた時の写真です。「余ったシャリでこんなことも出来るんだ」。そう教えてくれた一場面です。おかみノート『シャリの寿(ことぶき)』にこの時のことが少し書いてあります。
おかみノート 『 シャリの寿(ことぶき) 』
オープンして10日も過ぎると、最初に見えなかったものが見えてくる。
主人と義父とのあいだに常に流れている協力体制が途切れ、ときおりつっかえるような瞬間が訪れる。
「オヤジ、もうあげて」
「なんだ、もうあげちまうのか」
「うちは出前やってねぇからガチガチに火を入れないの」
「・・・そうか」
お義父さんはヤットコで雪平鍋をつかみ、ザパァッと竹串に刺した車海老をザルにあける。
そして冷ましたあとネタ皿に並べるのだが、その並べ方にも主人の考えがあるようで、夕方1本ずつ並べなおしているのを見たことが何度もある。
車海老だけではない。
スミイカの子供、新イカの仕込み。
主人はゲソの先のほうは必ず切り落とす。義父はおそらく落とさない。
いろんなものを触っているところだし、食べた感じも切り落としたほうがいいと主人は思っているからだ。
コハダを仕込む時はさすがに「塩は何分、酢は何分か」と主人に聞いて義父はその通りにやる。そしてネタ皿に並べ冷ケースに仕舞う。
すると主人がすぐにひっぱり出して、包丁の先で尻尾だの開いた両端の角度だの、カタチが気に入らなくて一枚ずつ整え始める。
切れ端がまな板の上に溜まっていく。
お義父さんはそんな息子を黙って見ていた。
午前中私は床掃除をしていた。
カウンターの椅子の背もたれは木で出来ており、しゃがんだ状態で見上げるとちょうどその隙間から義父とのやりとりが見える。
あおやぎの仕込みを終えたらまたネタ皿にきちんと並べる。
「ほい、お願いしますっ!」
お義父さんはおどけた感じで主人に声を掛ける。
主人はみつばを湯掻き水に放つとすぐにあおやぎをチェックし始めた。
ヒモが繋がったまま仕込んだかどうか。ヒモについている薄い膜は取り除いてあるか。開き方は。火の通り具合は。
舐めるようにひとつずつ見終えると主人が言った。
「お、いいね。カンペキだね、オヤジ」
「・・・・・」
お義父さんは黙っていた。
「うん、これ、いいよ。パーフェクト」
主人がさらに言うと
「初めて褒められたんじゃねぇのか?、おい」
お義父さんは半分怒っているような、でも冗談ともとれるような口調で言った。
お義父さんのお昼ご飯は朝と同じメニューだ。
剥いたバナナを食パンで巻いて、食べながら牛乳で流し込む。
私は常にその3つを切らさぬようにと言いつかっていた。
糖尿病でカロリー制限のあるお義父さんは私たちと同じ食事は摂れない。
店の立ち上げからずっとコンビニ弁当が続いていた。
皆には申し訳ないと思ったがどうにも余裕がない。
病院から指導を受けた時間にきちんと食べ終わった義父は小上がりで新聞を読んでいた。
私たちがお弁当を食べ始めると電話が鳴った。同じビルの雀荘のマスターからだった。
「社長いる?社長」
主人に声を掛けて受話器を渡した。しばらくすると、
「オヤジ、電話」
と今度はお義父さんに代わった。
主人は元の位置に戻り、唐揚げをひとつ口に入れると固まったご飯をまたわしわしと押し込み数回噛んで呑み込んだ。
「・・・だからよぉ、社長は俺じゃねぇの。息子だっていうの」
お義父さんは後頭部をポンポンと叩きながら戻ってきた。
「メンバー足りねぇってぇから、・・・言ってくらぁ」
すぐ5階に行ってしまった。
夜のカウンターは主人が取り仕切ることになっていた。
お義父さんは白衣に捻じり鉢巻。お茶を携えて小上がりの隅に腰掛けて息子の姿を眺めていた。
「おとうさんの握ったお寿司が食べてみたいです」
女性のお客様からそう言われ、私もおどけて
「よっ、お義父さん。御座敷掛かりましたよ!」
と促した。
しかし、なかなか立ち上がらない。
「お義父さん、ほら」
「あるじのよ・・」
「え?」
「この店の主のお許しがねぇとよ・・」
出来るだけ明るい声でカウンターの向こうの主人に声を掛けた。
「ねぇ、お義父さんにお願いしたいよねぇ?」
主人は無言のまま軽く眉と瞼の辺りを引き上げ、3回ほど頷いた。
「・・・じゃ、しょうがねぇなぁ」
お義父さんはゆっくりと前掛けを締めなおし、板場に上がった。
カウンターに立ったお義父さんは華がある。
主人はその陰になった。
閉店時間が近づいた頃、お義父さんはいきなり猛烈な速さでシャリだけのにぎりを握りだした。
四十個くらいになった時
「柳のまな板を倉庫から持ってこい」
と私に指示を出すと、そこにシャリを並べ始めた。
シャリで “寿” という文字がつくられていた。
その女性のお客様は
「うわぁ、おとうさん、すごい、ね、すごいですよね」
と私と主人に同意を求めてきた。
「このな、ことぶきの最後の点をな、食紅か何かで赤くしてな。ちょん、とやってもいいしな。半分の数を赤くして交互に並べてもいいんだぞ。緑が映えるから、こう、葉を飾りつけてな」
喋りながらステンレスのボウルに入った手酢を手に馴染ませてひとつふたつシャリを握ると“寿”のバランスを見て足りなそうな部分、― カーブしている一番先っぽのところや、最後のハネの部分 ― に置いていった。
見たことのない飾り寿司に興奮して
「お義父さんすごい!初めて見たー、ね、ね、いいじゃない?」
主人に視線を向けて頷いてもらおうとした。
「・・・・・」
主人は黙ったままだ。
「・・ねぇ、すごいよ、ねぇ?こういうの覚えとくとさ、いいよねぇ?」
それでも主人は何も言わない。少し顔が紅潮している。苦虫を噛み潰したような、でもあからさまな怒りではない。
「面白くない」
と顔が言っていた。