四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

冬から春が旬である貝がそろそろ終盤、初鰹・鰈・鱸・鯵など夏の魚が出てきました。

『憧れの店』『サヨリの福玉』『海苔の背を叩く』『おから』

2016-09-29 00:00:00 | いろいろ おかみノート


おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。今まで見たり聞いたり体験した
寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。



『 憧れの店 』
「憧れの仲買いさんがあるんだよ」と聞かされたのはずいぶん昔の話で、自ら寿司屋を興すなどとはまだ考えていなかった時期のことだったと思う。
その店は“アオシロの最高峰のものばかり”を扱うところだと主人は力説していた。
アオシロというのは白身の魚でも皮の部分が青光りしているようなもの、たとえばブリ・カンパチ・ヒラマサ、シマアジもこの部類に入るという。
アオシロに対してシロシロはタイやスズキ、ヒラメ、カレイなど。
有名な寿司屋はアオシロをそこから仕入れるのだと、ぜひ一度行ってみたいと熱く語っていた。

店を始めてもうすぐ一年という頃のことだった。
私が店に到着するなり主人が言った。
「今日のカツオ、どこのか分かる?」
半身におろされたカツオを持ち上げている主人を見ながら
「○○さんじゃないの」
と、いつもお世話になっている
仲買いさんの名を挙げた。
「ちがいます」
「じゃあ分かんないよ」
「絶対分かるって!ぜったい!」
「・・・私の知ってるとこ?」
「多分知ってると思う」
「カツオでしょ・・」
「そう」
「えー、あとどこ?」
「ほら、あそこだよ」
「あそこってどこよ」
「あそこだよ、あそこ!!」
「あーそーこーぉ・・?そう言われてもなー・・」
「今まで入ったことは無かったけどね」
「・・・入ったことが無い?」
「店始まって落ち着いてからは毎日その店の前を通ってずーっと念を送ってたというか敷居が高いから毎日 店の前を見るだけで何も出来なかったんだけど、今日そこの親父さんに“何かお探しですか”って声掛けてもらって」
「まさか!」
「そう!」
「あの?あの憧れの・・?」
「ついに、やりました――っ!!」
「マジで――?あの仲買いさんのとこ行ったの?やったじゃん!よかったね!・・でもさ、カツオって“アオシロ”?」
「いや、赤身だね。そこはメジとかカツオもいいのを置いてるのよ。しかもさー、そんなスゴイ店なのに半身とか、大きいものなんか四分一とか八分の一とかで売ってくれるんだぜ。うちみたいな小さい店には本当に有難いよ」
「仲買いさんのところって基本的には紹介なの?」
「・・そんなこともないけどね。飛び込みで入ってみたりもするよ。ただ、やっぱり紹介してもらった方が話は早いよね」
「紹介無しで頑張ったんだー」
「まぁ、そうね」
「やったね!」
「おぅ」
「モノもやっぱりいいんだ」
「・・・・そうね、いいね」
お客様にお出しするのが楽しみだ、と言いながらカツオをしみじみと眺め冷蔵庫に仕舞った。

『 サヨリの福玉 』
ある日の午前中、仕込みをやりながら主人が話しかけてきた。
「水産会社の社長が言うんだよ。“サヨリの頭捨てちまうのか!エラの中に虫みてぇのがいるだろ。あれ焼いて食うとうめぇんだぞ”って」
「なにそれ、前に勤めてた店の話?」
掃除の手を止めて私は訊いた。
「そうそう。サヨリのエラを覗くと、五尾中三尾くらいにその虫が入ってるんだよ。泳いでいるとエラにいろんなものが付くでしょ、でも魚は手が無いから何も出来ない。で、虫が寄生しながらあれこれ動いてあげて、その代わりに虫はエラの中で外敵から守られているんだ。でもさ、うまいって言うけどその社長が実際に食べてるところはみたことないよ」
「水産会社の社長さんが言ってたってことは、本当においしいんじゃないの」
「かなー…」
「だよ、絶対そうだよ!やってみようよ」
「あ、そう。オレは食わないけど」
「私は食べる」
すると主人はサヨリの頭を落とし、エラを覗きながら数匹の虫を取り出した。
半透明の白っぽいふっくらとしたモスラの卵みたいなヤツが出てきた。
「うわっ、エラのスペースより虫の方が大きくない?よくこの中に収まってたね」
「人間で言ったらほっぺたパンパンに膨らました状態だよな」
笑いながら金串に刺して主人は言った。
「塩まぶして焼く?」
「そ、そうだね。塩味があったほうが食べやすいかな~、なんて」
好奇心でここまで事を運んでもらっていたが、いざ食べる瞬間が近づいてくると決心が揺らいだ。お腹の中に入れたらこのモスラの卵がまた卵を隠していて、どんどん増殖していったらどうしよう… 死ぬかもしれない…でも食べてみたい。
考えていたら顔に血が昇ってきて、心臓も乱れ打ちをしていた。
「はい、どうぞ。よく焼けたよ」
香ばしい感じに焼けたモスラを前に一瞬たじろいだ。
でもここまでしてもらって要らないとは言えない。思い切って前歯でちぎってみると、薄い殻とパサパサした中身で、噛んでいると少しシャコのような味がした。
「う~ん、おいしいような、あんまり味がないような」
食べて食べられないことはない、そんな感じだった。
「これ、名前なんていうの?」
「さぁ、なんだろうなぁ。あ、でもこれに近い形は絵でみたことがあるよ。たしかこの本…」
江戸時代に描かれた、鯛の骨の部位を図説している絵にモスラはあった。
【鯛の鯛】や【鳴門骨】と並んでそれは【鯛之福玉】と書いてあった。
「たいのふくだまぁ~?」
二人で同時に叫んだ。インターネットで調べたらシマアジなんかにもいるらしく、画像を見るとやっぱりあいつだった。
「あ、今日、真鯛も仕入れているから見てみるか」
「おっと、それを早く言ってくださいよ」
興味津々で鯛のエラを覗き込むと、三倍くらい大きいのが入っていた。
「ギャー!でかっ、寒っ」
「生きてるよ、オレの指をギュ~って足で掴んでるもん、ほら離れないよ」
人差し指をブンブン振り回している。
「ひぇ~・・」
「塩ふって焼く?」
「もう、けっこうです」
即答した。

『 海苔の背を叩く 』
白い帯で封をされた海苔は、100枚で束になっている。
帯をちぎり、30~40枚くらいまとめて持つと、厚さは5cmくらいある。
細巻用の大きさにするには半分にしなければならない。
分厚い海苔の束は、そろーっと端と端を合わせようとするとU字の磁石を少し押しつぶしたような状態になる。そこで主人の動作は止まった。
「このままバリッと上から押すと、真半分にならないんだ。長いのと短いのができちゃうんだよね。だからこうするの」
五木ひろしのモノマネかと思えるような仕草で右手を拳にし、折れ曲がりそうになった背の部分を斜め45度の角度で慎重にトン、トン、トン、トンと叩き出した。
「えー、そんなんで切れるの?」
「そりゃ、一枚ずつ包丁で切ったらきれいに切れるよ。でもそんなことしてたら仕事が終わらないでしょ。素早くいっぺんにまとめて切ろうとしたらこうするのが一番早い」
「ひぇー、すごい。こんなの誰に教わったの?」
「兄貴かなぁ」
やっぱり清二さんはすごい。

『 おから 』
主人もやはり、おからで寿司の握り方を覚えたそうだ。
「靖国通りの手前の二七通りに豆腐屋があるでしょ。店に入りたての頃、“おから買って来い”ってオヤジさんに言われて、休憩時間に走ってさ。二袋くらい買ってきたかな。量りのお皿の上にラップを敷いて一個握っては指示どおりの重さかどうか量って。それを何回も何回もやるんだよ」
引き出しの中からゴソゴソと何かを探している。
「たしか、一個何グラムか書いたノートがあったんだけど・・まぁ手が覚えているから、シャリを握ってみればそのグラム数だけど」
次々と引き出しを開けてはかき回して捜している。
「おからはね、そのあと冷蔵庫で保存するんだけど、手で握って崩して握って崩してを何回も繰り返してるでしょ。いくら手をキレイに洗ってからやっても、さすがに三日くらい経つと臭くなるんだよね。そしたらまた新しいのに買い替えてさ、繰り返し繰り返しやるの」
「その修行はどのくらい続くの?」
私は訊いた。
「うーん、二ヶ月くらいかなぁ。おからで形が出来るようになったら今度は本当のシャリでやるから」
「ほんとの酢飯で?」
「そう。定休日の前の日のまかないは、ちらし寿司なんだよ。それを食べないで取っておいて、寮に帰ってからそれで何回も練習する」
「えっ、最終的にそれを食べるの?」
「いや、それは食べない。だってもう手でこねくり回しちゃってすごいことになってるから」
「何食べるの?」
「まぁ、適当に。お弁当とか買ってきてさ」
引き出しからやっと出てきた資料には、にぎり一つ当たりのグラム数は書いていなかったようだ。それでもフチが茶色くなりかけたレシピのメモや小さいノートを懐かしそうに眺めていた。



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