帰ってきた、電波圏内に入った、以上。
18日に予告したとおり、明日から29日まで、電波圏外のところへ旅立ちます。
今日は今年の高校野球を振り返りたかったんですけれども、
寝ても寝ても、なぜか眠く書ききれないので、
浜松に帰国次第、書きたいと思います。
今日は今年の高校野球を振り返りたかったんですけれども、
寝ても寝ても、なぜか眠く書ききれないので、
浜松に帰国次第、書きたいと思います。
2003年からです。
2003年
この年の春も印象が薄いですね。
というのも、環境セミナーのゆずり派で忙しかったからです。
2004年の春のセンバツも同様な理由であまり印象に残ってません。
2003年の夏は、常総学院(茨城)の名将、木内監督が勇退されるということで、
注目を集めた。それで見事、その常総学院が有終の美を飾った。
2004年
ここらへんになると、まだ新鮮な記憶が残っているんじゃないでしょうか?
え~、そんな~、まさか、という感じでした。
春のセンバツは済美(愛媛)が初出場で初優勝してしまった。
たしか、ダルビッシュ投手が率いる東北(宮城)を破ったんだよな。たしか
夏は、駒大苫小牧(南北海道)が優勝した。
この結果、大きな驚きと衝撃が全国を駆け巡ったんじゃないでしょうか。
というのも、センバツも含めて、東北から北の高校はまだ全国制覇を
成し遂げていなかったんですよ。
失礼ながら、それらの高校は弱いというのが、高校野球界の常識でした。
その常識を覆して、しかも、いきなり津軽海峡まで越えっちゃったのですから!
戦国時代と呼ばれて久しいが、これでますます競争が激しくなり、
本当の意味での戦国時代が始まるだろうと思った。
2005年
もう去年の話になるが、
春のセンバツ大会、神村学園(鹿児島)×愛工大名電(愛知)の決勝となった。
神村学園は済美以来の初出場で初優勝を狙っていた。
愛工大名電はバントを絡めて着実に点を重ねる野球で決勝に進んだ。
今年の夏も出場した強打者、堂上(どのうえ)選手も出場していた。
愛工大名電が勝った。
夏の大会は、駒大苫小牧が2連覇を達成した。
2連覇してしまったので、「好投手、田中君を打ち崩したい」を合言葉に
全国の高校球児が日々厳しい練習を積み重ねてきたのだ。
このようにして今年の夏の大会につながる伏線が作り出されたのである。
2006年
久しぶりに春のセンバツ大会をまともに観た。
まともに観るのは、6年ぶりでしたかねえ?
早稲田実業(東京)×関西(岡山)はすごかった。
久しぶりにしびれました。
このとき、斎藤くんを知ったんだよな。
延長15回再試合で、翌日の再試合が終わったあと、
両校の健闘を称えるかのように粉雪が舞ったんだよ。
感動的でしたね。
2003年
この年の春も印象が薄いですね。
というのも、環境セミナーのゆずり派で忙しかったからです。
2004年の春のセンバツも同様な理由であまり印象に残ってません。
2003年の夏は、常総学院(茨城)の名将、木内監督が勇退されるということで、
注目を集めた。それで見事、その常総学院が有終の美を飾った。
2004年
ここらへんになると、まだ新鮮な記憶が残っているんじゃないでしょうか?
え~、そんな~、まさか、という感じでした。
春のセンバツは済美(愛媛)が初出場で初優勝してしまった。
たしか、ダルビッシュ投手が率いる東北(宮城)を破ったんだよな。たしか
夏は、駒大苫小牧(南北海道)が優勝した。
この結果、大きな驚きと衝撃が全国を駆け巡ったんじゃないでしょうか。
というのも、センバツも含めて、東北から北の高校はまだ全国制覇を
成し遂げていなかったんですよ。
失礼ながら、それらの高校は弱いというのが、高校野球界の常識でした。
その常識を覆して、しかも、いきなり津軽海峡まで越えっちゃったのですから!
戦国時代と呼ばれて久しいが、これでますます競争が激しくなり、
本当の意味での戦国時代が始まるだろうと思った。
2005年
もう去年の話になるが、
春のセンバツ大会、神村学園(鹿児島)×愛工大名電(愛知)の決勝となった。
神村学園は済美以来の初出場で初優勝を狙っていた。
愛工大名電はバントを絡めて着実に点を重ねる野球で決勝に進んだ。
今年の夏も出場した強打者、堂上(どのうえ)選手も出場していた。
愛工大名電が勝った。
夏の大会は、駒大苫小牧が2連覇を達成した。
2連覇してしまったので、「好投手、田中君を打ち崩したい」を合言葉に
全国の高校球児が日々厳しい練習を積み重ねてきたのだ。
このようにして今年の夏の大会につながる伏線が作り出されたのである。
2006年
久しぶりに春のセンバツ大会をまともに観た。
まともに観るのは、6年ぶりでしたかねえ?
早稲田実業(東京)×関西(岡山)はすごかった。
久しぶりにしびれました。
このとき、斎藤くんを知ったんだよな。
延長15回再試合で、翌日の再試合が終わったあと、
両校の健闘を称えるかのように粉雪が舞ったんだよ。
感動的でしたね。
高校野球の話は趣味の範囲を超えてると思ったので、
カテゴリを独立させてしまえ。え~い! ということで独立させました。
1999年からでしたね。
1999年
ノストラダムスの大予言を気にしながら、地球がなくなったときの
対策をいろいろ考えていた。けど、何も起こらなかった。
春のセンバツは初めて優勝旗が海を越えて沖縄へ渡った。
沖縄尚学が優勝した。
夏の大会では、桐生第一(群馬)が優勝した。
両方の大会とも優勝候補が早々と敗退してしまった記憶が残っている。
これもノストラダムスの大予言が影響したのだろう。
2000年
センバツでは、東海大相模(神奈川)が優勝、準優勝は智辯和歌山だった。
準優勝に終わった悔しさをバネに智辯和歌山は夏の大会で全国制覇を果たす。
2001年
高校3年生でした。
主力の選手が3年生だから、同世代なわけです。
「憧れの球児に年だけは追いついたんだ」と感慨に浸った。
この年は九州の怪物、日南学園(宮崎)の寺原投手が注目された年だったかな。
春のセンバツは、常総学院(茨城)が優勝。
木内監督(当時)の采配は見事でした。
夏の大会は、日大三(西東京)が優勝。
どの高校にも負けない打撃力は見事でした。
2002年
高校3年と大学1年の間で、引越しなどで忙しくて春はあまり
印象に残ってないなぁ。
夏は明徳義塾(高知)が悲願の初優勝。
いつでしたかねぇ、調べてみますと、1992年、明徳義塾×星陵(石川)
星陵の松井秀喜選手に対して、5打席連続敬遠で大きな衝撃を与えた。
その「5打席連続敬遠を乗り越えての悲願の優勝」と表現されてました。
長くなったので、ここでいったん終了します。
カテゴリを独立させてしまえ。え~い! ということで独立させました。
1999年からでしたね。
1999年
ノストラダムスの大予言を気にしながら、地球がなくなったときの
対策をいろいろ考えていた。けど、何も起こらなかった。
春のセンバツは初めて優勝旗が海を越えて沖縄へ渡った。
沖縄尚学が優勝した。
夏の大会では、桐生第一(群馬)が優勝した。
両方の大会とも優勝候補が早々と敗退してしまった記憶が残っている。
これもノストラダムスの大予言が影響したのだろう。
2000年
センバツでは、東海大相模(神奈川)が優勝、準優勝は智辯和歌山だった。
準優勝に終わった悔しさをバネに智辯和歌山は夏の大会で全国制覇を果たす。
2001年
高校3年生でした。
主力の選手が3年生だから、同世代なわけです。
「憧れの球児に年だけは追いついたんだ」と感慨に浸った。
この年は九州の怪物、日南学園(宮崎)の寺原投手が注目された年だったかな。
春のセンバツは、常総学院(茨城)が優勝。
木内監督(当時)の采配は見事でした。
夏の大会は、日大三(西東京)が優勝。
どの高校にも負けない打撃力は見事でした。
2002年
高校3年と大学1年の間で、引越しなどで忙しくて春はあまり
印象に残ってないなぁ。
夏は明徳義塾(高知)が悲願の初優勝。
いつでしたかねぇ、調べてみますと、1992年、明徳義塾×星陵(石川)
星陵の松井秀喜選手に対して、5打席連続敬遠で大きな衝撃を与えた。
その「5打席連続敬遠を乗り越えての悲願の優勝」と表現されてました。
長くなったので、ここでいったん終了します。
39年ぶりの決勝での再試合となった駒大苫小牧×早稲田実業は、
9回の猛追を振り切り、早稲田実業が初優勝を果たした。
実は私見てないんです。
高校野球に熱中しすぎたあまりに、その姿勢を反省して、
「見てはいけない」として他の用事を済ませてました。
帰ってきてテレビつけたら、ちょうど早稲田実業の和泉監督の
インタビューでした。
せめて優勝が決まる瞬間は、見てみたかっただけに、ちょっと
悔いが残りました。
両校ともに立派な戦いぶりでした。
両校に優勝旗を渡したいと誰もが思ったことでしょう。
駒大苫小牧は、センバツの出場辞退で一時はチームが壊れかけた。
しかし、チーム内の激しい競争を取り入れることでチームを活性化し、
決勝の舞台まで勝ち上がってきた。
早稲田実業は、昨年の明治神宮大会で駒大苫小牧に負けた悔しさ、
センバツ大会で、3連戦の末、横浜高校に敗れた悔しさを
バネにして初優勝という栄冠を手にした。
本当にすばらしいチームだった。
今大会を振り返りたい誘惑に駆られるけれど、
まだ1998年までしか自分史を回顧し切れてないので、
しばらくの間お預けということで・・・
9回の猛追を振り切り、早稲田実業が初優勝を果たした。
実は私見てないんです。
高校野球に熱中しすぎたあまりに、その姿勢を反省して、
「見てはいけない」として他の用事を済ませてました。
帰ってきてテレビつけたら、ちょうど早稲田実業の和泉監督の
インタビューでした。
せめて優勝が決まる瞬間は、見てみたかっただけに、ちょっと
悔いが残りました。
両校ともに立派な戦いぶりでした。
両校に優勝旗を渡したいと誰もが思ったことでしょう。
駒大苫小牧は、センバツの出場辞退で一時はチームが壊れかけた。
しかし、チーム内の激しい競争を取り入れることでチームを活性化し、
決勝の舞台まで勝ち上がってきた。
早稲田実業は、昨年の明治神宮大会で駒大苫小牧に負けた悔しさ、
センバツ大会で、3連戦の末、横浜高校に敗れた悔しさを
バネにして初優勝という栄冠を手にした。
本当にすばらしいチームだった。
今大会を振り返りたい誘惑に駆られるけれど、
まだ1998年までしか自分史を回顧し切れてないので、
しばらくの間お預けということで・・・